幸せのレシピ(アメリカ映画・2007年) |
<梅田ピカデリー>
2007年9月30日鑑賞
2007年10月4日記
高級レストランの厨房を切り盛りするシェフは激務だから、「女は120パーセント病」にかかるのは当然・・・?「料理=命」「厨房=命」という完璧主義者ケイトの人生は、交通事故で母を失った姪っこを受け入れたことによって一変!そこに、イタリアオペラ大好き人間で、彼女には到底理解不可能な男が職場のライバルとして登場したから大変!「幸せのレシピ」などという甘っちょろいタイトルが通用するのは、さていつまで・・・?
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監督:スコット・ヒックス
ケイト(料理長)/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
ニック(副料理長)/アーロン・エッカート
ゾーイ(ケイトの姪)/アビゲイル・ブレスリン
ポーラ(レストランのオーナー)/パトリシア・クラークソン
セラピスト/ボブ・バラバン
ワーナー・ブラザース映画配給・2007年・アメリカ映画・104分
<なぜ今、ケイトはセラピー治療を・・・?>
ケイトは独身女性。年のころは30歳ちょっと・・・?彼女は、ニューヨークでも1、2の人気を誇るマンハッタンの高級レストラン“ブリーカー22”の評判を支えている料理長というから、収入も相当あるはず。それは彼女が住んでいるアパートの豪華さをみてもすぐにわかる(もっとも、これが自己所有か賃貸かがはっきりしていないのは少し残念だが・・・?)。
料理にかける彼女の情熱は大変なもので、まさに「料理=命」「厨房=命」を毎日地で行っている感じ。もっとも、自分の料理にプライドを持ち過ぎるのが玉にキズで、自慢料理にケチをつける客でもいようものなら、たとえ上得意であっても、容赦なくケンカ腰に・・・。やはりプロはそうでなくちゃと思う反面、「お客サマは神サマです」を実践している店のオーナーであるポーラ(パトリシア・クラークソン)にしてみれば、ケイトのそんな対応はちょっと迷惑・・・。
ケイトが今セラピスト(ボブ・バラバン)のもとに通ってセラピー治療を受けているのは、そんなケイトの対応を見かねたポーラの命令によるもの。しかし、スクリーンで一方的に料理の話題をしゃべりまくっているケイトの治療態度をみると、なぜ自分が今カウンセリング治療を受けているのか、彼女はあまりわかっていないのでは・・・?
<興味深いケイトの人物像を、あなたはどう評価・・・?>
パンフの中には、「女が女の武器に頼らず実力だけで第一線で働こうとすると必ずといってよいほどぶつかる壁が、『女は120パーセント病』である。男が100なら120位仕事しないとダメ、という心理的束縛。そうしないとやっぱり女はね、と陰口を言われ足を引っぱられてしまう」と書かれたコラムがある。なるほどそのとおり。
この映画のテーマは、そんな120パーセント病の女性ケイトの人物像を描くこと。またこの映画の面白いところは、とんだハプニングによって自分の人生設計を大きく変更せざるをえなくなったケイトが、それにどのように立ち向かっていくかの闘いぶり。そして、その中で突如登場してきた、ケイトには全く理解不可能な男ニック(アーロン・エッカート)と触れ合い、恋に落ちていくところ。
世の中には各界で活躍するキャリアウーマンがたくさんいるが、料理界の旗手であるケイトのそんな人物像と生き方を、さてあなたはどのように評価・・・?
<ここでもストーリー構成に交通事故が・・・>
9月28日に観た「覗きの名作(?)」『ディスタービア』(07年)の評論の中で、私は映画の冒頭に登場した交通事故の悲惨さと「幸せな人生を一瞬にして不幸のどん底に転換させてしまう出来事として交通事故が最適」ということを書いたが、それは『幸せのレシピ』でも全く同じ。すなわち、仕事=命を生活スタイルとしているケイトの生活リズムが突然狂うことになったのは姉の突然の交通事故死によるもの。
そもそも、女のおしゃべり運転が危険なのは当然。日本では、2004年の道路交通法の改正によって運転中の携帯の使用が禁止され、5万円以下の罰金に処せられることになったが、この映画でみる姉の運転中の携帯電話でのおしゃべりぶりを見ていると危なっかしくて仕方がない。そう思っていると、案の定・・・。
後部座席に乗っていた一人娘ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)は軽傷ですんだものの、姉はあっけなく死亡。そこで、ケイトの姪にあたるゾーイは、姉の自宅をひき払ってケイトのアパートで一緒に生活することに・・・。もちろんケイトはゾーイを愛していたが、これによってケイトの生活が激変することになったのは当然。
<ゾーイはわがまま娘・・・?>
9歳の女の子が母親の運転する車で事故に遭い、そのまま母親を失ったのだから、そのショックが大きいのは当然。また、新しい叔母さんの家での生活にすぐに馴染めないのも当然。しかし、叔母さんがキャリアウーマンでありながら必死に母親代わりをつとめようとしていることくらいはわかる年頃だから、あまりわがままを言ってはダメなのも当然。
他方、ケイトにしても、今までは姉のかわいい一人娘ということで時々かわいがればよかったのだが、一緒に住み、食事から学校の送り迎えまですべて面倒をみなければならなくなると、話は別。やさしくばかりしていると自分のストレスがたまるし、厳しくあたってゾーイに反発されたり、すねられたりしたら困る・・・。お互いの距離感や遠慮の仕方、逆に感情のぶつけ合い方が難しいのは当然だが、それはお互いさま・・・?
そんな、叔母さんと姪の関係とはいえ、微妙な女同士の感情のやりとりをスコット・ヒックス監督はうまく描写しながら、ケイトの人生がゾーイの登場によっていかに変化していくのかに観客の興味を集中させてくれる。もっとも、私の目には、ゾーイはかなりわがまま娘にみえてしまったが・・・?
<あまり完璧を求めすぎると・・・?>
これまで仕事=命で、どんな男たちにも負けずに調理場を死守してきたケイトだったが、その上にゾーイの母親代わりまでこなそうとすると、肉体的にも精神的にも大変なのは当然。また、突然やってきたゾーイの母親役をケイトが完璧にこなせるはずはなく、○○でとまどい、△△で壁にぶちあたったのも当然。このままいけばケイトはある日完全にダウン・・・?肉体的にも精神的にも完璧を求めすぎるとそうなることは見えているため、オーナーのポーラが、「1週間ほど休みなさい。これはアドバイスではなく、命令です」と宣言したのは、まさにタイムリーだった。
ところが、この休暇によって心身ともにリフレッシュできたケイトが職場に戻ってみると・・・?
<地位と職場の争奪戦が・・・?>
アメリカ人はハンバーガーとポテトとステーキばかり食っているのかと思っていると、意外にそうでもなさそうで、「ブリーカー22」はマンハッタンのグルメ好きたちの人気の的。料理長のケイトが出している料理はもちろんオリジナルだが、基本はフランス風・・・?ところが、ケイトが休暇をとっている間にオーナーのポーラの要請によって厨房に「進出」してきた男がニック。そして彼の基本はイタリア風・・・?
料理に興味のある観客は是非その点を見分けてもらいたいが、私にはそれは全くわからない。私にわかるのは、厨房内にプッチーニのオペラ『トゥーラン・ドット』が大音響で流されるなど、それまで戦場だった厨房に大きな変化が起きたこと。もっとも、この変化はケイトにとっては単に音響上の変化ではなく、シェフという地位と調理場という職場の争奪戦・・・?
<おふくろ料理VSシェフ料理>
日本でかつて大人気だった料理番組『料理の鉄人』は、そのノウハウがアメリカでも生かされて大人気らしい・・・?また日本では、関口宏と三宅裕司の『どっちの料理ショー』も人気だったし、堺正章の『チューボーですよ!』も人気は高いようだ。私が『料理の鉄人』で面白かったのは、料理を専門に学んだ料理人同士の対決が多い中、時々梅宮辰夫のような素人ながら玄人はだしの料理大好き人間が挑戦者として登場したこと。
そんな目でみれば、「ブリーカー22」のシェフとしてマンハッタンにその名をとどろかせているケイトが料理を学んだのは母親からというところが面白い。言うなれば、いわゆる「おふくろ料理」の延長がニューヨークで1、2を争う高級レストランで通用しているわけだ。
これに対して、一見庶民的な料理が得意そうなニックは、レッキとしたイタリアの料理学校を卒業したシェフ料理の優等生・・・?したがって、料理の好きなあなたなら、おふくろ料理VSシェフ料理という目で両者を対比してみれば面白いのでは・・・?
<小泉─荒川─トゥーラン・ドットそしてニック>
イタリアオペラはたくさんあるが、トゥーラン・ドットが突然日本人に馴染みになったのは、小泉純一郎元総理のオペラ好きのため・・・?その影響ももちろんあるが、最大の理由は2006年2月のトリノオリンピックで、フィギュアスケートの荒川静香がこの曲で金メダルを獲得したため。もっとも、このオペラは花婿選びの物語であり、最後に1人の花婿が選ばれるまでに、3人の求婚者の首がはねられるという残酷なスパイスもよく効いている。そして、美しいお姫サマは「氷のように冷たい心を持った姫」だから、必ずしもハッピーな純愛物語のヒロインには適さないキャラ・・・?
しかし、ニックが進出してくるまでのケイトの厨房は、まさにトゥーラン・ドット姫が支配する厨房だったかもしれないと考えると、ニックのこの選曲はまさにピッタリ・・・?
そんなことを考えながら、ニックのイタリアオペラへの傾注ぶりに注目したいもの・・・。
<この映画はハッピーエンド・・・?それとも・・・?>
古今東西を問わず、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」という格言が存在しているが、料理の腕前についてケイトを尊敬しているニックは、女性としてのケイトにもホレている様子。もっとも私には、そのウエイトのどちらが重いのかについて、ニックの本心はよくわからないが・・・?決してニックは「ブリーカー22」におけるケイトのシェフの座を奪おうとして厨房に入り込んできたわけではないことは、彼の言動を見れば明らかなのだが、そこにケイトの自己防衛本能が働いたのはやむをえないところ。そこから必然的に生じてくる職場でのトラブルがこの映画後半のみどころだが、他方ニックの「将を射んと欲すれば・・・」の下心は男の私には丸見え・・・。
つまり、何とかケイトと親しくなりたいと願っているニックは、頑固で対応の難しいケイトより、まずはケイトがその世話にてこずっている姪のゾーイと仲良くなることが得策という戦略をたてたわけだ。これは、まさに「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」の鉄則を地でいったもの。もちろんケイトだってバカじゃないから、こんなニックの狙いは察していたはずだが、さてその展開は・・・?
その詳細はあなた自身の目で確かめてもらいたいが、あえてタネを明かせば、 この映画は形のうえではハッピーエンド。しかし私に言わせれば、同じ厨房でこの2人が働くということは、必ずしも将来の幸せを約束するものではなく、むしろ2人の対立とケンカ別れの可能性を拡大するもの・・・?したがって私の目には、ニックとケイトそしてゾーイの三人が共同で開いたレストランの前途は洋々ではなく、多難と思えたが・・・?
2007(平成19)年10月4日記