寂しい時は抱きしめて(カナダ映画・2005年) |
<ユウラク座>
2007年7月21日鑑賞
2007年7月25日記
私もそろそろ60歳。したがって、今さら若い娘の「SEXしても愛は生まれない。SEXだけじゃ愛し合えない」などという悩みにつき合っても仕方ないのだが、つい・・・。しかして、「なるようになって良かったんじゃない・・・」というのが、この映画を観た私のかなりいい加減な感想・・・。だって、こんな結末ってホントにあるの・・・?私にはどうしてもそう思えて仕方がないから・・・。
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監督・脚本:クレメント・ヴァーゴ
原作・脚本:タマラ・フェイス・バーガー
ライラ(20代の女性)/ローレン・リー・スミス
デビッド(ライラの恋人)/エリック・バルフォー
ヴィクトリア(デビッドの昔の恋人)/ポリー・シャノン
レイチェル(ライラの従姉妹)/クリスティン・リーマン
ジョシュア(デビッドの父親)/ドン・フランクス
AMGエンタテインメント配給・2005年・カナダ映画・93分
<スケベおやじは、チラシを見て期待したが・・・>
チラシによれば、この映画は第30回トロント国際映画祭正式出品作品、第57回ベルリン国際映画祭<パノラマ部門>出品作品、第26回ジニー賞2部門(音響・作曲)ノミネート作品とのことだが、大阪での上映はユウラク座1館のみという冷たい待遇。それは、ヒロインのライラを演じるローレン・リー・スミスが映画初出演で、日本では知名度がないため・・・?しかしチラシには、「SEXしても愛は生まれない。SEXだけじゃ愛し合えない。」「カラダで感じる恋よりも、こころで感じる愛がほしい。」と何やらワケあり、意味シンな文章が綴られているうえ、キレイな顔立ちのヒロインのかなりきわどいシーンの写真も・・・。こんなチラシを見てスケベおやじの私としては大いに期待したが・・・。
7月21日夜8時10分からの上映における観客は、例によって10名にも満たないし、その多くは寝ているようなオッサンばかり。私はそんなオッサンたちを無視し、この映画のエロ性、おっとまちがった、そうではない、芸術性に期待したが・・・?
<瞬感恋愛度チェックとは・・・?>
この映画のチラシには、瞬感恋愛度チェックとして10項目の質問がある。面白いので全Qを紹介すれば次のとおり。①相手に迫られたら断れない。②交際しても1カ月未満で別れてしまう。③出逢ってすぐにHしてしまう。④部屋に一人でいると寂しくて耐えられない。⑤携帯電話がないと不安だ。⑥メールが来ているか絶えずチェックしてしまう。⑦常に声をかけられる男性が3人以上いる。⑧連絡先を聞かれると、すぐに教えてしまう。⑨携帯のメールアドレスで誰のかわからないのが多い。⑩相手に電話すると冷たくあしらわれてしまう。そして、Yesが8個以上だと「レッドカード(超危険!)です。もう一度自分を見つめ直しましょう」とのこと。
さて、あなたの採点結果は・・・?といっても、これは若い女の子に対する質問だから、『SHOW-HEYシネマルーム』を読んでくれている数少ない若い女性に対する私からの問いかけ。そして、私の本の読者である若い女の子は、Yesが0~1個の、「あなたは自分自身をしっかり持っています」に該当する人が多いはず・・・?
<瞬感恋愛とは・・・?瞬感恋愛世代とは・・・?>
「瞬感恋愛度チェック」からわかるように、「瞬感恋愛」とは、要するにナンパされたらすぐに男について行き、Hしてしまう女の子がする「恋愛」のこと。そして「瞬感恋愛世代」とは、この映画の主人公ライラのように、そんな瞬感恋愛が恋愛だと思い込んでいる世代全般のこと。
しかして、「官能小説家」タマラ・フェイス・バーガーの原作を基にしたこの映画の大テーマは、愛とは?セックスとは?という深遠なもの。もっとも、この映画が描くより具体的なテーマは、ライラは瞬感恋愛をくり返しているけれども、ホントにほしいのは心からの愛だということを前提としたうえで、ホントの愛って一体何・・・?ということ。そして「カラダで感じる恋よりも、こころで感じる愛がほしい」と願うライラの、『エマニエル夫人』(74年)には遠く及ばないものの、彼女なりの男遍歴の中からたどり着く愛の姿を描くもの・・・?
<これぞ瞬感恋愛!>
ライラはクラブへ行き、怪しげに身体をくねらせながら男たちを誘惑するのが大好きそう・・・?したがって、そこで誘いをかけてくる男たちの中から良さそうなのを選り取り見取り・・・?
多分そんな瞬感恋愛をくり返していたであろうライラだったが、今酔って洗面台の前にもたれかかっているライラに対して、水道の水を手のひらですくって差し出してくれた男がデビッド(エリック・バルフォー)。そこで目と目が合うと、その瞬間2人は惹かれあったというから、話は早い。
<デビッドは、ちょっと勝手が・・・?>
もっとも2人とも、目下他にお相手=セックスフレンドがいたから、その後2人はお互いのセックスを見せ合うという高等テクニック(?)も・・・?しかし、ちょっとスカートをまくって誘えばすぐにセックスに応じると思ったライラの思惑はデビッドには通じなかったため、まずそこでライラは戸惑うことに・・・。そして、そこからライラのデビッドに対する見方が、それまでの男に対する見方とは大きく違ってきたから面白い。もっとも、それも束の間のことで、やがて当然のように、デビッドについていったライラは、デビッドの家の中の白い大きなベッドの上で大胆なセックスを・・・。
<こんな会話にビックリ!>
アメリカは性的に解放され、性の会話も自由で露骨・・・。これはひと昔前の話で、今や日本の若い女の子のセックスについての会話の露骨さはすごいもの、らしい・・・?そして、女同士のセックスに関する会話が露骨なのは万国共通・・・?
それは、ライラと従姉妹のレイチェル(クリスティン・リーマン)の女同士の会話を聞いているとよくわかる。女同士、しかも従姉妹同士となれば、何でもセックスに関する本音をぶつけることができるようで、結婚式を控えているレイチェルは、結婚相手としては真面目な○男がいいけれども、セックスの相手としては△男がいい、そこで何とか2人ともうまく・・・?などと調子のいいことを・・・。これが必ずしも冗談ではなく、かなり本気の発言であることにビックリ!
<デビッドは今ドキ珍しい親思い・・・>
ライラとデビッドが最初にセックスをした部屋は、デビッドが父親のジョシュア(ドン・フランクス)と一緒に住んでいる家の中。デビッドは蒸発した母親に代わって、介護が必要な父親の世話を甲斐甲斐しくやっている青年だった。ジョシュアを風呂で洗ってやったり、シモの世話をしてやったりというシーンを見ていると、デビッドは今ドキちょっと考えられないような好青年・・・?
<愛とは何か?それ以前に思いやりが・・・?>
そんなデビッドだから、クラブに行ったライラが再び男を誘うようなセクシーな踊りを見せると、たちまちおかんむり。そのうえ、ある日ジョシュアが突然死亡してしまったため、その悲しみに暮れるデビッドの気持をライラが受け止めるのは大変。そんな重みに耐えかねたライラは、ある日そっとベッドを抜け出していくことに。そして、遊び回った挙げ句、酔っぱらって帰ってきたから事態が急変することに・・・。
ホントの愛とは何か?そんな大上段から大層な問題提起をしなくても、それ以前に大切なことは、相手に対する思いやり。つまり、悲しみに明け暮れているデビッドを放り出して自分1人だけ遊びに行ったライラが悪いことは決まっているのだが、ライラがそんな行動をとったのは、単純にライラが未熟なせい・・・?もしそうだとすれば、愛とは何か?などと難しい議論をする前に、根本的な教育改革が必要なことは明らかだが・・・?
<よくまあ、こんなことを・・・>
私には女の子の性欲がどんなものかわからないが、ライラが次々と男とのセックスに走っている(いた)のは男のような性欲によるものではなく、愛がほしいから、なのだろうと少しは理解・・・?しかし、ホントの愛を求めていたはずのデビッドとの愛に破れたライラの次の行動はいただけない。すなわちそれは、誰でもいいから男を誘ってセックスをすることによってデビッドを忘れ、次の愛に走ろうというものだった。20代にもなって、こんな子供みたいな行動は、まさにナンセンス!
他方、デビッドはやはりライラが恋しいのだが、その代わりとして昔の恋人ヴィクトリア(ポリー・シャノン)とまたセックスしようとしたところ、デビッドはヴィクトリアを抱くことができなかったというシーンが・・・。しかしこれは、私を含む多くの男が「エー、ウソ」と思うもの・・・?ひょっとして、官能小説家の女性タマラ・フェイス・バーガーは、男の生理がわかっていないのでは・・・?
<それで良かったんじゃない・・・?>
映画『卒業』(67年)における、ベンジャミンが教会の中から花嫁のエレーヌを奪って逃走するシーンは、多くの映画ファンの目に焼きついているが、この映画のラストシーンはそれと同じような、ライラの従姉妹レイチェルの結婚式。もちろんライラはそこに出席し、ウェディングが終わればパーティーが始まることに。
するとそのパーティーに乗り込んできたのがデビッド。そしてデビッドはさかんにライラにまとわりついてくるが、いったん別れてしまった男に対してそう簡単に振り向いたのでは、女の沽券にかかわるのは当然。そこで、ライラはそんなデビッドを無視していたのだが・・・?
その後のストーリー展開は、あなた自身の目で確かめてもらいたいもの。そして、最終的なこの映画についての感想は、「それで良かったんじゃない」ということ。もっとも、その感想の半分は投げやりなもので、どうでもいいんだけど・・・というニュアンスが含まれていることを、『SHOW-HEYシネマルーム』ファンのあなたにはくみ取ってもらいたいものだが・・・。
2007(平成19)年7月25日記