テラコッタ・ウォリアー秦俑(中国、香港映画・1989年) |
<シネ・ヌーヴォ>
2007年11月11日鑑賞
2007年11月26日記
張藝謀(チャン・イーモウ)と鞏俐(コン・リー)が共演した壮大な歴史物語(前半)と、SFファンタジー大作(後半)を遂に鑑賞。奇妙なタイトルは、秦の始皇帝陵墓に眠る「秦の埴輪戦士」のこと。不老不死の試薬を飲んだ戦士は、いつ、どんな姿で甦ってくるの・・・?この映画を契機として、兵馬俑見学のための西安旅行を企画するのは大賛成だが、まちがっても、不老不死の薬はお求めにならないように・・・。
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監督:程小東(チン・シウトン)
SFX(特撮):徐克(ツイ・ハーク)
豪天放(モン・ティエンファン)(陵墓建設の指揮官)/張藝謀(チャン・イーモウ)
冬兒(トン・アル)(秦時代の童女)/鞏俐(コン・リー)
朱莉莉(チュー・リーリー)(1930年代の端役女優)/鞏俐(コン・リー)
山口靖子(現代の日本人観光客)/鞏俐(コン・リー)(三役)
映画監督/呉天明(ウー・ティエンミン)
始皇帝/陸樹銘(ラク・セクミン)
干榮光(ユー・ロングァン)(1930年代の二枚目男優、盗掘団首領)/白雲飛
1989年・中国、香港映画・120分
配給/東映クラシックフィルム
<あの作品をやっと>
張藝謀(チャン・イーモウ)監督が、『紅いコーリャン』(87年)以降、『菊豆』(90年)、『紅夢』(91年)、『秋菊の物語』(92年)、『活きる』(94年)とたて続けに主役に起用していた女優が鞏俐(コン・リー)。その張藝謀が俳優として、この鞏俐と共演した映画が『テラコッタ・ウォリア-秦俑』と知ってビックリしたが、この『テラコッタ・ウォリアー秦俑』は残念ながら「中国映画の全貌2004」の時に観ることができなかった。
そのため、私の中国映画のバイブル本である『中国映画の全貌2004』と『中国映画の明星』『中国映画の明星 女優篇』によって得た情報で、いろいろとこの映画について想像たくましくしていたが・・・?
<これはやはり、香港映画・・・>
今回やっとその作品を観ることができたが、前半は予想どおりの重厚・壮大なものだったが、後半は、SFXを多用しファンタジー色豊かでコメディ風になっていることにビックリ。これはやはり、1980年代後半に「中国ヌーベルバーグ」として登場してきた中国映画ではなく、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(87年)、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2』(90年)、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3』(91年)でその名を世界にとどろかせた香港の程小東(チン・シウトン)監督作品だと痛感。この3作品の製作や脚本で程小東監督に協力したのが、『SEVEN SWORDS セブンソード(七剣)』(05年)の徐克(ツイ・ハーク)監督。『テラコッタ・ウォリアー秦俑』でもこの徐克がSFX(特撮)を担当しているから、後半の特撮シーンはこの徐克の技術によるところ大。
ちなみに、程小東監督は魅力的な美女2人を登場させた、魅力的な活劇映画『レディ・ウェポン』(02年)等も監督しているから、それにも注目(『シネマルーム7』330頁参照)。
<『古井戸』に続いて張藝謀が主役を!>
1982年に北京電影学院の撮影学科を卒業した張藝謀は、「30年来ずっと行われてきた国家的な就職あっせん」である「組織分配」によって、広西チワン族自治区の区都南寧にある広西映画製作所へ行くことになった。南寧はベトナムとの国境近くにある南の辺境で、卒業生たちが1番恐れており、1番行きたくない撮影所。そこに張藝謀が何の抵抗もせずに行ったのは、「党の呼びかけに応じて全国どこにでも行くというのが学生としての最高のモラルであり、国の決定に従うかどうかはその学生の思想の善し悪しを判定する基準になり、将来にもひびくことになる」かららしい。以上は、『中国映画の明星』157~158頁による知識。
そんな張藝謀は『紅いコーリャン』で衝撃的デビューを果たしたが、それまではカメラマンや俳優として活躍していたもの。そして『古井戸』(87年)は、西安映画製作所の「改革者」と呼ばれた呉天明(ウー・ティエンミン)監督が、張藝謀を主演させた力作。その張藝謀が1987年に監督として大成功したにもかかわらず、1990年に再び俳優としてこの映画に登場したのは、一体ナゼ・・・?
ちなみに、『テラコッタ・ウォリアー秦俑』の後半では、呉天明監督もチョイ役の映画監督役として登場しているから、お見逃しないように・・・。
<ヘンなタイトルの意味は・・・?>
ネット情報によれば、テラコッタとは、「粘土を素焼きにしてつくった器物、塑像(そぞう)などの総称」で、「日本の埴輪もこの1種」。そしてウォリアとは、「戦士、闘士」の意味。他方、俑は「埴輪」の意味。
言うまでもなく、秦はBC221年に始皇帝が韓・趙・魏・楚・燕・斉の6国を征服して、中国ではじめて樹立した統一国家。そして1987年に世界遺産に指定された有名な兵馬俑(へいばよう)は、始皇帝陵(りょう)の一部。
1974年に発見された兵馬俑は、1号坑から4号坑まであり、東西230m、南北72m、広さ1万4260㎡という広大な1号坑にある戦車と馬そして武装した6000体の等身大の兵士たちの姿は壮大そのもの。このように、映画のタイトルである『テラコッタ・ウォリアー秦俑』とは、「秦の埴輪戦士」という意味。
<鞏俐は1人で3役も・・・>
1980年代から90年代にかけて数々の名作に登場した絶世の美女鞏俐が、いかにも奇想天外なこの映画では、何と1人3役に挑戦!しかも、時代的にも超ロング。すなわち、BC220年頃に生きた冬兒は、1930年代には朱莉莉として生まれ変わり、さらに現代(つまり1990年代)では兵馬俑の観光にやってきた日本人観光団の1人山口靖子として生まれ変わるわけだ。もっとも、山口靖子役はホンの一瞬だけだから、実質は冬兒と朱莉莉の2役。
私の目には、冬兒は本来の鞏俐(?)だが、下積み女優の朱莉莉役としてコミカルな演技を見せる鞏俐の姿ははじめて。もっとも、張藝謀のコミカルな演技を観るのもはじめてだが・・・。そりゃBC220年頃の服装のままで生き長らえた張藝謀扮する豪天放に、「君は冬兒の生まれ変わりだ」とワケのわからないことを言いながら迫られたら、1930年代を生きている朱莉莉が混乱するのは当たり前。
映画前半の荘厳なストーリー展開と、後半のいかにも喜劇タッチのストーリー展開は好対照・・・。鞏俐も張藝謀も、よくぞこんな役を演じたもの・・・。
<なぜ、豪天放は秦俑に・・・?>
BC220年頃、陵墓建設の指揮官である豪天放は、始皇帝(陸樹銘/ラク・セクミン)を刺客から救ったことによって側近に抜擢された。始皇帝が不老不死の薬を求めたのは本気。そして、その薬はずっと東方の蓬莱国(つまり日本国)にあるとわかったから、始皇帝は蓬莱国への童貞童女派遣団を組織することを決め、豪はその指揮官に任命された。
冬兒はその団員の1人だったが、あまりの美しさに豪と冬兒が恋におちてしまったから大変。もっとも、コトが露見すると豪は潔いもので、自ら道ならぬ恋におちたことを堂々と自白。それによって、冬兒は火刑、そして豪は秦俑にされることになったわけだ。
そこでポイントは、既に学者たちが試験的につくり出していた不老不死の薬の存在。冬兒が盗み出していたその試験薬を、彼女は火刑になる直前、最後のキスによって口移しに豪に含ませた。さて、そうすると・・・?
<なぜ豪は甦ったの・・・?>
時は移り、1930年代。本格的な日中戦争に突入する前、そして1936年の西安事件の前だから、西安の都は平穏。この映画後半の一方の主人公は、始皇帝陵墓をロケ地とした映画撮影にやってきた二枚目俳優の干榮光(ユー・ロングァン)(白雲飛)。もっとも、干榮光の真の狙いは映画撮影ではなく、始皇帝陵墓に眠る財宝の盗掘。そして、下っ端女優の朱莉莉は、たまたまそんな盗掘現場に居合わせたために、いろいろな事件に巻き込まれていくことに。
また、干榮光が自慢のプライベート飛行機を無謀にも朱莉莉に操縦させたため、その飛行機は見事に陵墓に墜落。そんなショックの中、それまで2000年以上眠っていた始皇帝陵墓に衝撃が走り、それによって豪が甦ることに・・・。そこで始まるのが、冬兒の生まれ変わりと信じる朱莉莉に対する豪の一方的なアプローチ。
映画後半は11月4日に観た『クレイジー・ストーン~翡翠狂騒曲~』(06年)のようなドタバタ喜劇が次々と展開され、思わず爆笑あるいは苦笑してしまうシーンも続々と。さあ、そんな映画後半の結末は・・・?そして、さらに生まれ変わった豪と冬兒は、1990年の現代、一体どんな姿で再会を・・・?
2007(平成19)年11月26日記