クローズド・ノート(日本映画・2007年) |
<東宝試写室>
2007年8月17日鑑賞
2007年8月18日記
沢尻エリカと竹内結子の「共演」にはビックリだが、さてこの2人に伊勢谷友介がどんな絡みを・・・?他人の日記を勝手に読むのはダメだが、そこからこれだけ物語が展開し、ヒロインが大きく成長することができるなら、勝手に読まれた方も本望・・・?行定勲作品に共通する「長さ」は多少問題ありだが、映画づくりのうまさは秀逸。クライマックスを迎える中、大きな感動があなたの胸に広がっていくはず・・・。
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監督:行定勲
原作:雫井脩介(しずくいしゅうすけ)『クローズド・ノート』(角川書店刊)
堀井香恵(かえ)(女子大生)/沢尻エリカ
真野伊吹(小学校教師)/竹内結子
石飛リュウ(画家兼イラストレーター)/伊勢谷友介
山崎星美(石飛に仕事の世話をする女性)/板谷由夏
池内ハナ(香恵の親友)/サエコ
鹿島(ハナの恋人)/田中哲司
夏目涼(香恵が好きなVシネスター)/黄川田将也
喜一郎(「イマヰ萬年筆」の社長)/中村嘉葎雄
可奈子(喜一郎の娘)/永作博美
瀬川(マンドリン倶楽部顧問)/篠井英介
中沢正道(新聞の連載小説の作家)/石橋蓮司
東宝配給・2007年・日本映画・138分
<紙ヒコーキに注目!>
誰でも小学生の頃は紙ヒコーキを折り、それを飛ばして遊んだのでは・・・?ひょっとして子供の心を持ち続けているあなたは、大人になってもさらに還暦を迎えようとしている今でも、それは同じ・・・?
映画の最初は、スクリーン上に何が提示されているのか観客はよくわからないはず。しかし数秒、数十秒経つと、それが紙であり、その紙から紙ヒコーキがつくられていくことがわかる。子供たちの夢や奇蹟をテーマとした『遠くの空に消えた』(07年)をつくった行定勲監督は、それに続く『クローズド・ノート』でも、字幕と共に最初に登場するこんな紙ヒコーキのシーンの中にさまざまな思いを込めていることは明らか。したがって、そんなオープニングに是非注目を!
<何かとお騒がせな沢尻エリカが主役・・・>
井筒和幸監督の『パッチギ!』(05年)で数々の新人賞を総ナメにしたのが、1986年生まれの沢尻エリカ。天性の美貌とスタイルに恵まれ、演技力も抜群の沢尻エリカだが、気が強く、あらゆる面でワタシ流を貫く彼女は、何かとマスコミのターゲットにされている感じ。したがって、私がいつも日曜日に20km走をしながら観ている『週刊えみぃSHOW』でも、まさみ会VS沢尻会、すなわち優等生の長澤まさみVS問題児の沢尻エリカという形で再三話題にのぼっている。そんな彼女だが、この映画では小学校の先生になることを志望し、今は教育大学に通う真面目な女子大生として登場!
後述のように、沢尻エリカ演ずる堀井香恵の気の強さは、あのシーン、このシーンで登場するものの、全体としてはしっかりとまとまって「心の力」をメッセージとして伝えていく役割を十分に果たしている。何でも横並び志向が強い今の日本では珍しい、野球で言えばイチローや落合タイプ(?)の彼女をヘンに妥協させず、その地をしっかりとキープしたまま、大女優に成長してもらいたいものだが・・・。
<何かとお騒がせな竹内結子も準主役で・・・>
他方、プレイボーイ(?)の歌舞伎俳優中村獅童との正式離婚が今か今かと騒がれているのが、私の大好きな1980年生まれの竹内結子。三島由紀夫原作、行定勲監督の『春の雪』(05年)では妻夫木聡と共演し、美しいラブシーンも見せてくれたが、さてこの映画では・・・?ホントは問題児の沢尻エリカとの共演ではやりにくいのではと心配していたが、ストーリーの展開につれてそんな心配は吹っ飛んでしまうことに・・・。
映画そのものの主役は沢尻エリカ演ずる香恵だが、ストーリーの枠組みにおけるメインテーマは、竹内結子演ずる真野伊吹先生が言う「心の力」。『遠くの空に消えた』で子供たちの夢や奇蹟をタップリ描いた行定勲監督の思いは、この『クローズド・ノート』でもタップリと・・・。そして、そんな監督の思いを体現するのが、クローズド・ノートをアパートの部屋に残していった伊吹先生だ。
安倍内閣の下で「教育再生会議」を発足させざるをえなかったこと、また発足させたにもかかわらずロクな答申がなされなかったこと、それは要するに小学校の現場において、担任したクラスを家族と考え、生徒たちを太陽の子と表現し、「心の力」を与えようと努力した伊吹先生のような先生がいなくなっているということだ。そんな現在のニッポン国を憂える立場からも、竹内結子演ずる伊吹先生に大注目!
<伊勢谷友介も実にいい役で・・・>
7月15日に観た『図鑑に載ってない虫』(07年)では、何ともいえない奇妙なキャラを演じていた伊勢谷友介が、この映画では石飛リュウという画家兼イラストレーターとして何ともいい役を演じている。昔はどちらかというと、こういう軽々しいタイプ(?)の芸術家は少なく、どちらかというと芥川龍之介や中原中也のような、人間の問題点を一身に背負ったような芸術家が多かった感じ(もっとも、山下清だけは別・・・?)だが、石飛の芸術に関する熱意は決して決して軽々しいものではない。もっとも、それがホントに見えてくるのは映画の後半、とりわけ彼がはじめての個展を開くシーンを待たなければならない。
香恵のバイト先である「イマヰ萬年筆」をはじめて訪れてきた石飛の万年筆の選び方も何かヘンだから、それだけでは、この男が何のために、どんな万年筆を求めてきているのかは全く見えてこないもの・・・。たまたま「イマヰ萬年筆」を経営している喜一郎(中村嘉葎雄)やその娘の可奈子(永作博美)のアドバイスによって、石飛は理想的な万年筆に出会うことができたが、ホントはそれは万年筆だけではなかったのでは・・・?
まあ、ここらあたりは私の独断で決めつけてしまうわけにはいかない大テーマだが・・・?
<原作モノ映画のブームだが・・・>
2007年8月18日付日経新聞の「エンタ!Q&A」は、「原作もの映画、なぜ増える?」と題して、「今年に入ってから公開された原作映画は、すでに五十作品を超えています」としたうえで、その背景をテレビ局、広告代理店、出版社などの各媒体が映画に出資し、各媒体のプロモーションで盛り上げていく「製作委員会方式」が定着したためと分析している。また、「小説家が映画製作にかかわる例も増えてきています」との分析もあるが、ここでは原作モノ映画が増えていることについて、批判的なことは全く書かれていない。
しかし、原作モノ映画が増えているということは、すなわちオリジナル脚本の映画が減っているということだから、ある意味で映画の企画・構想が貧弱化しているという危険信号であることはまちがいない。ちなみに、行定勲監督の『遠くの空に消えた』はそんな現状の中、オリジナル脚本にこだわってつくられた一本だ。もちろん、原作モノ映画がすべて悪いというわけではないが、アメリカでアメコミものばかりに企画が偏るのと同じように、安易な企画ばかりに偏る危険があることは事実。
しかして、雫井脩介の『クローズド・ノート』を原作としたこの映画は・・・?所詮、原作モノであろうが、オリジナルものであろうが、映画としての出来が良ければそれでいいし、出来が悪ければダメというのが基本。そういう基準でみれば、原作モノ映画である、この『クローズド・ノート』の出来は、出色!
<今ドキ、あんな先生が・・・?>
今やわがニッポン国の学校教育と家庭教育は堕ちるところまで堕ち、軌道修正不可能というところまで来ているというのが私の認識。したがって、教育再生は並大抵の覚悟や体制ではできないと考えていたのに、安倍政権における「教育再生」についてのあの体たらくは一体ナニ・・・?もっとも、4年2組の36名の担任教師としてはじめて教師の仕事に就く伊吹先生のような先生が現実にいるのなら話は別だが・・・。
伊吹先生が初日の授業で生徒たちに求めたのは、第1に、4年2組を家族のようなものにしようということ。第2に、生徒たちに「太陽の子」になってもらいたいということ。そのココロは映画を観て十分味わってもらいたいが、今ドキこんなことを心の底から素直に生徒たちに語りかけることができる先生が1人でもいるの・・・?
また、この映画最大のポイントは、伊吹先生が書き残した1冊の日記だが、こんなに率直に日々の出来事を文章にして日記帳に表現し綴ることができる新任教師ってホントに今ドキいるの・・・?こんな私の心配が杞憂であればいいのだが・・・。
<万年筆も、今ドキ珍しい小道具・・・>
しかも伊吹先生が綴る日記帳は美しい字でビッシリと書かれたもの。注目すべき第1は、その字の美しさ。表現力や文章力もそうだが、映画と現実は大違いで、今ドキ丸文字しか書けない教師がゴロゴロいるのでは・・・?
注目の第2は、何とそれが万年筆で書かれていること。私も司法試験の勉強時代と弁護士登録後数年間は、万年筆を使用していた(ちなみに、司法試験の論文試験は愛用の万年筆で書いたもの)。しかし、自分の書いた書面を直接成果品として出すことがなくなり、もっぱらワープロ用、パソコン用の下原稿を書くだけになってくると、万年筆は机の奥にしまい込み、太めのシャープペンシルを愛用するようになってしまった。
今ドキ、万年筆を使っているのは、原稿用紙に生の文字を書いている作家くらいではと思うが、今ドキの若手作家はみんなパソコンで入力しているはず?したがって、万年筆人口は減少の一途で、万年筆産業はお先真っ暗・・・?そう思っていたが、この映画を見ると意外や意外・・・。
ちなみに、香恵も父親から万年筆をプレゼントしてもらっているようだし、イマヰ萬年筆で可奈子が語る「万年筆には物語がある」という「万年筆論」も面白い。ちなみに、この私だって、万年筆論を語らせればそのネタはいくらでも・・・?
<個人情報保護の観点からは・・・?>
個人情報保護法が2003年5月に成立し、2005年4月1日から全面施行されたが、昨今はあらゆる領域でこの法律のプラス面とマイナス面が相半ばするため大問題となっている。もっとも、そんな大上段から議論しなくても、他人の日記を勝手に読んではダメなことは明らか。
引っ越してきたアパートの部屋にある鏡の裏に秘密のボックスがあったのにはビックリだが、その中に1冊の日記が置かれていたからさらにビックリ。これは前の住人の日記であることは明らかだから、すぐにそれなりの手を尽くして届けてあげるべきが当然だが、いけないと思いつつ、つい読んでしまったというのがこの物語の出発点。したがって、あまり杓子定規に香恵の行動を詰問することはナンセンス。弁護士の私が言うのも何だが、たまには法律や一般的な禁を破ってみることも大切・・・?
<この映画のつくり方は難しい・・・?>
この映画は沢尻エリカ演ずる香恵が主役だが、伊吹先生の日記帳を香恵が少しずつ読み進んでいく中、次第にその足跡をたどっていくという難しい構成をとっている。したがって、今をときめく沢尻エリカと竹内結子との共演といっても、実は2人の接点は全くないから、共演というのはちょっとインチキかも・・・?
また、引越し日に偶然見かけた男とイマヰ萬年筆で出会い、その男が石飛リュウという名前の画家兼イラストレーターだとわかり、香恵が次第に石飛に惹かれていくというのが、この映画の大きな枠組み。そして、この石飛がもつ何となく謎めいた雰囲気や秘密めいた行動がミソ。
それがミステリー作家雫井脩介が書いた原作の面白いところだが、行定勲監督がそれをどのように映画で表現するのかが興味深いところ。とにかく、この映画のつくり方は難しいはずだが、行定勲監督は一体どのようにうまく料理しているのだろうか・・・?
<「頑張ろうね」は禁句・・・?>
私は手紙でもいつも「一生懸命頑張っています」と書くし、相手にも「これからも、ますます頑張って下さい」とエールを送っているが、昨今は学校教育や家庭教育ではこの「頑張ろうね」は禁句らしい。しかも近時は、会社の新人教育でも・・・?つまり、「頑張ろうね」はプレッシャーを与えるだけで、教育的に何の効果もないから禁句ということらしい。しかし、私はそれには全然同意できずに、頑張っている・・・?
あれほどうまくいっていた4年2組にも、1人君代ちゃん(山口愛)が不登校状態に。家を訪問し、母親(栗田麗)から様子を聞いたところ、学校で伊吹先生が言った「頑張ろうね」の言葉が重荷となって不登校になったらしい。これには伊吹先生も大ショック。そんな正直な気持が日記帳に綴られていく中、偶然出会った大学の同級生の「たかし」にそんな悩みを打ち明ける中で芽生えていく恋心についてもチラリ、ホラリ・・・。
伊吹先生は歌の上手な君代ちゃんにも参加してもらおうと、合唱コンクールへのエントリーを生徒たちに提案したが、さてその展開は・・・?
<マンドリンの腕前はイマイチ・・・?>
この映画では、伊吹先生のような立派な教師になろうと教育大学に通っている香恵が、授業を受けているシーンが1度だけ登場するが、それも完全な居眠り状態。したがって、香恵が主に通っているのは、バイト先のイマヰ萬年筆と大学のマンドリン倶楽部だけ・・・?
イマヰ萬年筆ではいろいろと大切な社会勉強ができているようだが、マンドリン倶楽部の方は厳しそうな顧問の瀬川先生(篠井英介)の指導の下で苦労している様子。音が外れると怒られるのは当たり前だが、その犯人は香恵であることが多いよう。したがって、彼女のマンドリンの腕前はイマイチ・・・?何とか定期演奏会を終えることはできたが、香恵が気になるのはその出来ではなく、定期演奏会に石飛が花束を持ってきてくれるかどうかということらしい・・・?さらに、それまであまり熱心に練習していなかったクセに、石飛から初の個展をやるのでそこでマンドリンを弾いてほしいと頼まれると、がぜんやる気を出して練習しているから現金なもの・・・?まあ、この程度の腕前のマンドリンながら、ストーリーづくりにマンドリンの話をうまく絡めているところが、行定勲監督のテクニック・・・。
<ひょっとして流行るかも、「心の力」のポーズ・・・?>
軍隊はどこでも敬礼の仕方にそれぞれの作法があるが、その最も派手なのが(?)ナチスドイツの「ハイル、ヒトラー!」と叫びながら右腕を高々と上げるやつ・・・。
他方、ジュリアス・シーザーなどが登場するローマ帝国モノ映画では、兵士たちは将軍からの命令を受けると、右手を左胸にあてて「わかりました」と返事をしているシーンがよく登場する。これは、力強くやらなければピタリと決まらないから、女性がやるにはあまり向かないポーズ。しかし、何とこの映画では竹内結子扮する伊吹先生がそれを・・・?これが、伊吹先生の理念であり、この映画のテーマでもある「心の力」を示すポーズだ。
原作ではこのポーズがどのように扱われているのか全く知らないが、伊吹先生がやり、香恵がやり、そして生徒たちがやっているそのポーズを見ていると、ひょっとしてこれからはこの「心の力」ポーズが流行るかも、とつい思ってしまったが・・・?
<香恵(沢尻エリカ?)の気の強さは、恋愛面にも・・・?>
香恵の性分か、香恵を演ずる沢尻エリカの性分かは知らないが、この映画には香恵(沢尻エリカ?)の気の強さを示すシーンがいくつも登場する。その第1は、マンドリンの演奏で顧問の瀬川先生ににらまれるシーンにおいて・・・。その第2は、ロンドンへ旅立った池内ハナ(サエコ)の恋人の鹿島(田中哲司)に言い寄られるシーンにおいて・・・。そして最も重要な第3は、少しずつ恋心が高まってくる中で、石飛に対して示す香恵の行動において・・・。
1度断られると、女の子の方から再度アタックをかけたり、「どうしても私ではダメですか?」と問いかけたりする勇気はないのが普通。ところが、香恵は・・・?伊吹先生発案の「パワーボール」をつくって石飛のアパートに差し入れに行くというのも大した勇気だが、そこで恋人のように石飛の世話をしている山崎星美(板谷由夏)と出会ったのは、香恵にとって大きなショックだったはず。それにもかかわらず、この映画で見せるような形でチャレンジしていく香恵の姿勢は立派なもの・・・?
気の弱いあなたには薦められないが、沢尻エリカ流の生き方にシンパシーを感じるあなたなら、この映画を参考にして恋愛面において是非チャレンジしてみては・・・?
<さあ、どんなクライマックスが・・・?>
どんな映画でもクライマックスが楽しみだが、この映画は特にそう。伊吹先生の日記を読みながらそれに自分を重ね、そして石飛に対する恋心を現実にアピールしていく中、香恵は大きく成長していくことに。そして、「石飛には好きな人がいるのよ」と山崎から聞かされた香恵は、石飛の初の個展に向けてどんな行動をとっていくのだろうか・・・?
この映画のプレスシートは、まさに伊吹先生の日記帳と同じような体裁となっているが、あの『シックス・センス』(99年)と同じように、この映画の秘密は絶対に明かさないよう、厳重に注意されている。もちろん、そんな注意がなくてもクライマックスに向けたネタばらしをするつもりは毛頭ないが、あなたには、どんなクライマックスが待っているのかを楽しみにしながら、この映画を観てもらいたいもの。
そうすれば、きっとクライマックスを迎える中、あなたの心の中には大きな感動が広がっていくはずだ。そしてまた、行定勲監督の映画はやっぱりいいナという、当たり前の感想に落ち着くはず・・・。
<鹿島の話は省略してもいいのでは・・・?>
行定監督の映画は、『GO』(01年)は122分でほぼ2時間に抑えていたが、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)が138分、『北の零年』(05年)が168分、『春の雪』が150分、『遠くの空に消えた』が144分と長いのが特徴(玉にキズ)・・・?基本的には映画は2時間に収めなければ・・・。
そして、この『クローズド・ノート』も2時間18分と長い。多分それは、行定勲監督は私と同じように欲張りで、せっかく撮ったのだからあのシーンもこのシーンも、と考えるのではないかと思うが、ハッキリ言ってこの映画を短縮するのはきわめて簡単・・・?
それは、冒頭の香恵の引越しを手伝うハナのシーンは残してもいいが、ハナの恋人である鹿島がハナのロンドンへの留学の後、香恵に対して言い寄ってくる話を省略すればいいだけ。鹿島を演ずる田中哲司には悪いが、ハッキリ言って鹿島と香恵との絡みはそのほとんどが、編集段階でカットしてもオーケーのものばかりでは・・・?
2007(平成19)年8月18日記