眉山(日本映画・2007年) |
<東宝試写室>
2007年3月29日鑑賞
2007年3月29日記
宮本信子と松嶋菜々子という異色の組み合わせ(?)による、母娘の確執と「母の恋」「娘の恋」の展開模様は、いかにもさだまさしの原作にふさわしく、心温まるもの。入院先でも「神田のお龍」節は健在だが、そんな母の心の奥底にあるものは・・・?他方、思春期当時から疑問に思っていた娘の父親探しの物語は、人波に溢れる阿波踊りの晩、クライマックスを迎えること・・・。ハリウッド大作ひしめくG.W.中、さて営業好調な東宝が純国産品でどこまで対抗・・・?
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監督:犬童一心
原作:さだまさし『眉山』(幻冬舎文庫刊)
河野咲子/松嶋菜々子
河野龍子(たつこ)(咲子の母)/宮本信子
寺澤大介(医師)/大沢たかお
啓子(ケアマネージャー)/円城寺あや
松山(板前)/山田辰夫
咲子の父/夏八木勲
担当医師/永島敏行
東宝配給・2007年・日本映画・120分
<「神田のお龍」にピッタリ・・・>
『お葬式』(84年)、『マルサの女』(87年)、『ミンボーの女』(91年)などたくさんの伊丹十三作品で印象的な演技を残した宮本信子も、『マルタイの女』(97年)を最後に映画に出演していないが、これは1997年に伊丹十三監督が死亡したため・・・?したがって、この『眉山』への彼女の出演は10年ぶり。
そんな宮本信子が演ずる「神田のお龍」こと河野龍子は、チャキチャキの江戸っ子らしい・・・?回想シーンの中で、徳島で小料理屋を営んでいた龍子が出来の悪い客を叱り飛ばし、「勘定はいらねえから、さっさと出ていきやがれ!」とタンカを切るシーンが登場するが、そんな演技はまさに宮本信子にピッタリ!もっとも、今は病院のベッドの上だから、そんな元気はないのかと思ったら・・・?
<久しぶりの母娘のご対面は・・・?>
東京の旅行代理店で働いている河野咲子(松嶋菜々子)が故郷の徳島へ帰ってきたのは、母親の龍子が病に倒れたとの連絡を受けたため。空港から病院へ駆けつけた咲子が、病院内で最初に目撃したのは、龍子が「神田のお龍」そのままに、ベッドの上に座ったまま若い看護師を叱りつけている姿。その言い分は「患者を差別せず、平等に扱いなさい」ということだが、徳島のような田舎まち(?)でこんな江戸っ子のようなタンカを切られたのでは、今ドキの若い看護師が耐えられるはずがなく、ぐっと龍子の顔をにらみつけたかと思うと、涙をこらえながら踵を返して病室を出ていった。
それを見た咲子は、思わず「お母さん!」と叫んで龍子を諭そうとしたが、同室の3人の患者たちは「私も1度言ってみたかったの」と龍子に同調したから、どうも非は若い看護師にあったよう・・・?父親のいない咲子と龍子の久しぶりの再会は、最初から波乱含み・・・?
<医師の説明義務とガン告知のあり方は・・・?>
私は現在、肝臓ガンで死亡した事案について医療過誤訴訟を闘っているが、その1つの争点は医師の説明義務とガン告知のあり方。日本でも「インフォームド・コンセント」の考え方が定着してくる中、医師の説明義務が議論の焦点となってきた。そして今や、患者の自己決定権を承認したうえで、それに対応した医師の説明義務が認められている。そして、その説明の相手方は原則として患者本人とされているから、重篤なガン患者に対してもガン告知を行うべきであり、そのうえで患者本人に適切な治療方法を選択させるべきというのが現在の原則的な考え方になっている。ところが現実には、患者本人より先に家族に告知するケースもあるようで、ガン告知をめぐる微妙な問題点は多い。
そういう現在の到達点を前提としてこの映画を観ると、龍子の担当医師(永島敏行)は、まず娘の咲子に対してガン告知をしているような感じ。すると、ひょっとしてこれは医師の説明義務違反・・・?もっとも、ストーリーの流れからすると、気丈な龍子は自身のガンを知っているようだが、そうだとすると余計おかしなことに・・・?
もっとも、これはこの映画のテーマとは直接関係のないことだからこれ以上突っ込まないが、ホントはきちんと検討しておくべき重要なテーマ。
<病院内での会話は慎重に・・・>
『解夏』(03年)(『シネマルーム3』356頁参照)に続いて、さだまさし原作の映画に医師寺澤大介役で登場するのが大沢たかお。寺澤は小児科医だから、ガン病棟(?)には本来無関係だが、寺澤と咲子を結びつけたのは、またしてもあの若い看護師。病院にはいろいろと守るべきプライバシーがあるから、やたら大声でうわさ話やグチ話をすることは御法度だが、この若い看護師はそんな常識すらないようで、今寺澤に対して大声で話しているのは、龍子から受けた仕打ちについてのグチ話。
その中で聞き捨てならないのは、「老人だから、早くベッドを空けてもらって・・・」という言葉。こりゃいくら何でも病院内では禁句。それを聞いた咲子が、「それはどういう意味ですか?」と血相を変えて詰め寄ったのは、やはり咲子も龍子の血を引いているため・・・?それを、とっさに「言葉のあやで・・・」と寺澤が援護したから、余計まずいことに・・・。
病院内での会話はくれぐれも慎重に・・・。
<ドクターと患者の娘とのロマンスは・・・?>
男女の間にはいろいろな出会いがあるが、咲子と寺澤の場合は、この大ゲンカが最初の出会い。すると普通はそれっきりになってしまうケースが多いが、寺澤が偉かったのははっきりと自分の非を認め、咲子に対しても龍子に対しても、謝罪したこと。その潔い態度と、その後病院内で無邪気に子供たちと戯れる寺澤の姿を見て、次第に寺澤に惹かれていったのが、それまで「結婚なんて興味ないワ」と宣言していた咲子。
他方、独身のドクターでイケメンともなれば、モテモテになるのは当然だから、寺澤はお見合いを含めて女性はよりどりみどりのはず・・・。しかし、寺澤が惹かれていったのもこの咲子のよう・・・。そりゃ松嶋菜々子のような美女なら誰でも惹かれるが、原則的にはドクターと患者の娘とのロマンスは御法度・・・?
<女の子は父親を求めるもの・・・>
父親と息子の確執も多いが、母親と娘の確執もいろいろあるもの。それは、この映画を観ればよくわかる。その原因は、江戸っ子タイプでしっかり者の龍子が、何ゴトも自分1人で決めてしまうこと。小料理屋を辞めることも、自分の死後、遺体を医大の解剖実習のために提供するという献体のことも、何ひとつ相談なし。しかも入院したことについては、本人からの連絡は何もなし、だったのだから・・・。
もっとも、それ以上の大きな確執は、龍子が咲子の父親のことを何ひとつ話してくれないこと。思春期の当時、咲子は1度そのことで龍子を問い詰めたが、龍子はお父さんと籍を入れていないことは認めたものの、お父さんは死亡したし、思い出の品も何ひとつ残っていないという説明のみ・・・。「それは怪しい」と心のどこかで疑っている咲子は心の中でずっと父親を求めていたが、それは女の子として当然・・・。さて、咲子の父親探しの物語は、この映画の中でどのように展開していくのだろうか・・・?
<まっちゃんの約束違反をどう評価・・・?>
ケアマネージャーの啓子(円城寺あや)や龍子の店から独立したまっちゃんこと松山(山田辰夫)ら、徳島には「神田のお龍」のファンが多い。長期休暇をとって母親の病室へ毎日通っている咲子が、食事で立ち寄るのがそんなまっちゃんの店。するとある日、まっちゃんから手渡されたのは、風呂敷に包まれた箱だが、これはまっちゃんが龍子から「自分が死んだら咲子に渡してくれ」と頼まれていたもの。もちろん、まっちゃんはその中身を見ていないが、自分だけの判断でこれを咲子に手渡したのは、明らかに龍子との約束違反・・・。
こういうことがあるから、このような重要な事項は本来弁護士や信託銀行に依頼すべきだが、そういう固い話は別として、咲子の父親探しの物語はこの箱を開けることによって始まることに・・・。映画では、この約束違反が結果オーライとなっているが、現実問題としては、病人から依頼されたことは誠実に守り、まっちゃんのように約束違反するのはダメ・・・?
<映画『眉山』支援委員会の支援がポイント・・・>
この映画ラスト20分の主役は、徳島名物の阿波踊り。これは毎年8月12~15日に開催され、約130万人の人出があるが、それをスクリーン上に映し出すためには、阿波踊りの時期に合わせて撮影するか、自前で阿波踊りをやるしかない・・・。しかし、ホンモノの阿波踊りの現場で映画撮影をすることは事実上不可能だから、選択肢は1つだけ・・・。
驚くべきことに、この映画に登場したエキストラは14200人とのことだが、これは映画『眉山』支援委員会の絶大なるバックアップによるもの。ホンモノの阿波踊りは見る方も大変だし、部分的にしか見れないから、考え方によっては、このスクリーン上で見る阿波踊りの方が楽だし、見どころもいっぱい・・・?
そんな14200人の主役たちの「演技」にも十分注目したいが、同時に阿波踊りの楽しみだけに目を奪われることなく、この阿波踊りの中でクライマックスを迎える、咲子の父親探しの旅の成就にも感動しなければ・・・。『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)に続いて徳島の「ご当地映画」が、G.W.で公開される数多くのハリウッド大作に負けず大ヒットすることを期待したいものだ。
2007(平成19)年3月29日記