ふみ子の海(日本映画・2006年) |
<GAGA試写室>
2007年10月2日鑑賞
2007年10月7日記
時代は昭和10年。新潟県や北陸地方は高田瞽女(ごぜ)で有名だが、それは貧しさの象徴。すなわち、この地方に視覚障害や盲人が多いのは、貧しさによってロクな栄養がとれないことが大きな原因。ところがそんな時代に生まれたふみ子の「海が見える」というセリフのインパクトは・・・?平和で豊かな今の時代に、こんなふみ子やそれを支えた人々の姿を見て涙を流さないのは、よほど感性のニブい奴!白内障や緑内障その他さまざまな目の病気にも気を配りながら、ふみ子の生き方にどっぷりと感動してみるのも、たまにはいいのでは・・・?
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監督:近藤明男
淡路ふみ子(全盲の少女)/鈴木理子(子役)
淡路チヨ(ふみ子の母親)/藤谷美紀
慈光(じこう)(滝壺薬師の住職)/高橋長英
笹山タカ(笹山あんま屋の主人)/高橋惠子
古川(牧村に出入りしている行商)/平田満
高野りん(高田盲学校の先生)/高松あい
〆香(花街の芸者)/遠野凪子
上田(陸軍少尉)/遠藤憲一
サダ(タカの弟子の弱視の女の子)/尾崎千瑛
高野(りんの父親)/あおい輝彦(友情出演)
善吉(本家の主人)/中村敦夫(友情出演)
シゲ(善吉の妻)/水野久美
パンドラ、シネマ・ディスト配給・2006年・日本映画・105分
<こんな実話があったんだ・・・>
昭和10年という戦争直前のあの暗い時代の、深い雪に覆われた新潟県を舞台としたこの映画は、粟津キヨという実在の女性を前提とした物語。そして、そんな物語が広く日本中に知られるようになったのは、市川信夫の小説『ふみ子の海』が1989年に出版されたため。
他方、篠田正浩監督の『はなれ瞽女おりん』(77年)でチーフ助監督を務めた永井正夫が、その際に瞽女と時代考証を担当した市川信夫とともにこの『ふみ子の海』の映画化を目指すことになったのは、至極当然のこと。それから18年、紆余曲折を経て、やっとこの映画が完成したわけだ。
今やヘレン・ケラーの物語は世界中の誰もが知っているが、日本に、そして新潟県にこんなすばらしい感動の物語があったことを知ってビックリ!
<高田盲学校の歴史は118年!>
実在の女性粟津キヨこそ、この映画のヒロインとなる少女ふみ子(鈴木理子)のモデルだが、プレスシートによると、粟津キヨは、1919(大正8)年に新潟県で生まれ、4歳で失明した後、9歳で高田盲学校に入学し、その後「日本のヘレン・ケラー」と呼ばれた斎藤百合の薫陶を受けて東京女子大学に入学し、その後の人生を視覚障害者の教育に捧げた女性とのこと。また、キヨが学び後に教師として勤めた高田盲学校は、1887(明治20)年に私立学校として設立された、盲学校として日本で3番目に古い学校とのこと。
常盤貴子が主演した『筆子・その愛ー天使のピアノー』(06年)は、1891(明治24)年に創立された日本最古の知的障害者のための社会福祉施設「滝乃川学園」を舞台とした感動作だった(『シネマルーム14』335頁参照)が、今と違い(?)、昔は世のため人のために尽くす立派な人が多かったものと痛感・・・?
もっとも、近時の少子化や医療の発達によって高田盲学校に通う児童数が減少したため、4人の生徒を送り出した2006年3月の卒業式を最後に、高田盲学校は118年の歴史に幕を下ろしたとのこと。まずは廃校となったことを悲しむのではなく、118年間も先人たちの努力が続いてきたことに感謝、感激!
<なぜ高田瞽女(ごぜ)が有名に・・・?>
昭和10(1935)年当時の日本が中国東北地方(後の満州国)に進出しようとしたのは、東北地方や北陸地方を中心とした貧しい日本から脱却しようとしたため・・・?そんな書き方をすれば、多くの人々から「お前は何を言っているのだ!」と反論されることはわかっているが、その言い分にはそれなりの真理と正当性があったことはまちがいない。
プレスシートによれば、「瞽女(ごぜ)とは、新潟県や北陸地方を中心に活躍した盲目の旅芸人で、主に三味線や唄、語りを生業としていた中でも、高田瞽女の存在は有名だ」と書かれているが、高田瞽女が有名になったのは一体なぜ・・・?それは、決して彼女たちが三味線や唄が好きだったからではなく、盲目の女性にとっては、あんまの道か瞽女の道しか自立して生きていく術がなかったため。
さらに深刻な問題は、なぜ新潟県や北陸地方に盲目の女性が多かったのかということ。それは、滝壺薬師の住職である慈光(高橋長英)が言うように、新潟県や北陸地方は雪が深く貧しいため母親たちの乳の出が悪いため。つまりそのために生まれた子供たちは栄養失調となり、それによって目に障害があらわれたり、失明したりするわけだ。そんな厳しくも悲しい現実をみれば、豊かにすることが何よりも大切なこと。すると、そのためには・・・?
<「海が見える」というセリフのインパクトは・・・?>
山国である甲斐の武田家は、今川家との同盟を破棄して東海方面へ進出しようとしたため、今川家と縁戚関係のあった北条家から「塩留め」(経済封鎖)をされてしまうことに。そんな武田家に対して越後の上杉謙信が塩を送ったことは、「敵に塩を送る」ということばで有名・・・。
この映画は新潟でオールロケが行われ、その中心は上越市と柏崎市だったとのこと。地図を見ればすぐにわかるとおり、これらの市は日本海に面している。北陸の海は太平洋の海とは大きく趣を異にしているが、その美しさにおいては甲乙つけがたいもの。しかし、映画の冒頭に登場するのは、盲目の幼いふみ子を抱えてその海の中に入っていこうとする母親淡路チヨ(藤谷美紀)の姿。
滝壺薬師で懸命に眼病祈願のお念仏を唱えているたくさんの母親や子供たちを見ていると、こんな風に自殺を図った母娘はたくさんいるだろうと思わざるをえないのだが、そこでチヨが自殺を思いとどまったのは、ふみ子の「海ってきれいだね」という言葉。なぜ、盲目のふみ子がそんな言葉を・・・?こういう点が映画が小説と違う有利な点で、今ふみ子の心の中には太陽の光を浴びてキラキラと輝く北陸の海の波の姿がくっきりと見えていたのだった。そんなインパクトあるふみ子の言葉が、この映画最大のポイント!
<高田盲学校へ行けるのは・・・?>
昭和10年当時は、ふみ子の母親チヨに対して本家の主人である善吉(中村敦夫)が言うようにそもそも、「女に学問はいらねえ」というのが常識。したがって、チヨからの願いを聞いて盲目のふみ子に対して本家がおカネの援助をして高田盲学校に入学させても、そもそも何の意味があるのかということを善吉が理解できなかったのはやむをえないこと。したがって、善吉がチヨの願いを聞き入れなかったのは決しておカネをケチったためではなく、善吉なりに頭のいいふみ子の将来を考えてやったため。つまり「女に学問はいらねえ」かわりに、自力で生きていくため、あんまとしてあるいは瞽女としての実力を身につけなければならないと考えたわけだ。そこで、善吉が行商の古川(平田満)を通じて紹介してやったのが、あんま屋の女主人である笹山タカ(高橋惠子)。
高田盲学校への入学を勧めるためにチヨの家までわざわざやってきてくれた若い女先生の高野りん(高松あい)から、点字の話やヘレン・ケラーの話を聞かされたふみ子は、強く高田盲学校への入学を願ったものの、所詮それは叶わぬこと。こんな、どうしようもない貧乏のために自分の人生が決められてしまうあの時代、あの状況を考えれば、何を今ドキ格差、格差と騒ぐの・・・?とついつい思ってしまったが・・・。
<さすが、高橋惠子!>
この映画の最大の「売り」は、度重なるオーディションで選ばれ、ヒロインふみ子を演ずる鈴木理子だが、それを大きく支えているのが、笹山あんま屋の主人タカを演ずる高橋惠子。私は、旧姓関根惠子として彼女が18歳の時に主演した『朝やけの詩』(73年)におけるヌードシーンを今でもはっきりと覚えている。あれから30余年。もちろん人間は誰でもそれ相応に年をとっていくものだが、高橋伴明と結婚し高橋姓となった彼女の女優としての、また舞台俳優としての成長ぶりはすごい。
高橋惠子演ずる笹山タカは、ふみ子の母親に前借金200円を渡してあんまの弟子入りをさせた高田のあんま屋だが、あんまを職として盲目の女性が生きていく厳しさをイヤというほど体験しているタカであるが故に、彼女の弟子たちに対する厳しさは尋常ではなかった。一切の口答えは許されず、何でも「はい、師匠」と言わせる教育方針がホントに正しいのかどうかは疑問で、今大問題となっている時津風部屋の時津風親方が弟子の時太山(本名=斉藤俊さん)を稽古(しごき?)で死なせてしまった事件と同じように問題のあるところかもしれない。しかしこの映画では、高橋惠子の熱演もあって、時津風部屋のようなとんでもない結果とはならず、ハッピーエンドに・・・。
それにしても、自ら全盲のあんまとして、弟子たちの教育にあたるタカを全身全霊で演じている姿をみると、さすが高橋惠子!と声援を送りたくなってしまうほど・・・。
<善玉の筆頭は・・・?悪玉の筆頭は・・・?>
職業や地位によって人間の価値が決まるものでないことは、古今東西を問わず、また男も女も同じ。しかし、今のような平和で豊かな時代はそれが見えにくく、逆にこの映画のようなシビアな時代ではそれがくっきりと見えてくるもの・・・?もっとも、何でも善玉と悪玉に区別するのはあまり良くないかもしれないが、その区別が最も単純でわかりやすいことも事実。
そんな視点で観ると、この映画に登場する善玉の筆頭は、「目の見えない私たちは、桜の花びらを食べることによって花見をするのです」とタンカを切るふみ子のセリフを気に入り、以降小っちゃなあんまさんの応援団長となる気っぷのいい芸者〆香(遠野凪子)。
他方、悪玉の筆頭が、桜の花びらを手にとって口にしたふみ子に対して真っ向から文句をつけたばかりか、小っちゃなあんまさんに対して、芸者代わりに酒の酌を求めるという、帝国軍人にあるまじき行動をとる権威主義者のバカ軍人上田(遠藤憲一)。映画のストーリー構成上コントラスト鮮やかに登場するこの2人の力関係やその対決ぶりは痛快だが、それはやはり理想論。現実には、いくらバカでも帝国軍人に逆らった〆香は、結局は石もて追われていくことに・・・。
<最初から涙がポロポロ・・・>
私は昨年から視力が落ちてきていることが気になり、何回か検査を受けたところ、緑内障や黄斑変性症の心配はないが、白内障のせいだと診断された。現状では日常生活に不便はないが、将来どこかの時点でその手術にふみ切らなければならないだろうが、今ドキ白内障の手術は簡単らしい。そこでひと安心しているものの、やはり目が悪くなり、見えなくなるのではないかという不安は深刻なもの・・・。また、目の弱さについては遺伝的なものもあるようで、あれこれといろいろ心配事も・・・。そんな風に、目に対する意識が人一倍強いせいかもしれないが、私は不覚にもこの映画を観ている最中、ほとんどずっと涙ポロポロ状態に・・・。
とくに私が、これこそ地方格差であり、是正しなければならないと思ったのは、貧しさ、栄養不足が原因で目の病を持ち、その治療を受けることすらできないまま、慈光の寺でただひたすら念仏を唱え続けている多くの母親や子供たちの姿を見たとき。また普段見ることのないあんま屋での師匠タカとその弟子たちの生活ぶりを観たとき。ここに入ってきたふみ子がいくら最年少であっても手心が加えられるわけではなく、一人前の修行と稼ぎが要求されるのは当然だが、兄弟子にあたる弱視の女の子サダ(尾崎千瑛)がふみ子に示すやさしさはホントに心温まるもので、つい涙がポロリ、ポロリと・・・。
10月8日の朝刊各紙には、缶ビールとプリンを万引きするためにコンビニに入ったところ、それを責任感の強いコンビニの店員に発見され追いかけたためにその店員を刺し殺した19歳の少年の事件が報道されていたが、そんな幼稚で短絡的な思考方法しかできなくなったのは、人間への思いやりが失われてしまったため。こんな映画をこの19歳の少年に観せて、盲目の少女ふみ子をはじめ、あんま屋で修行している女の子たちの姿を観せてやれば、ビールを飲みたいために万引きをし、追いかけてきた店員を刺し殺すなどというバカげた行為はきっととれなかったのではないかと思うと、非常に残念・・・。
私は「厚生労働省推薦」「文部科学省選定」というお墨付きには何の価値も認めないが、いいものはいい、温かいものは温かい、そしてそれを感じて涙を流すことは心地よいという単純な理由で、是非この映画を皆さんにお薦めしたい。
2007(平成19)年10月7日記