ストーン・カウンシル(フランス映画・2005年) |
<ユウラク座>
2007年7月8日鑑賞
2007年7月12日記
7歳の男の子の胸に突然現れたアザは、一体何を意味するの・・・?『オーメン』(06年)と同じなら、そりゃ恐ろしいことだが・・・。霊媒師や精霊信仰というややこしいお話には、モンゴルの秘境の地が最適かもしれないが、さてその是非は・・・?また、『マレーナ』(00年)で豊満な肉体を披露したモニカ・ベルッチが一転、ノーメイクで傷だらけ、血だらけとなって挑む母親の無償の愛がテーマだが、そのメッセージはあなたの胸にどこまで届くだろうか・・・?好きか嫌いか、両極端に分かれること確実なこんな映画にチャレンジしてみては・・・。
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監督:ギョーム・ニクルー
原作:ジャン=クリストフ・グランジェ『ストーン・カウンシル』
ローラ・シプリアン/モニカ・ベルッチ
リウ=サン(7歳のモンゴル人の男の子、ローラの養子)/ニコラ・タウ
シビル・ヴェベール(イニット財団理事、科学者、ローラの後見人)/カトリーヌ・ドヌーヴ
セルゲイ・マコフ(ロシア大使館員)/モーリッツ・ブライブトロイ
リュカ(ローラの別れた夫)/サミ・ブアジラ
クラリス(ローラのルームメイトの女性)/エルザ・ジルベルスタイン
フォンケル(主治医)/ピーター・ボンク
アルバトロス・フィルム配給・2005年・フランス映画・103分
<あのモニカ・ベルッチが・・・>
かつてイタリアを代表する若手女優の代表は、フランスのBB(ブリジット・バルドー)に対するイタリアのCC(クラウディア・カルディナーレ)だったが、今やイタリアを代表する若手女優はモニカ・ベルッチ。彼女の代表作は何といっても『マレーナ』(00年)。あの豊満な肢体は男なら誰でも憧れるもので、私がはじめて観た時もビックリ、ドッキリだったのだからその腰つきに少年の目がクギ付けになったのは当然・・・。
そんなモニカ・ベルッチが、ブルース・ウィリスと共演した『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(03年)が、7月8日(日)の夜ABCテレビの日曜洋画劇場で放映された。これは、せっかく救助のために駆けつけてきたブルース・ウィリス扮するアメリカ海軍特殊部隊の大尉に対して、内戦下のナイジェリアで働いていたモニカ・ベルッチ扮するアメリカ国籍の女医が、患者を置いて1人逃げることはできないと拒否したために始まる苦難の脱出劇を描いた感動作。この映画ではモニカ・ベルッチはその色気を封印し、難民のために闘う崇高で強い女を演じていた。
人間は誰しも自分にないものを求めるものだから、俳優だって絶世の美男・美女、あるいは世界有数の豊満でセクシーな女優と言われてもそれだけでは満足できず、全く異質の役柄に挑戦するケースはよくあること。そして、この『ストーン・カウンシル』における、モニカ・ベルッチはまさにそれ。何もここまで変身しなくてもいいのでは・・・?と思うほど、泥だらけ、血だらけとなって、7歳となった養子リウ=サン(ニコラ・タウ)を守り抜く母親役を熱演。
ちょっと小難しくて、訳のわからない映画(?)だが、少なくともモニカ・ベルッチの子供を思う気持と体当たり演技の迫力だけはヒシヒシと・・・。
<あのカトリーヌ・ドヌーヴが・・・>
他方、『昼顔』(67年)をはじめとして、1970~80年代のフランスを代表する女優がカトリーヌ・ドヌーヴだが、なぜか彼女は21世紀に入ってからも大活躍。2006年のベネチア国際映画祭では審査委員長を務めたし、最近は『キングス&クイーン』(04年)、『輝ける女たち』(06年)等に次々と出演し、未だに劣えぬ美貌でオールドファンを惹きつけている。そんなカトリーヌ・ドヌーヴが、この映画では珍しく悪役で登場・・・?
この『ストーン・カウンシル』は大阪ではユウラク座1館のみの上映という冷たい待遇を受けているが、7月5日に観た名作『石の微笑』(04年)と同じくれっきとした2007年フランス映画祭への出品作品。したがって、フランス映画祭の開催にあたっては、モニカ・ベルッチもカトリーヌ・ドヌーヴも舞台あいさつのための来日が予定されていたが、ネット情報によれば、なぜかモニカ・ベルッチは来日キャンセルになったうえ、カトリーヌ・ドヌーヴのあいさつもなかったとのこと。しかしてそれは、「ドヌーヴもあんな役では可哀相に」「ドヌーヴもお気の毒でした・・・これでは舞台挨拶も立たないのもわかるような気も・・・」というブログ「Brilliant Days」への書き込みのような理由のため・・・?
<冒頭からサッパリわからないが・・・>
映画の冒頭、ある大きな施設を舞台として、夫婦者らしい2人連れが登場し、ある人物を連れて脱出しようとしている姿が緊迫感のある雰囲気の中で描かれる。その場所は全くわからないが、大量の雪が降っているところを見ると、かなり寒い地方のよう・・・。
やっと車の中に乗り込んだものの、この3人は周りを銃を持った男たちに取り囲まれて銃撃されたうえ、井戸のようなものの中に放り込まれることに。瀕死の妻は子供の顔が写っているロケットに手を伸ばそうとするが、そこで力尽きて・・・。さて、こんな冒頭シーンは、一体ナニを・・・?
<母親の無償の愛が大テーマ・・・?>
こんなシーンの後、ロシア語の通訳をしている女性ローラ役のモニカ・ベルッチが登場する。それは、ある養護施設に赴いて養子をもらい受けるシーン・・・。その子供を見て、私は一瞬器量の悪い女の子かと思ったが、それはまちがいで、これは2歳になるリウ=サンという男の子。そして何と、その子はモンゴル人。
モニカ・ベルッチはイタリア人だが、ローラはフランス人という設定だから、モニカ・ベルッチがしゃべっているのはフランス語。
さらに仕事がロシア語の通訳だから、映画の中に登場してくる言葉は実に盛りだくさん・・・。また、ストーリー展開を見ていると、ローラには離婚した夫リュカ(サミ・ブアジラ)がおり、その夫はもう1度ヨリを戻そうとしているようだが、ローラは全然そんな気はなく、養子のリウ=サンと一緒に生きていく決心を固めている様子。彼女がなぜ養子をもらったのかというと、それは子供を生めない身体だということがはっきりしたためだが、自然にいくらでも子供が授かる女性と違って、子供を生めない女性はかえって子供に対する愛着が強いよう・・・。したがって、養子であっても、リウ=サンに対するローラの愛情の注ぎ方は並大抵ではない。そんなモニカ・ベルッチ扮するローラの養子への無償の愛が、この映画の底辺を流れる大きなテーマ・・・。
<ダミアンは5歳から、こちらは7歳から・・・>
生まれながらにして不思議な能力をもった子供が、世の中にはいるもの。『オーメン』(06年)における、バート・ソーンとケイトとの間に生まれた子ダミアンがその典型だが、『クリムゾン・リバー』で知られるフランスのミステリー作家ジャン=クリストフ・グランジェが書いた怪奇小説『ストーン・カウンシル』でも、リウ=サンに変わった徴候が表れたのは7歳から。しかもダミアンと同じように、こちらは左胸に不思議な形をしたアザが現れてくるからご注目・・・。
心配したローラはかかりつけの主治医フォンケル(ピーター・ボンク)に診てもらうが、全く異常なしとのこと。ところがそれ以降、リウ=サンとローラは全く同じ夢を見たり、不思議な幻覚を覚えるようになったが、実はこれも『オーメン』と同じような展開。
さあ、このアザは一体何の予兆・・・?そして、何らかの不思議な能力をもっているのであろう7歳の子リウ=サンをめぐって、どんな人物や勢力が・・・?
<霊媒師や精霊信仰にふさわしい舞台は・・・?>
ローラはフランスに住み、ロシア語の通訳をしているが、仕事上で家を留守にする時にお世話になっているのが、ルームメイトで親友のクラリス(エルザ・ジルベルスタイン)や孤児であったローラが3歳の時から後見人をしており、慈善団体イニット財団の役員でもある科学者のシビル(カトリーヌ・ドヌーヴ)。今日も3日間の出張を控えて、ローラはシビルにリウ=サンを預かってもらうよう手配したが、その間、ローラの前にはロシア大使館員のセルゲイ・マコフ(モーリッツ・ブライブトロイ)や、不思議な顔つきをした訳のわからない老人たちが登場してくるから、話は結構ややこしい・・・。しかもそれが、どこまでが現実で、どこまでが幻覚なのかはわからないから、よけい大変。
後半に至ってやっとわかってくるのは、呪術を行う霊媒師なるものの存在。そしてもう1つ、森林地方に住む一部の人々の間で言い伝えられてきたという精霊信仰の存在。その精霊信仰とは、ある信仰を深めていくと何らかの思いが動物に姿に変えて現れてくるというもので、現にこの映画ではそれは、巨大な鷲、首に巻きつく蛇、そして襲いかかってくる熊など・・・。
そんな霊媒師や精霊信仰にふさわしい舞台は、どこ・・・?フレンチ・ミステリーの旗手と呼ばれるギョーム・ニクルー監督がその白羽の矢を立てたのは、モンゴル。2006年はモンゴル建国800年にあたるから、それを記念したわけではないだろうが、後半のハイライトシーンはモンゴルの秘境を舞台として展開されることに・・・。いかにもモンゴルらしい風景が次々と登場するので、それは興味深いが、モンゴルの秘境と言われても、日本人の私たちにはなかなか理解できないのは当然・・・。
<2007年7月6日付毎日新聞夕刊は・・・?>
毎週金曜日の夕刊は各紙とも映画の宣伝と評論を載せているが、これはどうしても大作や話題作に偏りがち。そんな中、7月6日(金)の毎日新聞夕刊「芸能ウェーブ」で、フリーライターの南部ひろ氏が、7月7日公開の『ストーン・カウンシル』を取りあげたのは勇気ある決断。だって、私は7月8日(日)の7時からの回でこの映画を観たが、予想どおり観客は10名足らず・・・。しかもその半数は、いつものように(?)ビールとつまみを持ち込んで飲み食いしながら、半分寝ているようなオッチャンたちなのだから・・・。
南部ひろ氏は、第1に精霊信仰について「アザの謎を追い、リウ=サンのルーツを求めて、モンゴルの秘境へと旅立ったローラが、森林地帯に住む人々の間で受け継がれてきた精霊信仰に触れ、動植物との共生文化の存在に気づく過程を説得力のあるものにしている」と書き、第2に「今年は『沈黙の春』の著者、レイチェル・カーソンの生誕100年にあたる」と指摘したうえで、「自然破壊を続けてきた現代の科学技術文明に代わる新しい文明の創造を模索し、示唆に富む」と大上段から問題提起をしている。しかし、これらの解説は私には多少理解できても、この日来ていたようなレベルの10名弱の観客にはとてもムリ・・・?ちなみに、「Brilliant Days」という映画の感想専用のブログに前述のような書き込みをしていた若者たち(?)は・・・?
2007(平成19)年7月12日記