LONDON CALLING(アイルランド、イギリス映画・2006年) |
洋07-183 ★★★
<試写会・テアトル梅田>
2007年7月26日鑑賞
2007年7月27日記
ジョー・ストラマーは1976年から10年間、「クラッシュ」のリーダーとして大活躍したパンク音楽の「異才」だが、弁護士活動に専念していた当時の私には全く縁のなかったもの。しかし今、その音楽を聴くとその先進性とメッセージ性に共感できるばかりか、私より3歳年下の彼の生きザマと人間性にもすごく興味が・・・。あなたも食わず嫌いをぜず、こんな映画もたまには・・・。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督:ジュリアン・テンプル
ジョー・ストラマー
ジョニー・デップ(俳優)
ボノ(U2 Vo)
マーティン・スコセッシ(映画監督)
ボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム Vo)
アンソニー・キーディス(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ Vo)
ジム・ジャームッシュ(映画監督)
フリー(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ B)
スティーヴ・ジョーンズ(元セックス・ピストルズ G)
ダミアン・ハースト(アーティスト)
ジョン・キューザック(俳優)
マット・ディロン(俳優)
スティーヴ・ブシェミ(俳優)
ドン・レッツ(DJ、元ビッグ・オーディオ・ダイナマイト)
コートニー・ラヴ(ミュージシャン、女優)
テリー・チャイムズ(元クラッシュ Dr)
ルース・メラー(ストラマーの妻)
ボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム Vo)
トッパー・ヒードン(元クラッシュ Dr)
ミック・ジョーンズ(元クラッシュ G)
東北新社配給・2006年・アイルランド、イギリス映画・123分
<この夏は、この手の映画が次々と・・・>
私は音楽映画は大好きだが、それはミュージカル系、クラシック系、ダンス系等々で、ロック系やパンク系の映画はこれまでほとんど観たことがない。テアトル梅田では過去にもそういう系統の映画を時々やっていたが、私はあまり目にとめていなかった。ところが今年の夏は、今日試写で観た『LONDON CALLING ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』をはじめとして、『カート・コバーン アバウト・ア・サン』(06年)や『グラストン・ベリー』(06年)さらに『スクリーミング・マスターピース』(05年)など、その系統の作品が目白押し。
私はエルビス・プレスリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどはよく知っているが、実はカート・コバーンの名前もこの映画のジョー・ストラマーの名前も知らなかったもの。さらにこの映画の中でジョー・ストラマーが「ピストルズはいきなり全てを噴き飛ばした。ドアを蹴破る前の催涙弾だった・・・それだけ新しく、何百万年も先を行っていた。街の音楽を全て破壊してしまった。彼らがステージに上がった瞬間から他は完全に終わっていた」と語っているバンド「セックス・ピストルズ」の名前は聞いたことはあっても、その音楽もこれまで全く聴いたことがなかったもの・・・。
しかし、お世辞やおべんちゃらではなく、ジョー・ストラマーの音楽は聴いていて全く違和感がなく、すんなりとけ込んでいくことができた。したがって、123分という時間がホントにアッという間に過ぎてしまったことにビックリ。
<ジュリアン・テンプル監督と「クラッシュ」「セックス・ピストルズ」との一体感は・・・?>
ジョー・ストラマーを最も有名にしたのは、ギターのミック・ジョーンズらと共に活動した「クラッシュ」としての1977年から1985年までの10年間の活動によるもの(もっとも、ミック・ジョーンズは1983年にクビ・・・)。この間6枚のアルバムをリリースし、イギリス、アメリカで大活躍したクラッシュは、「同じ年に生まれ、多くの矛盾や時代や体験を共有してきた」というこの映画を監督したジュリアン・テンプル監督にとっても、セックス・ピストルズと共にかけがえのない存在だったよう。ジュリアン・テンプル監督は、1976年のクラッシュ結成時からジョー・ストラマーらを追いかけたが、セックス・ピストルズの企画が先に動き始めたため、処女作『Sex Pistols Number 1』(77年)や『セックス・ピストルズ/グレート・ロックンロール・スウィンドル』(80年)、さらに『NO FUTURE A SEX PISTOLS FILM』(00年)を監督することに。しかし、「ジョー・ストラマーの最後の10年間を親しい友人として過ごした」というジュリアン・テンプル監督は、2002年にジョー・ストラマーが亡くなった後、まず『GRASTONBURY グラストンベリー』を完成させたうえ、満を持して本作を発表することに・・・。
ジュリアン・テンプル監督もジョー・ストラマーも1952年生まれだから、私の3年後輩。したがって、ジョー・ストラマーが「クラッシュ」のリーダーとして最盛期を迎えていた時代は、私も弁護士として朝早くから夜遅くまで活動していた時期と重なるから、私がそんな「雑音」に耳を傾けるヒマがなかったのは当然。しかし、ジョー・ストラマーが2002年に死亡したことを受けて、彼の生涯がまとめられたこの映画で彼の生きザマを見れば、まさに感無量・・・。
<興味深い子供時代>
この映画は、1976年のクラッシュ結成時からジョー・ストラマーを追いかけたジュリアン・テンプル監督の作品だが、そこに描かれる子供時代のジョー・ストラマーの姿が興味深い。ジョー・ストラマーの父親はインド生まれの外交官だが、音楽的素養はまるでなし。したがって、スコットランド出身の母親の音楽的素養を次男のジョー・ストラマーが受け継いだようだが、18カ月年上の兄デヴィッドはジョー・ストラマーとは性格が正反対だったらしい・・・。
兄は真面目で優秀、弟は成績は最悪だが要領をカマすのは上手で、人づき合いも抜群。そんなパターンがこの兄弟にピッタリ当てはまったらしい。さらに、外交官という父親の職業上、トルコで生まれたジョー・ストラマーたちは、その後カイロ、メキシコシティ、旧西ドイツのボンなどを転々とした後、ロンドンの厳格な寄宿学校で過ごしたが、この間父親との面会はほとんどないまま、悪さの限りを尽くしていたらしい。当時の8mmフィルムで撮られたそんな様子がスクリーン上に次々と流れてくるが、これらは何とも貴重な映像。
弟は両親と会えない寂しさやさまざまな抑圧による欲求不満をこんなふうに適当に晴らしていたが、兄デヴィッドはそれができなかったためか、若くして自殺してしまうことに・・・。そんな兄を見たジョー・ストラマーは、一方で人間の不幸を一身に背負ったような人格を形成しつつ、他方で漫画家としての道を探りながら、ロックバンドを結成したり・・・。
時代は1970年に入ったところ。そこでは、ベトナム戦争反対の世界的な運動は高まり、それに呼応するかのように世界の若者たちの反体制のうねりも高まっていくことに。そしてもちろん、ジョー・ストラマーは常にそんな若者たちの先頭を走っていた様子・・・?
<興味の第1は音楽性、第2は人間性、そして第3は・・・?>
ジュリアン・テンプル監督がセックス・ピストルズやジョー・ストラマーに対して興味を示したのは、何よりも第1に彼らの音楽性だが、ジョー・ストラマー音楽の時代の先取り性やメッセージ性については私がここであれこれと評論する能力はないのでノーコメント。ただ私も一発でハマってしまったという告白だけに留めておこう。
そこで、私がジョー・ストラマーに対してもつ興味の第2はその人間性。もっとも、それだけではあまりにも漠然としてしまうが、バンド結成時におけるメンバーの集め方や、メンバー変更(切り捨て)の際の実行力、とりわけロクにギターを弾けないミック・ジョーンズにギターを弾かせるという決断を見ていると、寄宿舎時代に培った人間観察眼のすごさがよくわかる。さらに、セックス・ピストルズに衝撃を受けたという彼の変わり身の早さと、クラッシュ発足後のバンド活動へののめり込み方や集中力はすごいもの。
そして興味の第3は、人間性と関連するものだが、彼の女性観と父親としての姿。子供の頃は完全に父親と縁を切ろうとし、30代はあれほどバカをしていたジョー・ストラマーも、2人の女の子が生まれ成長するにつれて、何とも意外な父親像を・・・。他方、女性に関しては「ジョーにも最悪なところがある。僕が恋人とケンカして彼女を部屋から追い出した。するとジョーが彼女と・・・。それは、相当傷ついたよ」と告白している元クラッシュのドラマー、トッパー・ヒードンの証言を聞けば、大体想像がつこうというもの・・・。
<タイトルには少し工夫が必要・・・?>
この映画の原題は、『The Future Is Unwritten』、つまり「将来(未来)はまだ書かれていない」という抽象的なもの。これは、ジョー・ストラマーは2002年に50歳の若さで亡くなってしまったが、彼の物語は今なお人々に語り継がれ、まだ将来(未来)は書かれていないというような意味・・・?ところが、邦題は『LONDON CALLING』というサブタイトルをつけているが、『ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』という面白くも何ともない、直接的なもの。わかりやすいといえばたしかにそうだが、映画のタイトルとしては、もう少し工夫が必要では・・・?
<さらに、ジャンルを広げていかなければ・・・>
今回この映画を観たことで、私はロック音楽やパンク音楽についてのミュージシャンたちの音楽性や生きザマ・人間性についての興味が急速に広がっていくことになった。その意味で、今回は夜の8時55分から11時までの上映だったが、来て良かったと思っている。これからはさらに、こういう映画までジャンルを広げていかなければ・・・。
2007(平成19)年7月27日記