ミス・ポター(アメリカ映画・2006年) |
<試写会・TOHOシネマズなんば>
2007年6月28日鑑賞
2007年6月29日記
舞台はロンドン。時は1902年。1960年代以降に生まれた日本人たちにはお馴染みの、「ピーターラビット」を生んだミス・ポターの半生記がこの映画によって明らかに・・・。あの時代、1人の動物好きの上流階級の娘が、いかにして自立していったのか・・・?両親との確執、独身主義の功罪(?)、夢を共有できる男性との出会い、そしてナショナル・トラスト運動・・・。どれをとっても若い女性の夢を追う生き方の参考になるものばかり・・・。父娘で一緒にこんな映画を観て、語り合うことができたらいいのだが・・・?
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監督:クリス・ヌーナン
ビアトリクス・ポター/レニー・ゼルウィガー
ノーマン・ウォーン(ポターの恋人)/ユアン・マクレガー
ミリー・ウォーン(ノーマンの姉)/エミリー・ワトソン
ヘレン・ポター(ポターの母)/バーバラ・フリン
ルパート・ポター(ポターの父)/ビル・パターソン
ウィリアム・ヒーリス(別荘の管理人の息子、後ポターの夫)/ロイド・オーウェン
角川映画配給・2006年・アメリカ映画・93分
<1902年という時代は・・・?>
この映画に描かれているように、ミス・ポターことビアトリクス・ポター(レニー・ゼルウィガー)がノーマン・ウォーン(ユアン・マクレガー)の協力を得て、『ピーターラビットのおはなし』をはじめて出版したのが1902年。ネット情報によると、その最も古い日本語訳は1918年とされていたが、新たに1906年という説も登場しているとのこと。また、書籍として最初に発行された日本語訳は1956年とのことだが、これは日本が1945年の敗戦の後やっと戦後復興を終えて、高度経済成長に向けて動き出そうとした時期とピッタリと一致している。したがって、1949年生まれの私が子供時代に『ピーターラビットのおはなし』の絵本を読むことができなかったのは当然だが、1960年代の高度経済成長の日本で生まれ、幼少期を過ごした子供たちは、さまざまに翻訳された『ピーターラビットのおはなし』を読みながら成長してきたことになる。
ちなみに、1902(明治35)年という年は、1894~95年の日清戦争に勝利した日本が、ジワリジワリと圧力を強めてくるロシアの南下政策の恐怖と戦いながら、1904年からはじまることになる日露戦争に備えていた時期。そんな中、現在の日米安保条約以上に強力な日英同盟が締結されることになったが、それが1902年1月30日のこと。この映画は、そんな時代のイギリスのお話・・・。
<あの時代の世代間抗争は・・・?>
この映画は、ある意味では自由と独立を目指す進歩的な娘と、秩序と安定に価値をおく保守的な両親との世代間抗争の中、堂々とそれを勝ち抜いたミス・ポターの姿を描いたもの・・・?戦後にわかにアメリカ流の民主主義をとり入れた日本では、突然自由・平等・民主主義がキーワードになったが、明治・大正そして終戦までの昭和の日本は、近代統一国家とは言いながら封建的思想が根強く残っており、女性の地位が低かったのは当然。近代民主主義国家の先輩であるイギリスでも、1902年当時それは同じようなもので、身分差別(秩序)と男女差別は当たり前のことだった。
ミス・ポターの両親は貴族ではないが上流階級だったから、彼女は当然子供の頃からそんなしつけと教育を受けてきたわけだが、なぜか彼女だけは動物の絵を描くことが大好き、物語をつくることが大好き、したがって結婚には全く興味なしという、両親にしてみれば実に困った娘に・・・。この映画は、1902年当時のイギリスの上流階級における、そんな世代間抗争を描いたもの・・・?
<良き父親・良き母親・・・?それとも・・・?>
ミス・ポターの父親ルパート(ビル・パターソン)は裕福な法廷弁護士だが、あまり法廷活動はやっておらず、もっぱら上流階級の紳士たちが集うクラブの会合に精を出している様子。また母親ヘレン(バーバラ・フリン)は、上流階級の人たちとのおつき合いがメインで、日々ホームパーティーのくり返し・・・?
といっても、あの時代の上流階級の人たちにとっては、それが悪いわけではなく当然の生活だった。現にミス・ポターが『ピーターラビットのおはなし』の出版で大成功を収めることができたのも、子供の頃いつも夏の時期に家族が行く、イギリス北西部の湖水地方にある別荘で過ごすことによって、情操タップリの教育を受けることができたおかげ・・・。つまり彼女が子供の頃、一緒に過ごした「お友達」の絵を描くことが大好きになり、そのお友達の物語を頭の中で組み立てていくのが大好きになったのは、そんな両親の下に生まれ、子供時代をそんな環境の下で育ったおかげ・・・。
しかし今、娘が男と一緒に印刷工場にまで乗り込んでいき、仕事を持とうとしていることは、母親にとっては全く考えられないこと。他方、自分も絵を描きたかったという体験のある父親は、娘のアーティストとしての才能と仕事ぶりは誇りに思うものの、出版社の青年ノーマンとの結婚となると話は全く別・・・。最初は出版をめぐって、次にはノーマンとの結婚をめぐって、自由で進歩的そしていつも前向きなミス・ポターと両親との確執が続くが、さてこんな両親は良き父親・良き母親・・・?それとも・・・?
<いつもどおりの名演だが・・・>
この映画に主演するレニー・ゼルウィガーは、『ブリジット・ジョーンズの日記』(01年)、『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』(04年)におけるコメディタッチの演技の他、『シカゴ』(02年)、『コールドマウンテン』(03年)でのすばらしい演技が印象に残る女優。また、ラッセル・クロウと共演した『シンデレラマン』(05年)でもいい味を出していた。そんな名女優が、この映画では主演だけではなくエグゼクティブ・プロデューサーを務めたのは、それだけこの映画に入れ込んでいるわけで、その入れ込みどおりの熱演をスクリーン上で披露している。
しかし、特に『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズで目立つのが、彼女のポッチャリ傾向・・・?彼女の美しい英語とセリフ回しのすばらしさはピカイチだが、はっきり言ってあの太め気味だけは何とかしてもらわなくっちゃ・・・?この映画では、あの時代特有の服装をしているからあまり目立たないが、彼女は1969年生まれだから、今年は38歳。したがって、今後は『ブリジット・ジョーンズの日記』の続編にこだわってはダメで、この『ミス・ポター』のようなオリジナルの題材を探さなければならないはず・・・。すると、大幅ダイエットをして美しいスタイルを取り戻さないと、主演できる役柄が限られてくるのでは・・・?
<ミス・ポターは独身主義者・・・?>
女性が職をもち、収入を得ることがいくらでもできる現在、あえて結婚し夫に養ってもらう必要性がないと思う女性が増えたのは当然。そんな意味での「結婚しない女」が増えているわけだが、彼女たちは決して独身主義を主張し、それを貫いているわけではない。したがって、仕事を自由にやらせてくれる物わかりのいい男性が現れれば、すぐに結婚の方向に方向転換することは可能・・・?
1902年という時代には珍しく、独身主義を貫いているのがノーマンの姉ミリー(エミリー・ワトソン)。しかしこれだって、母親の面倒を見なければならないという家庭の事情と周りにいい男がいなかったというのがホントの理由で、本当に独身主義者なのかどうかは疑問・・・。ましてや、そんなミリーに比べれば、ミス・ポターが今まで多くの男性からの結婚申込みを断ってきたのは、絵を描き物語をつくるという楽しいことができなくなると思っていたことの他、身分は良くても男としての魅力が全然ない男ばかりだったため・・・。
したがって、自分の仕事を理解し、絵本の出版に共通の喜びを見い出しているノーマンからのプロポーズに対して、ミス・ポターがすぐにYESと答えたのは当然。つまり、ミス・ポターの独身は主義主張にもとづくものではなく、たまたまいい男がいなかっただけ・・・。その証拠に、ノーマンを失った後、湖水地方に移り住んで第2の(本当の)人生を過ごすようになった中、同じような価値観をもった幼なじみで、今は弁護士をしている別荘管理人の息子ウィリアム・ヒーリス(ロイド・オーウェン)と結婚することになったのはごく自然の成り行き・・・?
<決断力があったんだ・・・>
この映画がどこまでホンモノのミス・ポターを表現しているのかは知る由もないが、映画を観る限り、ミス・ポターはあの時代には珍しく決断力をもった女性だったよう・・・。
彼女の才能と努力ぶりは、映画の前半に描かれる『ピーターラビットのおはなし』の出版に至るまでの姿を見ればよくわかる。他方、彼女の決断力は、思いもかけないノーマンの突然の死亡後、両親の家を出て1人湖水地方で暮らし始める決断と、それに伴う別荘地の購入によく表れている。さらに、そこに定住することによって第2の人生を見い出した彼女が、その後湖水地方の農地を次々と購入し、それを遺言でナショナル・トラストに寄贈したという決断力はホントにすばらしいもの。
時代の流れに制約されず、自分のやりたいことを自然のままにやっていくという人生の路線を決断してしまえば、その後ホントに強いのは男より女の方かもしれない。ナショナル・トラスト運動に大きく寄与した彼女の第2の人生は、ホントに立派のひと言・・・。
<湖水地方ってどこにあるの・・・?>
ミス・ポターの両親が今住んでいるのはロンドンだが、20世紀初頭のロンドンは、フランスのパリと並ぶ世界一の巨大都市。といっても、パリはあくまで「花の都」だが、産業革命を世界に先駆けて実現したイギリスのロンドンは、工業や情報・金融が集中する産業都市・・・?したがって、子供時代の夏をいつも過ごしていた湖水地方が大好きなミス・ポターが、ロンドンでの生活に馴染めなかったのはある意味当然・・・?
ミス・ポターの『ピーターラビットのおはなし』が創作されたのは、100%ミス・ポターがこんな湖水地方で過ごしたことの賜物だが、さて日本人には湖水地方と言われても、それが一体どこにあるのかわからない人が多いのでは・・・?実は私もその中の1人。そこで早速ネットで調べてみると、湖水地方はリバプールやヨークの少し北、エジンバラの南にある、イングランド北西部、カンブリア地方一帯の丘陵地。そして、東西40km、南北50kmの地域に細長い17の氷河湖や500を超える沼沢が点在するイギリス屈指の景勝地で、国立公園となっているとのこと。
この映画後半は、そんな美しい農村地帯で過ごしながら創作活動に励むミス・ポターの姿と、そんな農村地帯が売却されては開発されていくことに抵抗し、自らの資金で農地を買いとろうとするミス・ポターの姿をタップリと堪能することができる。こんな映画を観ると、やはり美しい自然が大切だと、すぐに自然保護派になってしまうのだが・・・。
<父娘一緒の鑑賞に最適だが・・・>
1960年代以降に生まれた日本人は、子供の頃『ピーターラビットのおはなし』の絵本を読んで、よく知っているのだろうが、誰のどんな頭の中からこんなキャラクターが生まれたのか、またその作者であるミス・ポターの生きザマについては、ほとんど知らないのでは・・・?その意味で、その世代の日本人がその子供たちの情操教育のために同じ絵本を与えていた場合、両親とその子供たち、とりわけ父親と娘が一緒にこの映画を鑑賞するのは教育上最適!なぜなら、この映画の中には、1902年のイギリスという時代的制約の中にありながら、あくまで自分の夢を追うことに情熱を燃やす若い娘の強い意思が描かれるとともに、両親との確執、独身主義の功罪(?)、また自分の理想を共有できる男性との出会いと別れ、そして第2の人生におけるナショナル・トラスト運動への取り組みなどが、わかりやすくかつバランスよく描かれているから。
もちろん、娘たちがすべてその夢や希望をミス・ポターと同じように実現できるわけではないが、「女だから・・・」という制約に負けず、前向きに生きていく姿をこの映画からしっかり学ぶことができることはたしか。もっとも今の日本では、貧富の格差、東京と地方の格差以上に世代間の格差が広がり、その意識の差は深刻だから、父親と娘が一緒に映画館に行くこと自体が滅多にないはず・・・?しかし、ホントにこの映画はそれに最適だから、あなたも少し工夫してみては・・・?
<短い映画もたまには新鮮!>
最近の映画は2時間を超える長いものが多い。例えば、6月16日に観た『ゾディアック』(06年)は、力作であることは認めるし、途中で飽きることはないものの、やはり2時間40分は長い。6月29日に観た『インランド・エンパイア』(06年)は、何とちょうど3時間。また『ブラッド・ダイヤモンド』(06年)は2時間23分、『ブラックブック』(06年)は2時間24分。中国(香港・台湾)映画も昔のものは短かったが、最近は3月14日に観た『百年恋歌』(05年)は2時間11分、3月16日に観た『孔雀 我が家の風景』(05年)は2時間16分、3月29日に観た『女帝 エンペラー』(06年)は2時間11分と長いものが増えている。
そんな傾向の中、『ミス・ポター』はたったの93分。冒頭からウォーン兄弟が経営する出版社の部屋の中で、ミス・ポターの絵と物語をチェックする兄弟とミス・ポターの姿が登場し、「ある事情」から出版オーケーとなる物語がスタートする。そして、ミス・ポターの半生記がひと通り描かれたと思ったら、ハイ、それでお終いとばかりに、字幕で、その後ミス・ポターがウィリアム・ヒーリスと結婚したこと、その後100年間にわたって彼女の作品が全世界で愛し続けられていることが紹介されてジ・エンド。
2時間半前後に及ぶじっくり考えさせられる大作もいいが、たまにはこんな短くあっさりした映画もかえって新鮮!
2007(平成19)年6月29日記