蟲師(日本映画・2006年) |
<東映試写室>
2007年2月9日鑑賞
2007年2月10日記
漆原友紀原作の人気コミックがもつ不可思議な世界観を、コミック界の先輩であり、映画界の大御所である大友克洋監督が映画化。そのポイントは、アニメではなく実写にしたこと。それによって、主人公たちのキャラが鮮明になると共に、美しい山や川の風景がリアルに実現!ストーリー的には多少納得できない点もある(?)が、日本的・幻想的な蟲師の世界はしっかりと・・・。
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監督・脚本:大友克洋
原作:漆原友紀
ギンコ(蟲の現象を紐解く者[蟲師])/オダギリジョー
ぬい(謎の女蟲師)/江角マキコ
虹郎(こうろう)(虹に似た蟲を探す男)/大森南朋
淡幽(たんゆう)(文字で蟲を封じる娘)/蒼井優
庄屋夫人/りりィ
たま(狩房家付の蟲師)/李麗仙
真火(まほ)(耳の聞こえない女の子)/守山玲愛
真火の母/クノ真季子
ヨキ(蟲が見える男の子)/稲田英幸
東芝エンタテインメント配給・2006年・日本映画・131分
<漆原友紀VS大友克洋>
漆原友紀が描いたこの映画の原作『蟲師』は、1999年から連載をスタートし、単行本は現在7巻まで刊行され、累計で290万部を売り上げている大ヒット作とのこと。他方、この映画の脚本を書き監督した大友克洋監督は、1982年から連載を開始した『AKIRA』を自ら監督・脚本して劇場版『AKIRA』(88年)を発表、さらに近時は、製作期間9年にも及んだ大作『スチームボーイ』(04年)を発表するなどアニメ製作の大家とのこと。
もっとも、私はもともとあまりアニメは好きではないから、彼らの名前や作品名は知っていても、現実に読んだこともなければ観たこともないものばかり。そんな私が試写室へ行った理由は・・・?
<あなたはアニメ派、それとも実写派?>
『蟲師』の映画化は、原作の愛読者であった漫画描きの大先輩大友克洋が、自ら企画を持ち込んだことによって実現したとのこと。そこで問題は、それをアニメで撮るのかそれとも実写作品とするのかということ・・・。その点、プレスシートによると、大友監督は「前作の『スチームボーイ』のアニメ製作にかなり時間がかかったので、次は実写映画を撮りたいと思い、いろいろと企画を探しました」と語っているから、『蟲師』をアニメで撮るかそれと実写で撮るかという選択肢はなく、実写で撮るという大前提で企画を練っていたところ、たまたま『蟲師』になったとのこと・・・?
仮に大友監督ファンにはアニメファンが多いとすれば、実写作品として『蟲師』を撮ったのはマズイかもしれないが、大友監督の描く世界が大好きというファンが多いのなら、その選択は多分大正解。なぜなら、ギンコ(オダギリジョー)とぬい(江角マキコ)の2人をはじめとするキャラは、実写版ならではの趣を備えているし、何よりも5万キロメートル(日本列島の海岸線約3万キロの1.5倍)を歩いてロケ地を探したと紹介されているとおり、自然の山や川、そして村落の風景はすばらしいもので、アニメではこうはいかないはず・・・。また、これがアニメ版だったら、そもそも私は試写室に行っていないはず・・・?
<ベスト・テン1位と2位の共演だが・・・?>
2006年第80回キネマ旬報ベスト・テンは、第1位が『フラガール』(06年)、第2位が『ゆれる』(06年)だったが、この2作品は、どの映画祭や映画賞でもトップを争った傑作。そして『蟲師』では、『ゆれる』のオダギリジョーと『フラガール』の蒼井優という夢の共演が実現!
もちろんこれは全くの偶然だが、2人のキャスティングの経過については、どうも正反対だったよう・・・?すなわち、オダギリジョーは、プロデューサーや原作者の漆原友紀からオファーをかけてオーケーをしたのに対し、蒼井優は何とオーディションを受けてこの役を獲得したとのこと。『フラガール』で見事なフラダンスを披露した蒼井優は、文字で蟲を封じる娘、淡幽の役を演じているが、ギンコやぬいのキャラと違い、彼女1人だけはまともな姿で登場するから、その美しさを堪能することが可能・・・。
もっとも、ベスト・テン1位と2位の共演が、どこまで作品の価値を高めたかどうかは・・・?
<江角マキコはえらい汚れ役に挑戦!>
この映画で謎の女蟲師ぬいを演ずるのは、あの『ショムニ』での制服ミニスカ姿が目に焼きついている(?)長身でロングヘアの江角マキコ。彼女は、「ただ、立ち姿などが美しいだけでなく、山道をスタスタと力強く歩く、アスリートのイメージがあったから」という理由で、大友監督からのオファーを受けたとのこと・・・。
しかし、スクリーン上に映る、白い髪、白い着物姿で立つスラリとした長身の彼女を観ていると「立ち姿が美しい」のはそのとおりだが、「山道をスタスタと力強く歩くアスリート」というイメージは実現されていない、というのが私の判断だが・・・。
ぬいの髪が白いのは、またその右目が見えなくなったのは、蟲の棲みつく池のほとりに住み、銀蠱(ぎんこ)と呼ばれる蟲の正体を調べすぎたせい。すなわち、銀蠱の棲んでいる池の光は、魚や人の姿を変え、ついには姿を消してしまうという力を持っているため、髪が白くなり、右眼を失ったというわけだ。
そんなぬいを演ずる江角マキコは、前半は左眼だけを見せながら存在感たっぷりの演技を見せるものの、両眼が見えなくなった後半は何とも惨めな汚れ役を・・・。大友監督、ここまでやらせるのはちょっとかわいそうでは・・・?
<意外なキーマンが虹郎>
オダギリジョー、蒼井優、江角マキコという3人の大物俳優と同じ格付け(?)で登場するのが、虹に似た蟲を探す男虹郎(こうろう)を演ずる大森南朋。幼い頃、父親と一緒に見た虹蛇(こうだ)と呼ばれる蛇のようにうねる虹のような蟲を捕まえるために旅を続けている彼は、蟲師たちが集まるお堂で偶然ギンコを知り合ったことにより、その後ギンコと一緒に旅を続け、ギンコや淡幽の身に起きる事件に遭遇し、結構大きな役割を果たしていくことになるから、意外なキーマン・・・。
大友監督がなぜ大森南朋にオファーしたのかはよくわからないが、彼は「オファーを受けると、脚本も読まずに出演を決めた」というから、よほどうれしかったに違いない。だって、大森南朋は、『好きだ、』(06年)、『それでもボクはやってない』(07年)などに出演しているとのことだが、私には全然印象に残っておらず、その名前すら知らなかったのだから・・・。
<ギンコはあの時代のブラックジャック?>
手塚治虫の『ブラックジャック』は、無免許ながら、天才的な腕前の外科医が主人公だが、彼は世のため人のためにその才能を使うだけではなく、自分の才能に見合うだけの報酬を求めるところが玉にキズ・・・?
ぬいの右眼が見えなくなったのと同様、ギンコは左眼が義眼でなぜか髪も白髪・・・。彼が旅を続けているのは、不可解な自然現象を引き起こす蟲の命の源を紐解き、その現象を鎮めるため・・・?したがって彼が背中に背負っている大きな籠は、小さな引き出しに区分けされた薬箱。
蟲とは?蟲師とは?についての基本学習は各自でしてもらうしかないが、スクリーン上には早々と、深い雪山で一夜の宿を与えられたギンコが、庄屋夫人(りりィ)に頼まれて蟲師としての技能を発揮するシーンが登場する。片方の耳が聞こえないという患者に対しては、ある薬を処方すると一発でオーケー。そこで両耳が聞こえないという庄屋夫人の孫娘の真火(守山玲愛)の治療を頼まれたが、こちらはその額に4本の異様な角が生えているという状態だから、かなりの難病・・・。それでもギンコは必死にその原因を突き止め、ついに真火も完全に治癒。こんな治療ぶりを見ていると、100年前に存在していたこの蟲師のギンコは、その時代のブラックジャック・・・?
<字幕解説の要否と是非は・・・?>
国語力の低下した今ドキの日本では、そもそも『蟲師』を「むしし」と読める人は少ないだろう。また、ギンコ、ぬいは別として、虹郎(こうろう)や淡幽(たんゆう)そして真火(まほ)の名前すらまともに読めないはず・・・?
また、ブラックジャックばりの名医ぶりを発揮するギンコは、巻貝のような蟲「阿」をいろいろと分析、解説しながら治療してくれるのだが、ポツリポツリと語るそのセリフを聞いただけではパッと理解しづらいのは当然。また、ぬいが格闘している(?)銀蠱(ぎんこ)と呼ばれる蟲や「どこまでも黒い」といわれるトコヤミの理解も困難。さらに、虹郎が追い求めているという「蛇のようにうねる虹のような蟲」も、なかなかイメージが掴みにくいし、トコヤミにとり憑かれて衰弱してしまったギンコを癒した虹酒(こうき)も、どんなお酒かサッパリわからない・・・。
そこで思ったのは、法廷シーンなどに時々出てくる第1回公判、冒頭陳述、弁護側最終弁論などのように、専門用語をわかりやすく解説する字幕を入れたらどうだろうかということ・・・。もっとも、そんな小細工をすると、セリフの重みがなくなるから、その要否と是非は難しいところかも・・・?
<ストーリー構成に難点あり・・・?>
この映画では、オダギリジョー扮する主人公ギンコという奇妙な名前であることがまず目につくが、女蟲師ぬいが登場し、銀蠱(ぎんこ)と呼ばれる蟲の物語が語られると、ギンコと銀蠱との関係、そしてギンコとぬいとの関係がストーリー構成上大きなテーマになっていることがわかる。また、淡幽の足に広がった墨色のあざが身体全体に広がっていったのは、淡幽の乳母のたま(李麗仙)がギンコに語るところによれば、盲目の女蟲師ぬいが、池の底に棲む眼のない魚銀蠱の話をした時からというから、そこにも何らかの秘密があることは明らか・・・。
さらに後半には、ギンコや淡幽の口から「トコヤミ」という言葉がさかんに語られるが、「どこまでも黒い」というそのトコヤミがストーリー構成にどのような位置を占めているのか容易にはわからない。もっとも、ストーリー構成が掴みにくいイライラ(?)は、美しい山々の風景で十分解消される(?)のだが、虹郎と別れたギンコが遂にぬいと運命の再会を果たすという、ハイライトになるはずのストーリーが中途半端というか尻切れトンボ・・・?
その点で、私の目にはストーリー構成に難点ありと映ったが・・・?
<ロケ地探しと撮影の苦労を理解しよう・・・>
この映画の映像美のすばらしさは天下一品!冒頭のシーンは美しい山々を鳥瞰するシーンからだが、そこにポツンと動くものがあり、徐々にクローズアップされていくと、それは細い山道を歩いている母子連れ。このシーンを観ただけでも、この映画の重要な狙いが映像美にあることがすぐにわかるが、そのすばらしさはラストまで続くから、その点に要注目!
プレスシートによると、トコヤミや銀蠱(ぎんこ)が棲む池やぬいの庵は滋賀県の菅山寺の朱雀池、そして淡幽の屋敷は岐阜県の桑原邸とのこと。また、撮影に使った山々や林道は、岐阜県の伊吹山や白山林道、福井県の越前岬、京都府の谷山林道、甲賀市の若尾山等いろいろな場所だが、そのそれぞれに独特の趣があり、実にすばらしいもの。これら険しい山々での撮影には、ヘリコプターで機材を運ぶなどかなり苦労したようだが、その努力が大きく報われていることは明らか。カメラさんや機材さん、お疲れさまでした・・・。
2007(平成19)年2月10日記