象の背中(日本映画・2007年) |
<梅田ピカデリー>
2007年11月10日鑑賞
2007年11月13日記
48歳の働き盛り。仕事も家庭も順調そして愛人との関係も順調だったが・・・?延命治療拒否を軸とするいくつかの論点が明示されるので、議論の素材として絶好。大幅減量して末期ガン患者に挑戦した役所の熱演はさすがだが、「幸せな男の幸せな話」に多少違和感も・・・。また、劇場はガラガラだったが、収益は大丈夫・・・?
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監督:井坂聡
藤山幸弘(中堅建設会社部長、48歳)/役所広司
藤山美和子(幸弘の妻)/今井美樹
藤山俊介(幸弘の長男、大学生、20歳)/塩谷瞬
藤山はるか(幸弘の長女、高校生、チアリーダー)/南沢奈央
青木悦子(幸弘の愛人、フリーのコピーライター)/井川遥
佐久間清(幸弘の高校時代の同級生)/高橋克実
松井(医師)/白井晃
山城(幸弘の同僚、営業推進部長)/益岡徹
福岡美穂(幸弘の中学の同級生、初恋の人)/手塚理美
高木春雄(不動産会社社長)/笹野高史
今野(幸弘の建設会社社長)/伊武雅刀
藤山幸一(幸弘の兄)/岸部一徳
2007年・日本映画・124分
配給/松竹
<あの連載が映画に・・・>
2005年1月から6月まで産経新聞朝刊に連載された秋元康の『象の背中』は、同じ頃日経新聞に連載されていた『愛ルケ』(2004年11月から2006年1月まで)に比べてうっとうしい話だった(?)から、病気の告白をされる部分などは読みとばしていたが、なぜか愛人と過ごしている部分などはきっちりと読んでいた記憶がある。また、この小説がなぜ『象の背中』というタイトルになったのかも、この連載の時点でよく知っていた。しかし、「こんな暗い物語は人気が出ないだろう」という気持が強かっただけに、2007年4月にこれが映画化されると知ってビックリ。しかも主役は役所広司で妻が今井美樹、愛人が井川遥とくれば、こりゃ観るっきゃない。
公開が近づくにつれて、産経新聞が特別に紙上でいろいろな特集を組んで大宣伝したのは当然だが、私より先に観た妻の感想は芳しくなかった。そして、私が観た時も館内はガラガラ状態。
また、『キネマ旬報』11月下旬号の「REVIEW 2007 Part1」(102頁)によると、4人の評論家のうち1人だけは3点だが、あとの3人は1点と酷評。それはなぜか・・・?観ているうちにこの映画の欠点もたしかに目についてきたが、私の評価はそんなに悪くない。星4つはムリとしても、標準の星3つ・・・。
<なぜ映像化が望まれたのか? その1─主人公の状況設定は・・・?>
この連載小説には映像化のオファーが殺到したらしいが、それは第1に、主人公の状況設定が身の丈であったためだと私は思っている。
主人公の状況設定については、第1に、48歳という年齢は肺ガンで余命6カ月と告知されるには少し若すぎるかもしれないが、順調に育っている2人の子供との接触が可能な年代としてはギリギリ。つまり、2人とも大学を卒業し、就職してしまえばバラバラの生活になるため、この小説のような結末を迎えることはまず不可能・・・?
第2に、人並み以上に会社でも家庭でも恵まれている主人公が5年間ずっと続いている愛人をもっているという設定がいい。女性読者には反発もあるだろうが、それでも「よくある現実(?)」として受けとめざるをえない・・・?
第3に、次男坊の主人公が、ある事情で実家とも兄とも没交渉になっているという設定が面白い。これは決して望ましいことではないが、核家族化が進んだ現代社会ではよくある境遇で、読者には近親感が湧いたのでは・・・?
もっとも、この映画を観ていると、主人公は家庭(内の立場)でも、会社(内の地位)でも、実家(の遺産)でも一般読者以上に恵まれていることは明らかで、「ホスピス」での幸せな最期を含めて壮大な理想郷のような気も・・・。つまり、ホントは特に男性読者はこの主人公に身の丈を感じたのではなく、理想を感じ、それを映像によって自分の目で直接確認したかったのでは・・・?
<なぜ映像化が望まれたのか? その2─主人公の決断は・・・?>
この小説の映像化が望まれた第2の理由は、ガン告知後の対応(決断)が読者の関心をひいたため。というのはあくまで私の勝手な判断だが、この映画最大のテーマが主人公のいくつかの決断にあることはまちがいない。その決断には次の4つがある。すなわち、第1は延命治療拒否の決断。第2は大切な人に直接会って別れを告げるという決断。第3は妻には告知せず、息子に告知するという決断。第4は愛人への告知の決断だ。
この決断の1つ1つについて賛否両論があるのは当然。そこで、以下1つずつその決断をチェックしていきたい。
<いきなり重い重いシーンが・・・>
映画の冒頭、スクリーンに映るのは、河原を歩く男の靴。男はなぜかひしゃげた汚いカンを拾い、何ゴトか考えている。そして次に、主人公藤山幸弘(役所広司)が松井医師(白井晃)からガン告知を受けるシーン。コンピューター上の画像を見ながら、松井医師は「肺ガンです。末期ガンです」と静かに告知。それを聞いた幸弘はビックリしながらも、無理につくり笑いを浮かべながら「あとどれくらい、あと何年くらい生きられますか?」と聞いたが、その答えはさらに残酷なもの。つまり、「6カ月がメドです」というものだった。
先ほど幸弘が河原を歩いていたのは、そんな告知を受けた直後の呆然としたところだった。そこで突然ケイタイが鳴ったが、それは妻美和子(今井美樹)から。「あなた、どうでした?」と聞いてきたのは、夫が今日検査結果を聞くために病院に行くことを知っており、「結果がわかれば連絡して下さい」と言っていたのに、まだ電話がなかったので心配してかけてきたもの。それに対して、幸弘は少し口ごもりながら「うん、大したことはなかった。ストレスだそうだ」とウソの説明を・・・。そんな説明をした幸弘の頭の中は、今一体どんな状態・・・?さすが日本を代表する名優役所広司が、そんな冒頭の大事なシーンをしっかり演じているが・・・。
<会社の中では・・・?>
中堅の建設会社の部長である48歳の幸弘は今、3年越しの大型プロジェクトの責任者。他方、会社の中には、郊外型ファミリータイプのマンションはもはや頭打ちで、今後は都心の女性向けマンションの方が有望と考えているライバルの山城(益岡徹)がいた。さらに、会社の中には派閥がつきものだから、会議の様子を見ていると、社長の今野(伊武雅刀)の下に全員が結集しているわけではなさそう・・・。
そんな中、幸弘はそれまで冷静沈着な「できる男」と誰からも見られていたが、なぜかここ数日は部下を怒鳴りつけるし、重要会議でも感情的な発言が目立っている。一体それはナゼ・・・?会社の人たちがみんな疑問に思ったのは当然・・・。
<主人公の決断 その1─延命治療の拒否>
数日間悩んだ末、幸弘は再度病院を訪れ、松井医師に対してはっきりと延命治療を拒否することを宣言した。検討すべきは、幸弘のこの決断は家族や友人の誰にも相談しない自分1人だけの決断だったということ。そこで第1の問題は、誰にも相談しないでそんな決断を下すことが可能なのか否かということだが、ふつうの人にはそれは到底ムリ・・・?第2の問題は、延命治療拒否という決断をこんなに早い段階で、しかもこれほど断定的にすることが可能なのか否かということだが、これもふつうの人には到底ムリ・・・?つまり、ふつうは家族と相談しながら悩み、かつ医師から薦められるさまざまな治療法を選択的に受けながら、少しずつ「これ以上の延命治療はもういいヨ」と決断していくものでは・・・?
したがって、この映画に見る主人公の決断そのものには異論はないのだが、この段階でこれだけ断定的に決断したことにはかなり違和感が・・・?
<主人公の決断 その2─大切な人との別れ>
第2の決断は、この映画(小説)特有の決断。つまり、幸弘は残されたわずかな時間内に、今までに出会った大切な人たちと直接会って自分なりの別れを告げようとしたことだ。「作家」さだまさしの原作を映画化した『解夏』(03年)は、ベーチェット病による失明の宣告を受けた大沢たかお演ずる主人公がふるさとの長崎に戻り、解夏までの夏を恋人と過ごす姿を描いた映画だったが、この決断は誰にでもよく理解できるはず。しかし、幸弘のこの決断は一般的には理解しにくいのでは・・・?
彼が会いにいくのは、①初恋の相手だった女性福岡美穂(手塚理美)、②ケンカ別れした高校時代の親友佐久間清(高橋克実)、③絶縁した実兄の藤山幸一(岸部一徳)の3人。スクリーン上ではそれぞれの再会の姿がそれなりの説得力をもって描かれていくが、③の兄との再会は別として、①②はかなり不自然・・・?だって今さら、「私の初恋の人はあなたでした」と顔も思い出せない男から突然言われても、「ありがとう」とは言えないのでは・・・?また、あの時つまらないことでケンカ別れした親友がガンで余命数カ月だと言って突然訪問してきても、かえって迷惑なだけでは・・・?
<主人公の決断 その3─息子へのガン告知と妻への不告知>
第3の決断は、妻へはガン告知をせず長男にだけ告知することだが、これについては大きく賛否両論分かれるはず。その論拠は、23年間共に生きてきた妻美和子だからこそ話せないこともあるというものだが、そもそもこれが根拠薄弱。そのうえ、今告知しなくてもすぐに痛みがひどくなるのだから、当然すぐに妻に夫の異変がわかるはず。したがって、それだけの期間、告知を遅らせるのは全く無意味だと私は思うのだが・・・。
また、20歳の長男俊介(塩谷瞬)にだけ告知する根拠は「お前は長男だから」というものだが、これも根拠薄弱。そのうえ長男に対して妻と妹のはるか(南沢奈央)を支えてやってくれと言うのだが、それはあまりにも期待過剰というもの。スクリーン上では、そんな重い告知を受けた長男は「わかった」と返しているが、自分一人だけがそんな告知を受ける長男のプレッシャーは相当なものでしんどいはず。
ここはやはり、妻への告知が1番で、タイミングをはかって2人の子供たちにも説明、というのがオーソドックスだし、当然あるべき姿・・・。
<主人公の決断 その4─愛人へのガン告知>
面白いのは、5年間ずっとつき合っている愛人青木悦子(井川遥)へのガンの告知。何が面白いのかというと、このガン告知に伴って本来であればいろいろと生じてくるはず(?)の、おカネを含めた2人の関係の清算問題について、幸弘からも悦子からも何も提示されないこと。逆に言えば、この2人の間には清算すべき何モノもないほど純粋に愛だけで結びついていた関係らしい(?)が、ホントにそんな愛人関係ってあるの・・・?
悦子はフリーのコピーライターとして働くキャリアウーマンだからそれなりの収入があるのだろうが、スクリーン上で観る限りえらく立派なマンションに住んでいる。悦子にとって幸弘はカネ目当てのパトロンでないことは明らかだが、逆に幸弘が悦子に対して何の金銭的援助もしていないとすれば、それはあまりにも現実離れしたもの。
この映画は、突然ガン告知を受けた男を主人公とした「象の背中」ぶりを描くものだから、あまり愛人との清算にドロドロした問題が出てきたのでは収拾がつかなくなってしまうことは十分理解しつつ、あまりにキレイ事すぎるのでは、と思ったのは私だけ・・・?
<男の視点 その1─兄への遺言は・・・?>
坂和弁護士の映画評論らしく(?)、幸弘と愛人をめぐる関係について、愛人へのガン告知という論点の他、男の視点から2点を指摘しておきたい。その第1は、ホスピスに入りいよいよ最終の「お迎え」を待つばかりになっている幸弘を訪れてきた兄幸一との語らいのシーン。「兄ちゃん、強がってるけど、俺ホントは恐いんだヨ」という人間味あふれる告白シーンはよくできているが、「何か頼みごとはないか?」と尋ねる兄に対して、「1つだけある」「女か?」という前置きを経て幸弘の口から語られる望み(遺言)は、私にとっては何とも意外。
それは、「俺の骨をあいつに分けてやってくれ」というもの。男は、死を直前にして長年つき合っていた愛人に対して、こんなことをホントに望むの?逆に長年つき合ってきた愛人は、死んだ男の骨をもらって喜ぶの・・・?ふだんよく意見の対立する私の妻だが、この遺言の意外さ=バカバカしさについてだけは完全に妻と意見が一致したが、それはなぜ・・・?
<男の視点 その2─妻と愛人の対決は・・・?>
男の視点その2はやはり、幸弘の妻と愛人の扱い方・・・?スクリーン上でみる美和子はホントによくできた妻でパーフェクト。だって、幸弘は1度も美和子から愛人をもっていたことを非難されたことがないのだから。しかしこの映画をよく観ていると、さすがに美和子もそのうっぷんばらしをしていることがよくわかる。それは、ホスピスを訪れてきた悦子を迎えたときと別れるときの印象に残る会話。
そもそも、ホスピスから妻に内緒でこっそりケイタイで「悦子の顔をみたい」などと言う方も言う方だが、それに対して「行かない。電話切るね」とピシャリと答えが返ってきたのにはビックリだった。やっぱり、あと数カ月で死んでいく男は見限ったのかナと一瞬私は理解したのだが、さてその真相は・・・?
私の印象に残った会話は次の3つ。第1は、いきなりホスピスを訪れてきた悦子の、幸弘と美和子を前にしたセリフ。それは「近くまできたものですから、ちょっと・・・」というものだが、これが真っ赤なウソであることは明らか。そこで、別れる時の美和子のセリフは「遠いところからわざわざありがとうございました」という何とも皮肉の効いたもの。第2は、悦子が訪れてきたため気を利かして部屋から離れようとする美和子の「水を切らしているので買ってきます。どうぞごゆっくり」というセリフと、これに対する悦子の「いえ、おかまいなく。すぐに帰りますから」というセリフ。女という動物は、ホントにシャーシャーと腹の中とは全く違うセリフを口にできるものだと感心・・・。第3は、別れ際に「それでは失礼します」と言って背を向ける悦子を美和子がわざわざ呼びとめたうえ、深々と頭を下げながら「主人が長い間お世話になりました」というセリフ。これは半分いやみ、半分本音だろうが、まさに熱い火花がとびかう緊迫のシーン・・・?
<こんな独立型ホスピスなら、私も・・・>
パンフレットには、聖路加国際病院名誉院長・同理事長、日野原重明氏の「ホスピス医師が見たいろいろな『背中』──結局、人は孤独ではいられない。」という解説がある。私はこれを読んではじめてホスピスの存在意義と現状を知った。
この映画に登場する、海のすぐ傍にあるホスピスはすごく環境が良く、ここでこんな風に家族に見守られながら静かに最期を迎えることができるなら最高、と誰もが思うはず。ただ、「日本には、独立型ホスピスはまだ5ヶ所くらいしかない。」とのこと。また、「日本の緩和ケア病棟や独立型ホスピスでケアを受けられるのは、癌で亡くなる患者さん全体の10分の1の人だけ。」とのこと。
もちろんこの映画の中では、このホスピスの料金については全く触れられていないが、そうなるとやはり「いい最期」を迎えるためには、先立つものがかなり必要・・・?
<評論家の指摘あれこれ>
前述の「REVIEW 2007 Part1」における3人の評論家の評価が低いのは、次の指摘によるもの。第1は、「親しい者同士の馴れ合いによる愁嘆場がくり広げられるだけ」という指摘。第2は、「こんなだったらいいな、と願望し、妄想して脚本を書いたのだろうとしか思えないほど甘ったれが目立って感じが悪い」という指摘。そして第3は、「私は肺ガンでもうすぐ死にますと告げて回る行為」への違和感(強迫感)。
この3つの指摘を、私はさすがプロの評論家、よくズバリと指摘してくれたと思っている。しかし、第1、第2の指摘はたしかにそうだが、それについてはなぜそれが悪いのと居直ることが可能。そう、この映画を観れば誰だって、俺の末期はこうあってほしいと思うはずだから、願望、妄想の何が悪い、馴れ合いの何が悪いと考えれば、この映画の得点は上がるはず。他方、第3の指摘は私も全く同感で、それを言って回る方はいいけれど、言われた方はどう受け答えしたらいいのかに困ることも含めて、ホントはかなり迷惑・・・?別に、象のように1人群れを離れなくてもいいが、既に何十年も別の群れ(会社)で別の生活をしていたのに、なぜ急にガンの報告をするためだけで訪ねてくるの、と思うのでは・・・?
他方面白いのは、2人の女性評論家の指摘。3点をつけた内海陽子氏は、今井美樹について「お隣に住むモデルのお姉さんが遊びに来ているとしか見えないのが残念」と指摘していたが、それを残念と感じるか、それともいいと感じるかは男と女の違い・・・?また1点をつけた渡辺祥子氏は、「妻にも愛人にも不誠実な男の姿に対する反発が残ってしまう」と指摘しているが、これも女性なればこその反発・・・?
2007(平成19)年11月13日記