愛されるために、ここにいる(フランス映画・2005年) |
<東宝東和試写室>
2007年1月11日鑑賞
2007年1月15日記
愛を語るに長けたフランス映画の典型だが、主人公が人生に疲れた中年男という設定がいい。ダンス教室でのある女性との出会いとくれば『Shall we ダンス?』を彷彿させるが、こちらのダンスは競技ではなく、絡みつくような男女の熱情を誘うための道具・・・?一方で『失楽園』『愛の流刑地』に見る破滅的な男女愛と対比し、他方で邦題と原題の微妙な差を意識しながら、大人の愛のあり方をじっくりと堪能したいもの・・・。そしてまた、ストーリー中に見る中年男の「3つの過ち」についても十分検討を・・・。
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監督・脚本:ステファヌ・ブリゼ
ジャン=クロード(執行官)/パトリック・シェネ
フランソワーズ(結婚を控えた女性)/アンヌ・コンシニ
ティエリー(フランソワーズの婚約者)/リオネル・アベランスキ
ジャン=クロードの父/ジョルジュ・ウィルソン
ジャン=クロードの息子/シリル・クトン
セテラ・インターナショナル配給・2005年・フランス映画・93分
<4年ぶりの配給だが・・・?>
外国映画の配給システムは私にはよくわからないが、プレスシートには、配給会社であるとともにプレスシートの発行・編集会社であるセテラ・インターナショナル代表、山中陽子氏の「はじめに」がある。それによれば、2005年秋にフランス映画界が釘付けになったこの映画を同社が配給することにしたのは、近年のフランス映画界の中でも突出した輝きを持っているこの映画と出逢ったから。そして同社が新作の劇映画を公開するのは、実に4年ぶりとのこと。この「はじめに」には、同社のそんな意気込みが充満しているが、大阪ではシネ・ヌーヴォ他の公開。宣伝力で劣る単館上映だが、さてそんなフランス映画が、今の日本でどの程度受け入れられるのだろうか・・・?
<セザール賞3部門にノミネートだが・・・>
チラシにもプレスシートにも、この映画は2006年のセザール賞主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞の3部門にノミネートされたと書かれている。すると当然気になるのが、最終結果・・・?
アカデミー賞でもセザール賞でもあるいは年末恒例の日本レコード大賞でも、各賞にノミネートされることは名誉なことだが、最終的に大賞を射止めるのは1作品(1人)だけ。昨年の日本レコード大賞においては、新人賞は最初から『三日月』を歌った絢香で事実上決まりだったし、えらく難しいバラード曲『夢のうた』を歌った倖田來未が歌唱賞とされた時点で、レコード大賞は氷川きよしの『一剣』に決定となったことは明らか・・・。
日本レコード大賞はこんな風に予想がほぼピッタリだったが、セザール賞については残念ながらサッパリわからない。また、プレスシートでは最終受賞者が書かれていないから、3人は落選したのか、それともまだ最終決定していないのかそれ自体もわからない。そこで、ネット情報で調べたところ、2006年のセザール賞は、作品賞・監督賞を『真夜中のピアニスト』が受賞し、主演・助演の各賞もすべて本作品以外の俳優さんが受賞。ああ、残念・・・。
<中年男の年齢は・・・?>
この映画は、人生に疲れた中年男ジャン=クロード(パトリック・シェネ)が主人公。ジャンは父親から受け継いだ「司法執行官」の仕事をやっているが、映画の冒頭シーンを観ただけで、彼がその仕事に誇りを持てず、イヤイヤやっていることがわかる。執行官に扮した俳優が、長い階段を上って家賃を滞納している女性に対して裁判所からの支払請求を伝えているシーンを観るだけで、彼のそんな気持がありありと伝わってくるから、映画とは実に面白い芸術・・・。
この物語の設定では、そんな主人公は50歳をすぎた中年男というだけで実年齢を明らかにしないが、演じているパトリック・シェネは1947年3月18日生まれ。したがって、まさに今日本で「2007年問題」として話題になっている団塊世代だから、ホントは60歳直前。中年男というと50代が限界で、60歳以上になると「老人」かというと最近はそうでもないはず。ならば、60歳近くの中年男、つまり来る1月26日で58歳になる私と同じくらいの年の設定でもよかったのでは・・・?もっともそうなると、その父親は85歳から90歳くらいであろうと思われるが、彼は老人ホームに入っているのだから、そんな年齢でもオーケー・・・?
<女性の年齢は・・・?>
そんな中年男がある日、ある女性と出会って突然ときめき、次第に恋に落ちていくというストーリーはよくあるもの・・・。そして、この映画は半分そうだが、半分は違う。すなわち、まず大前提として、出会った女性フランソワーズ(アンヌ・コンシニ)は婚約者ティエリー(リオネル・アベランスキ)との結婚を間近に控えた女性。したがって、ダンス教室で一緒にタンゴを踊る中で、互いの気持が通じ合うようになったからといって、そうすんなり恋に落ちていくわけにはいかないのは当然。私のような中年男は「この女、オレにやさしくしてくれるから、オレに気があるのかナ・・・」と考えがちだが、残念ながらそのほとんどは錯覚・・・?そんなことは当の中年男自身が1番よくわかっているのだが、初心者であればあるほど(?)そんな錯覚によく陥るもの・・・?
また、中年男がときめきを覚える場合のポイントは、女性の年齢。20歳そこそこの女性ではハナからヤバイと思い、男の腰が引けるのは当然で、そんなときめきを覚える相手の女性はやはり30歳を過ぎたくらいがベスト・・・?そして男友達はいてもいいが、彼女が独身でフリーな立場であることが必須条件・・・?その意味で、スクリーン上で観るフランソワーズ役のアンヌ・コンシニは、そんな設定にピッタリの年齢のようだが、実は彼女も1963年生まれだから40歳を超えていた・・・。このフランソワーズも映画では実年齢が明らかにされないが、やはり彼女は30歳代という設定だと理解しよう・・・?
ちなみに、このアンヌ・コンシニという女優は、つい3日前の1月8日に観たフランス流フィルム・ノワール映画『あるいは裏切りという名の犬』(04年)で、権力欲の強いドニ警視役を演じたフランスの名俳優ジェラール・ドパルデューの妻役で、少しだけの出演だったが印象に残った女優。そして、本作でセザール賞主演女優賞にノミネートされ大成功したことによって、以降出演作が目白押しとなっているとのこと・・・。
<主人公の妻は?息子は?>
ジャンは離婚したため妻はおらず1人暮らしだが、その私生活は映画ではほとんど描かれていない。しかし、自宅で1人食事をつくっている姿を観ると、何事にも几帳面な性格であることは容易に想像がつく。またそういう性格だから、執行官という仕事がふさわしいのだろう。もっとも、そういう仕事をしているから、そういう性格になっていったのかもしれないが・・・?
そんなジャンの事務所には、映画の中である大きな役割を果たす秘書のおばさん(?)が1人いるが、今日新たに息子(シリル・クトン)が執行官の仕事を継ぐために入ってきた。こちらも父親同様真面目そうだが、まだ若いだけに執行官の仕事とは何かを十分体得できていないようで、父親の指導は最初からかなり厳しいもの。弁護士急増時代を迎える中、甘ちゃん新人が大量生産されている今の日本では、初日からこんな厳しい指導をしたら、その多くはたちまちダウンしてしまうのでは・・・?
それはともかく、93分というシンプルな物語の中で主人公が大きく変容を遂げ、またその中で息子も大きな転機を迎えることになるので、それにも是非注目を・・・。
<ダンス好きは必見!>
私はダンスは苦手でチークダンスしか踊れないが、この映画に流れる数々のダンス音楽と情熱的なダンスシーンは、ダンス好きには必見!日本版のみならず、リメイクされたアメリカ版も大ヒットした周防正行監督の『Shall we ダンス?』(96年)は、恋愛模様もストーリー上大切だったが、どちらかというと競技ダンスの厳しさと楽しさがメインとなったもの。しかしこの映画は、タンゴが取り持つ男と女の縁、男と女の情熱を描くものだから、バックにたくさん流れてくるタンゴ音楽と、絡みつくようなセクシーで情熱的な踊りをじっくり楽しみながら、男女間の揺れ動く気持を観察するのがメイン。
もっともこの映画では、ジャンがタンゴ教室に通い始めたのは、医師から「何か運動を・・・」と勧められたことがきっかけだから、その向上心は知れているし、もともと器用にタンゴを踊りこなせるようなタイプではないはず・・・?
ところが、ダンスは身体で踊るものではなく、心で踊るものだとでも言うように、映画後半のジャンの踊りは、初心者ながらも情熱的で、見事なレベルに・・・。
<男の嫉妬心(独占欲?)も相当なもの・・・?>
小心者の中年男ジャンが、タンゴ教室で出会ったフランソワーズに心をときめかせても、フランソワーズは結婚を控えた身。したがって、その進展度は本来たかが知れているもので、ある日のお別れのあいさつのキスがちょっと「熱いキス」に変わった程度・・・?しかし、それだけでもジャンにとっては革命的な心境の変化で、それまで何の目的もなく日々の時間を消化しているだけであったジャンの毎日が、急に明るくバラ色に変わってきたに違いない。ところが、ある日2人が乗ったエレベーターの中で、フランソワーズの顔見知りの男からフランソワーズにかけられた何気ない会話によって、ジャンの心は暗澹たるものに・・・。
それは、「結婚の準備は順調・・・?」という軽いあいさつだったが、そんな事情を知らなかったジャンにとってはまさに寝耳に水の話。エレベーターを降りたジャンは、1人黙って車に乗り込むや否やドアをバタンと閉めてしまい、「待って!」「事情を説明させて!」と叫ぶフランソワーズを残して1人立ち去って行った。小説や映画ではよく女の嫉妬がテーマとして描かれるが、嫉妬心(=独占欲)は男だって同じ・・・?そのことは、数日後ジャンの事務所を訪れ、結婚を控えていることを黙っていたことをお詫びし、「お友達でいましょう」と言うフランソワーズに対して、ジャンが冷たく言い放った「もう2度と会いたくない」という完全拒絶の言葉で明らか。私も過去、似たようなケースで、似たような言葉を放ったことが何度かあったが、後から考えてみると、大体それは失敗だったと気づくもの・・・?
<ジャンの3つの過ち・・・>
プレスシートには、黒田邦雄氏(映画評論家)の「人生の三つの過ち」という面白い解説がある。それによれば、この映画におけるジャンの過ちの第1は、好きでもない自分の仕事を息子に継がせようとしたこと。第2は、私の評論では触れていないが、老人ホームで暮している父親との関係を断ち切ってしまったこと。そして面白いのが第3の過ち・・・。
すなわち3つめの過ちは、「こんなに我慢の人生を過ごしてきた自分を理解し愛してくれる女がこの世に必ずいるはずだ、という甘い夢を見てしまったこと」という分析だ。愛することを望むのか、それとも愛されることを望むのかは難しいところだが、このフランス映画はその微妙な気持を実にうまく表現しているから面白い。「告知義務違反(?)」を許せない(?)ジャンは、あれだけはっきりとフランソワーズを拒絶したのだから、その関係修復はかなり難しいはずだが、さてこの映画はこの第3の過ちの結末をどのようにつけるのだろうか・・・?
<原題と邦題の微妙な差をあなたはどう理解・・・?>
この映画の邦題は『愛されるために、ここにいる』だが、原題は『Je ne suis pas la pour etre aime』で、その意味は「愛されるためここにいる訳じゃない」ということ。
プレスシートの中でステファヌ・ブリゼ監督は、「原題『愛されるためにここにいる訳じゃない』は、ある(権利に対する)要求という形をとっています。それは、タイトルが意味することと反対のことだと理解するべきものなのです」と述べているが、何とも含蓄のある言葉。さて、あなたはこの原題と邦題の微妙な差をどう理解する・・・?
2007(平成19)年1月15日記