青空のルーレット(日本映画・2007年) |
<GAGA試写室>
2007年10月2日鑑賞
2007年10月7日記
この映画は、高層ビルの窓拭きをしながら、ミュージシャンや漫画家になる夢をもち続ける若者たち、そして40代にして小説家への夢をあきらめないおじさんへの応援歌。しかし、例外的な成功体験をもつ原作者の、「夢をもち続けることの大切さ」というキレイ事の宣伝や押しつけはちょっとヤバイのでは・・・?同じ日に観た『ふみ子の海』(06年)のどうしようもない苦しい時代に対比して、約70年後の今はこんな甘っちょろい時代に・・・?私にはどうしてもフリーターやニートを全面的に肯定するこんな映画は好きになれず、それはたとえば法科大学院と新司法試験の合格率をめぐる情勢をみても明らかだと思うのだが・・・?
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監督:西谷真一
原作:辻内智貴『青空のルーレット』(光文社刊)
福山タツオ(ロックバンドのリーダー)/塩谷瞬
栗田加奈子(聾唖のOL)/貫地谷しほり
進藤勇介(ベース担当)/忍成修吾
工藤孝之(漫画家志望)/脇知弘
中村一馬(最年少の窓拭き仲間)/川村陽介
岸野太郎(宝栄クリーンサービスの営業マン)/高岡蒼甫
萩原聡(小説家志望の40歳)/嶋尾康史
萩原恵子(萩原聡の妻)/鈴木砂羽
シルビア(キャバレー「白鳥」で働くシングルマザー)/中島知子(オセロ)
北村高広(飛び降り自殺を図る)/近藤芳正
高井誠一(高井商会の代表)/遠藤憲一
宮口精三(中学校の用務員)/村田雄浩
高峰麗(養護施設の職員)/石田えり(友情出演)
織田昇(大東興産の総務部長)/仲村トオル(友情出演)
奥田典之(宝栄クリーンサービスの専務)/平田満
パンドラ配給・2007年・日本映画・103分
<ニート、フリーターを肯定的に・・・>
この映画は2001年に出版された辻内智貴の『青空のルーレット』を映画化したもの。そしてこの原作は、本屋さんが選ぶ「映画化してほしい小説」のランキングにも選出されているとのこと。
2001年4月に小泉内閣が発足したが、ちょうどその頃がニートやフリーターという呼び名が一般的に定着してきた時期。この言葉を肯定的に捉えるのか、それとも否定的に捉えるのかについては、賛否両論があったと私は考えているが、今や私のような否定的な捉え方はほとんどなくなり、現在の日本社会は総じて若者のそんな生き方をやさしく認める方向に・・・。そうなるについては、自分自身も窓拭きのアルバイトをしていたことがあるという、辻内智貴氏自身の体験を基にしたこの原作も、当然大きな寄与を・・・。
<テーマは、「夢をもち続けること」・・・>
2007年6月27日に東京の青山葬儀場で大規模なお別れ会が営まれたZARDの坂井泉水のベスト1ヒット曲が『負けないで』。また『待つわ07』をはじめとして、今新幹線のグリーン席のオーディオで流れている60分番組が「あみん」のおしゃべりと歌。その片割れ(?)である岡村孝子が歌う『夢をあきらめないで』は、ZARDの『負けないで』と同じように若者たちに元気を与え続けてきた名曲中の名曲。
しかしてこの映画は、そして辻内智貴の原作は、地上数十メートルの上空でビルの窓拭きをアルバイトとしてやりながら、ミュージシャンや漫画家になることを夢みている若者たちの物語・・・。
<夢を実現できる確率は・・・?>
たしかに若者が夢をもつこと、またもち続けることはすばらしいこと。しかし、夢を実現できる現実的な確率を考えれば、例えば法曹への道なら、法科大学院に入って卒業すれば現在のところ30~40%。しかし、ロックバンド「エアーブランコ」のボーカルを担当している福山タツオ(塩谷瞬)とベースを担当している進藤勇介(忍成修吾)がミュージシャンとして、また工藤孝之(脇知弘)が漫画家として成功する確率は10%、5%・・・?それとも1%・・・?さらに、40歳を過ぎてまだ全く芽が出ず、福山、進藤、工藤たちと一緒にビルの窓拭きのバイトをしながら、妻恵子(鈴木砂羽)と2人で暮している小説家志望のおじさん萩原聡(嶋尾康史)が文壇デビューできる確率は・・・?
たまたま、1956年生まれの辻内智貴は、1999年の『セイジ』で第15回太宰治賞最終候補に選ばれ、また2000年の『多輝子ちゃん』で第16回太宰治賞を受賞するという形で、43歳で文壇デビューすることができたからよかったものの、そんな例外的な成功体験を基に、若者たちに対して夢をもち続けることが大切というメッセージを送り続けることはある意味ヤバイのでは・・・?現に私は、法科大学院の入学式では、半分より上の成績でなければ所詮新司法試験には合格できないのだから、それがムリだと思えば早く見切りをつけて諦めることが自分のために大切だと、イヤ味なことを大声で言っているのだが・・・。
<奥田専務は、なぜ彼らを毛嫌い・・・?>
この映画は辻内智貴の体験を小説にした私小説『青空のルーレット』が原作だから、福山、進藤、工藤そして萩原を徹底的に毛嫌いするビルの清掃会社の専務奥田典之(平田満)も、きっと実在の人物がモデル・・・?それとも彼は、自分が作家としてデビューし成功することができた辻内智貴が、自分のアンチテーゼとして設定した架空の人物・・・?
その真偽のほどはわからないが、夢ばかり追って現実の仕事に身が入っていない(と奥田には感じられる)福山、進藤、工藤そして萩原のいい加減な働きぶりが気に入らないと思う奥田の気持は私にはよく理解できる。なぜなら、その気持は99%私も共通だから・・・。もっとも、この映画ではそこにオチがついているところが面白い、というかズルい。だって、そんな奥田の気持は自分が夢をもって追いかけていた小説家になれなかったことの裏返しとしての、福山、進藤、工藤そして萩原に対する嫉妬心として描かれているのだから・・・。
私としては、この映画をつくるについては、こんなに一方的に福山、進藤、工藤そして萩原の味方をし、奥田をダメ人間と決めつける立場からではなく、もっとフリーハンドの視点で製作してほしかったと思うのだが・・・?
<『ふみ子の海』VS『青空のルーレット』>
今日は、昼から続けて同じ試写室で、同じ「パンドラ」配給の『ふみ子の海』と『青空のルーレット』を観たが、この2作品に共通するのは原作ありということ。すなわち、『ふみ子の海』は市川信夫の『ふみ子の海』(理論社刊)を、『青空のルーレット』は辻内智貴の『青空のルーレット』(光文社刊)を映画化したものだが、私の感想ではその重みが全然違う。
すなわち『ふみ子の海』は、1919(大正8)年に新潟県で生まれ、4歳で失明した後、9歳で高田盲学校に入学し、その後「日本のヘレン・ケラー」と呼ばれた斎藤百合の薫陶を受けて東京女子大学に入学し、その後の人生を視覚障害者の教育に捧げた、実在の女性粟津キヨをモデルとして、8歳の少女ふみ子の心の中にある海を描いた涙、涙の感動作。作者自身も盲学校、養護学校の教師をする中で、斎藤百合の影響を受けたことによってこの原作を書いたとのこと。
他方『青空のルーレット』は、フリーターやニートという言葉が一般的になり始めた2001年に、辻内智貴が自らの音楽活動や窓拭きのアルバイトの体験をふまえて、「夢をもち続けることの大切さ」をテーマとして書いた小説だが、私にはどうしてもその軽さが鼻についてしまうもの。つまり私には、「あんな苦しい時代の全盲の8歳の女の子があんなに頑張っているのに、なぜ今ドキの平和で豊かな時代の元気な若者がそんな生活をしているのだ!」と思ってしまうわけだ。夢をもち続けることが人生、そんなわかったようなセリフを吐いたって、現実は・・・?と、私もつい意地悪な奥田専務のような価値観になってしまうのだが・・・。
<今ドキ、こんな純愛物語ってあり・・・?>
いつの時代でもいろいろなパターンの純愛物語があるものだが、21世紀の今日でも、こんな年上の女性に対する男の純愛があるものかと思い知らせてくれるのが、福山、進藤、工藤の友人中村一馬(川村陽介)とキャバレー「白鳥」で働く子持ちホステス、シルビア(中島知子)との純愛物語。
大学に入学したばかりの18歳当時の私たちが、一方では同世代の女の子たちとの接触を図りながら、他方で身近にいる年上の女性に憧れ、さまざまな関係をつくっていったのは当然。だってその時代には、同世代の女の子たちより、何歳か年上の方が知的レベルにおいて魅力的な女性が多いのは当然だから・・・?
福山、進藤、工藤と共に懸命にビルの窓拭きのバイトに励み、シルビアと結婚したいと思っている中村はどうも本気らしいから、やはりそういう男はいつの時代にも存在するもの。この中村とシルビアとの純愛物語は、福山、進藤、工藤と奥田を中心とするメインのストーリーとは全く別線ながら、心温まるいい物語。もっとも、私には今ドキそんな純愛物語があるとは到底思えないが、小説そのものがノンフィクションなので、この部分、省いては・・・?
<貫地谷しほりの役割はイマイチ・・・?>
07年1月から始まった大河ドラマ『風林火山』でミツ役を演じ、07年10月1日からの朝ドラ『ちりとてちん』で和田喜代美役を演じている貫地谷しほりは、その漢字を読みにくい女優代表の1人として有名だ。そして『スウィングガールズ』(04年)での出演以降、演技派女優として実力を固めている彼女は現在の新進女優の注目株。私はそんな貫地谷しほりに注目してこの映画を観ようとしたのだが、残念ながらこの映画での彼女の役割はイマイチ。すなわち貫地谷しほり演ずるアパレル会社で働く聾唖のOL栗田加奈子は、タツオたちの音楽に自分の生きる希望を見出していくことになるのだが、その出会いとストーリー構成はいかにも安易。だってロックバンド「エアーブランコ」のリーダーであるタツオのボーカルって、涙を流すほどに感動するもの・・・?
プレスシートには、スケジュールがタイトな中で集中的に歌とギターのトレーニングに臨んだ甲斐あって、映画の中でタツオはすばらしい歌を披露、そして、「ファンの間では、歌手デビューを臨む声も高まっている!」と書かれているが、そりゃ自己満足にすぎないのでは・・・?私はどうみても、タツオを演ずる塩谷瞬のボーカリストとしての実力が歌手デビューできるものとは思えない。したがって、そんなボーカルに涙を流す加奈子の気持もサッパリ理解できないのだが・・・。
2007(平成19)年10月7日記