ユゴ 大統領有故(韓国映画・2006年) |
<東映試写室>
2007年10月24日鑑賞
2007年10月26日記
今から28年前の1979年10月26日、朴正煕大統領が韓国中央情報部長官の手によって暗殺!これはホントのお話・・・。そして今、その全貌が「韓国の大島渚」と呼ばれる、「386世代」のイム・サンス監督によって明らかに・・・。映画を観て意外なのは、第1にあまりのあっけなさ。大統領暗殺がこんなに易々とできるとは・・・?第2は、次期政権構想の薄弱さ。大統領暗殺事件がこんな実態で、こんな結末になったとは・・・?
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監督・脚本:イム・サンス
チュ課長(実名:朴善浩/パク・ソノ)(韓国中央情報部儀典課長)/ハン・ソュキュ
キム部長(実名:金載圭/キム・ジェギュ)(韓国中央情報部長)/ペク・ユンシク
大統領閣下(実名:朴正煕/パク・チョンヒ)/ソン・ジェホ
ヤン大統領秘書室長(実名:金桂元/キム・ゲウォン)/クォン・ビョンギル
チャ大統領警護室長(実名:車智澈/チャ・ジチョル)/チョン・ウォンジュン
ミン大佐(実名:朴興柱/パク・フンジュ)(キム部長の随行秘書)/キム・ウンス
チョ(実名:申才順/シン・ジェスン)(女子大生モデル、晩餐会招待客)/チョ・ウンジ
シム(実名:沈守峰/シム・スボン)(歌手、晩餐会場招待客)、プロローグナレーション
/キム・ユナ
鄭昇和(チョン・スンファ)(陸軍参謀総長)/チョン・ジョンジュン
クォン・ヨンジョ(実名:李基柱/イ・ギジュ)(チュ課長の部下)/イ・ジェグ
チャン・ウォンテ(実名:金泰元/キム・テウォン)(チュ課長の部下)/キム・サンホ
ウォン・サンウク(実名:柳成玉/ユ・ソンオク)(チュ課長の運転手)/キム・ソンウク
シム・サンヒョ(晩餐会場執事)/チョ・サンゴン
エスピーオー配給・2006年・韓国映画・104分
<映画鑑賞で、はじめて黒塗りシーンを・・・>
昔はエロ雑誌でも部分的に黒塗りされた写真があったが、今やヘアヌード写真がいくらでも氾濫しているご時世。また、映画でも過激なセックスシーンでのボカシはあるものの、市販されているAVビデオやホテルの有料チャンネルでは、そのものズバリの映像がいくらでも・・・。
ところが、この『ユゴ 大統領有故』では、映画の冒頭音楽は流れるものの、黒塗りのシーン(要するにスクリーンがまっ黒のシーン)が3分50秒間も登場することに。それは一体なぜ・・・?
<仮処分、異議申立、起訴命令、1審判決>
以下プレスシート記載情報の受け売りだが、黒塗りシーンの登場は、ソウル中央地裁民事協議50部が2005年1月31日、「ドキュメンタリー部分を含む3カ所(3分50秒)を削除しなければ上映を認めない」との仮処分決定を下したため。この仮処分命令は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の長男志晩(チマン)氏が、2005年1月11日、この映画が故人と遺族の人格的法益を侵害しているとして、映画製作会社であるMKピクチャーズを相手どって映画の上映禁止の仮処分を申請したことによるもの。
こういう問題になれば弁護士の私の範疇だが、仮処分命令に対しては日本と同じように韓国でも、異議申立と提訴命令(起訴命令)の申立という対抗手段があるらしい。その提訴命令を受けて、志晩氏がMKピクチャーズを被告として2005年2月28日に提起した本案訴訟が、映画が故人と遺族の人格的法益を侵害したとし、映画の上映禁止および配給禁止、5億ウォンの損害賠償を求めたものだ。そしてこの本案訴訟について、ソウル中央地裁民事協議63部が2006年8月10日に下した1審判決は、MKピクチャーズに対し1億ウォンの支払いを命じたものの、上映・配給の禁止などそのほかの請求は棄却するというものだった。
その結果、2006年10月の第11回釜山映画祭において、この映画はオリジナルバージョンが上映されたが、2007年12月15日からの日本公開については、MKピクチャーズから日本の配給会社エスピーオー宛に、「2007年9月~11月中に第2審の判決が確定する予定で現在進行中。第2審判決の結果によっては、日本での上映に影響を及ぼすことが予想される」と報告されたため、本日の試写室では黒塗りシーンのプリントが上映されることに。さて、日本で公開される時はどうなっているだろうか・・・?それは、第2審判決の内容次第・・・。
<有故(ユゴ)とは・・・?>
中国語は漢字だから、発音の難しさは別として、日本人でもすぐにわかる単語も多い。たとえば我愛你とか再見など・・・?他方、韓国のハングル文字は全くチンプンカンプンだが、朴正煕という人の名前や大統領などの漢字を使っているところは、日本人でもすぐに理解できる。ちなみに、ナチスドイツの軍隊での敬礼の言葉は「ハイル・ヒットラー」だったが、韓国では「忠誠」で、これも日本人にはすぐにわかるもの・・・。
すると「大統領有故(ユゴ)」とは一体ナニ・・・?それは、読んで字の如し。大統領に「事故が有った」ということ。さて、今から28年前の1979年10月26日に起きた「大統領有故」とは、一体ナニ・・・?
<原題は・・・?>
この映画の邦題は『ユゴ 大統領有故』、英題は『The President’s Last Bang』だが、原題のハングルを直訳すれば『その時、その人々』というもの。これでは私たちには全く何のことかわからないが、韓国の人たちにはそれで十分わかるらしい。それは、大統領暗殺の現場にいた歌手シム・スボン(キム・ユナ)のヒット曲が『その時、その人』というタイトルだから・・・。
朴正煕大統領暗殺という大事件が起きたのは1979年10月26日だが、日韓基本条約の締結によって韓国が朝鮮にある唯一の合法政府であることを確認し、日韓の国交を正常化したのは1965年6月22日のこと(ちなみに、日中国交正常化は1972年9月29日)。
2007年10月の今では到底考えられないことだが、日韓関係が正常化されても、1970年代の韓国は日本大衆文化の解禁はほど遠い時代。ところが、その当時中学生だったという女の子シム・スボンは美空ひばりのレコードを聴いて感銘を受け、その後歌手となった彼女はそういう歌を好んで大統領や料亭の客の前で歌っていたらしい。
そんな彼女がなぜ朴正煕大統領の暗殺現場を目撃することになったのかは、この映画をじっくり鑑賞する中で学んでもらいたいが、大統領の暗殺後、情報機関の監視下で5年間も歌手活動を禁止されてしまった彼女が歌う『その時、その人』を聴けば、韓国の人はすぐに「大統領有故」に結びつくらしい。
ちなみに、この『ユゴ 大統領有故』という映画の韓国での公開を受けて、「無窮花の女」1~5として2006年10月25日から31日にかけて特集したのが朝日新聞。これは何ともすごい企画というべきだ。そんな実在の歌手シム・スボンの若き日の姿がこの映画に登場する。まず、彼女がギターの弾き語りで歌う曲は、都はるみの『北の宿から』。もちろん歌詞は全編日本語だ。そのうえ今日は朴正煕大統領の要請によって(?)、彼の隣には現役女子大生のチョ(チョ・ウンジ)が座っている。権力のトップに君臨する人間であっても、側近だけを集めた宴会の席ともなれば、誰しも心を許し、素顔を見せるのは当然。この女子大生の肩(胸?)に頭を預けて半分眠っている朴正煕大統領の姿を見れば、ホントにこれが韓国最高の権力者・・・?
<大統領側近3人の確執がポイント・・・>
韓国では日本以上にダイナミックに権力闘争が展開されるため、大統領職が終了した途端に次期政権下で逮捕され有罪判決を受けるという事態が全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領、盧泰愚(ノテウ)元大統領と続いてきた。日本でも、2007年夏の参議院選挙によって参議院で第一党となった民主党と、安倍晋三政権が1年で崩壊し、福田康夫政権に移行した自民党との間で新たな権力闘争の局面が生まれている。韓国では、現職大統領の盧武鉉は既に「死に体」となり、野党ハンナラ党の大統領候補として、朴正煕の娘朴橦恵(パク・クネ)を敗って登場した李明博(イ・ミョンバク)が今や期待の星・・・。
そんな現状から時計の針を28年前に戻した1979年10月当時、朴正煕大統領の側近はチャ警護室長(チョン・ウォンジュン)、ヤン秘書室長(クォン・ビョンギル)そしてキム韓国中央情報部長(ペク・ユンシク)の3人。ところが、本日ヘリコプターで地方視察に飛んだ朴正煕大統領に随行したのは、チャ警護室長とヤン秘書室長の2人だけで、キム部長はなぜか同行していなかった。それは、ヘリコプター視察のメンバー選定の決定権をチャ警護室長が持っていたから。こんな3人の権力争いをめぐる確執が、大統領暗殺という大事件に至った原因らしい・・・。
男女関係をめぐる女の嫉妬は恐いというけれども、権力争いをめぐる男の嫉妬はもっと恐い・・・?
<朴正煕大統領の「4つの顔」とは・・・?>
この映画のプレスシートには、「パク・チョンヒ(朴正煕/1917~1979)大統領に関する説明/評価」として、「パク・チョンヒ その4つの顔」が詳しく紹介されている。①1960年の(旧)安保闘争、②1963年の朴正煕大統領の選出、③1965年の日韓国交正常化、という流れの時代、私は中学、高校生だったが、そういう動きはよく知っている。とりわけ、朴正煕大統領が「李承晩ライン」で有名な前大統領李承晩時代の貧困を解消し、日本の池田勇人内閣による「所得倍増政策」と同じような経済発展を目指し、現実に韓国の高度経済成長を成しとげたことはよく理解していた。しかし、この映画でみるような、側近を集めた宴会を好み、当時売り出し中の女性歌手シム・スボンを宴会の場に招集するような朴正煕大統領の素顔を見たのはもちろんはじめて・・・。
もっとも、プレスシートが「パク・チョンヒ その4つの顔」として分類する、①軍事エリートあるいは怪物、②高度成長期の立役者、③無慈悲な独裁者、という3つの顔は誰しも異論のないところだろうが、イム・サンス監督がこの映画で描いたような、④の「果たしてその素顔は?」という朴正煕大統領の素顔はホンモノ・・・?それともニセモノ・・・?
それが、ソウル中央地裁での裁判の争点となっているのだから、私たち日本人観客はその真相を知るべくもないが、もしこの映画が描く朴正煕大統領の素顔がホンモノであったとしたら・・・?
<どこか、ユーモラスな雰囲気が・・・?>
この映画は、チャ警護室長、ヤン秘書室長、キム部長という3人の大統領側近と歌手+1人の女子大生が集まった晩餐会の席において、韓国中央情報部長(つまり長官)のキムが直接拳銃の引き金をひいたことによる大統領暗殺という大事件を描いたもの。したがって、緊張感に満ちあふれた映画だろうと予想していたが、意外にどこかユーモラスな雰囲気が・・・?
その原因は、どうもこの決行は、キム部長が事前に周到な準備と謀議を重ねたうえでの「イザ、決行!」ということではなく、その場の成り行きで「よし、今夜やるぞ!」と決行に及んだという無計画性のため・・・?そのトバッチリをモロに受けたのが、キム部長の忠実な部下である韓国中央情報部儀典課のチュ課長と現役軍人のミン大佐(キム・ウンス)。そしてまた、チュ課長の下にいたクォン・ヨンジョ(イ・ジェグ)、チャン・ウォンテ(キム・サンホ)、ウォン・サンウク(キム・ソンウク)たち。彼らはいずれもキム部長が「今夜、決行するぞ!」と言われたため、しぶしぶそれにつき合った感さえも・・・?とりわけサンウクなどは「俺は運転手にすぎないから、抜けるヨ」と言って現に抜けかけたが、それができないまま参加してしまうことになり、その結果大変な結末に・・・?
最近とくに横暴ぶりが著しいチャ警護室長に対してキム部長が猛反発し、欲求不満がたまりにたまっていることは、スクリーンを観ているとよく理解できるのだが、それがこんな形で爆発するとは、日本人の私には到底理解できないところ。そのような「大統領暗殺!」という言葉から受ける深刻さ、シリアスさ、緊張感とは異質の、どことなくユーモラスな面を微妙に感じとったのは、多分私だけではないはず・・・。
<大統領暗殺はどんな手順で・・・?>
この映画では、警護室長のチャが「お忍びで」とまでは言わないまでも、完全に大統領が気を許したプライベートな食事会に出席している様子がイキイキと描かれるが、こんな場合大統領の警備はどうなってるの・・・?日本のようなノー天気な国は別として、『SILMIDO(シルミド)』(03年)で描かれたように(『シネマルーム4』202頁参照)、かつて1968年1月に、大統領府(青瓦台)が北朝鮮ゲリラに襲撃された経験をもつ韓国では警備は厳重なはず。
私はそう思っていたのだが、意外とその点はいい加減で、食事会を行っていた晩餐庁の中には大統領の警護主任のヨンフンと警護副主任のハン・ジェグクが別室で控えているだけ。もちろん調理室にはたくさんの料理人の他大統領警護室の職員3人がいたし、中央情報部施設の宴会場執事のシム・サンヒョ(チョ・サンゴン)もいたが、それ以外は晩餐庁には誰もいないという無警戒さ・・・。
そうなると、ヨンフン警護主任とジェグク警護副主任の2人をチュ課長が押さえ、調理室をチュ課長の部下3人が押さえれば、あとは食事会の席でキム部長が全く無防備のチャ警護室長や大統領に対して拳銃をぶっ放せばいいだけ。映画の中盤は、そんな血生臭くもどこか人間臭さの漂う大統領暗殺実行の様子が映し出されていく。しかして、その中で殺された人は誰・・・?そして生き残った人は誰・・・?
<暗殺決行後のキム部長の行動は・・・?>
日本で起きた最も大規模なクーデターは1936年の2・26事件だが、これは日本国の現状と将来を憂えた皇道派の青年将校たちが一部の将官の支持を受けて決起したもので、実行部隊はすべて青年将校。ところが『ユゴ 大統領有故』が描く大統領暗殺は、いわばアメリカのCIA長官あるいはFBI長官が大統領を直接暗殺したというものだからすごい。
ところが私にサッパリ理解できないのは、コトを決行した後のキム部長の行動。ストーリー展開を観ている限り、キム部長は何者かによって大統領とチャ警護室長が暗殺されたことにして、より民主的な次期政権をうちたて、その政権の中で自分も一定の役割を果たそうと考えていたようだが、その次期政権確立構想が私にはサッパリ見えてこないわけだ。
しかも、キム部長はチャ警護室長は殺したものの、ヤン秘書室長には拳銃を向けなかったから、彼はこの事件を自分と共に秘密にしてくれると読んだらしい。しかし私が見る限り、キム部長とヤン秘書室長が心から信頼し合い共通の志をもった同志とはとても思えないから、そんな甘い判断でいいの・・・?
また、現場を取り仕切ったチュ課長も2人の女に対して「このことは誰にもしゃべるなヨ」と言って送り出しただけだし、コトの一部始終を目撃したサンヒョ宴会場執事も生きたまま放置。さらに、調理室で生き残った料理人たちもチラリホラリと・・・。こんなことで秘密が保持されるの・・・?そう思っていると案の定・・・?
こんな一連のキム部長の行動は私には全く不可解で、はっきり言えば頭が悪い・・・?これは、キム部長がさかんに最近の体調不良を訴えていたから、そのせいで頭もボケていたせい・・・?
<なぜ、イム・サンス監督は韓国の大島渚と呼ばれるの・・・?>
私はかなりの本数の韓国映画を観ているが、この映画のイム・サンス監督の名前は聞いたことがないし、彼の作品も観たことがない。ところがプレスシートを読むと、彼は1998年のデビュー作『ディナーの後に』が、「女性の性的欲望をストレートに描き、儒教色が色濃く残る韓国社会に大きな衝撃を与えた」とのこと。またそれに続く『涙』(00年)も『浮気な家族』(03年)もそしてこの『ユゴ 大統領有故』もすべて各方面に大きなインパクトを与えている、とのこと。そのためプレスシートには「イムはまさに現代韓国版“大島渚”」と書かれているが、さてその評価はどこまで確立しているの・・・?
ちなみに1962年生まれのイム・サンス監督は「386世代」の1人だが、これは1998年当時30歳代、80年代入学、60年代生まれを表す言葉。したがって、この386世代の映画人の1人であるイム・サンスはかつて盧武鉉大統領らと共に民主化運動、学生運動に奔走した世代として、現代史のタブーに挑んでいるらしい。しかし、大統領が替われば政治的風向きが一変する韓国のこと。今やすっかり多くの国民から見切りをつけられた盧武鉉政権に変わって野党ハンナラ党の李明博政権になれば、イム・サンス監督らの活動もひょっとして大きく変わるのかも・・・。
2007(平成19)年10月26日記