僕がいない場所(ポーランド映画・2005年) |
<東映試写室>
2007年12月3日鑑賞
2007年12月21日記
ポーランドの女性監督が描く、子供の心の叫びをあなたはどう受けとめる・・・?母親から愛されず、社会からも疎外された少年の生きザマは衝撃的で、今ドキの日本の母親に対する警鐘にも・・・。また、裕福な家庭の中、孤独感と疎外感をアルコールで紛らわせる少女の姿も衝撃的。タイトルに象徴されるこんな絶望的な状況に、私たちは一体どうやって対処すれば・・・?
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監督・脚本・編集:ドロタ・ケンジェルザヴスカ
クンデル(少年)/ピョトル・ヤギェルスキ
クレツズカ(少女)/アグニェシカ・ナゴジツカ
クンデルの母/エディタ・ユゴフスカ
クレツズカの父/パヴェウ・ヴィルチャック
クレツズカの姉/バジア・シュカルバ
2005年・ポーランド映画・98分
配給/パイオニア映画シネマデスク 宣伝/おふぃす風まかせ
<これも、すごいテーマ>
12月3日におふぃす風まかせの松井寛子氏の案内で観たのが、『やわらかい手』(06年)とこの『僕がいない場所』という2つの問題提起作。
『僕がいない場所』というタイトルは何とも意味シンだが、このタイトルは、社会から疎外された子どもたちの魂の叫びを表現したもの。この映画で初主演した少年クンデル(ピョトル・ヤギェルスキ)は、一体なぜ「僕がいない場所」になってしまうのだろうか・・・?
<ポーランドの女性監督ドロタ・ケンジェルザヴスカは・・・?>
そんなテーマを真正面からとりあげたのは、1957年生まれのポーランドの女性監督ドロタ・ケンジェルザヴスカ。プレスシートにある「ポーランド映画について」を読めば、「ポーランド出身の代表的な監督といえば、アンジェイ・ワイダ、そして出身ではないがポーランド系であるロマン・ポランスキーの名が挙げられる」という書き出しから始まり、ドロタ・ケンジェルザヴスカのポーランド映画界、監督界における位置づけが詳しく解説されている。これはおそらく誰もが今まで何も知らなかったという意味で非常に新鮮なものだから、興味ある方はネットで是非お勉強を。
これを読んではじめてわかったのは、『敬愛なるベートーヴェン』(06年)(『シネマルーム12』277頁参照)の女性監督アニエスカ・ホランドも1948年ポーランドのワルシャワ生まれだということ。残念ながらその名前を私はきちんと記憶していなかったが、ドロタ・ケンジェルザヴスカ監督の実力を見せつけられた今、この2人のポーランド出身の女性監督の名前を対比してしっかりインプットしておかなければ・・・。
<この母親は、今ドキの日本の母親像・・・?>
主人公の少年クンデルは今、国立孤児院に預けられているが、その反抗的な態度には先生たちも困っている様子。また、そんな反抗的な態度だから友達も全然できず、孤立しているらしい。そんな中、クンデルは一人孤児院を脱出して列車に乗り、あるところに向かったが、それは母親のところ。やっとたどりついた家で母親のベッドの毛布をはがしたところ、母親が男と一緒に寝ていたというのもショックだが、私が根本的に疑問に思ったのは、そもそも母親がいるのになぜクンデルが孤児院に入っているのかということ。「男の愛がなければ生きていけないの」とぬけぬけと実の息子に言う母親も母親で、こりゃいかにも今ドキの日本の母親像だが、特に社会保障制度が完備しているとは思えないポーランドで、なぜ母親のいるクンデルが国立孤児院に入っているの・・・?
<酔っぱらってケラケラ笑う少女のキャラは・・・?>
せっかく逢えた母親から捨てられてしまったクンデルは、今、町はずれの川べりに捨てられた艀舟に身を潜めながら生きていた。そんな住まい(?)の中に突然現れたのが、クンデルよりもっと幼い少女クレツズカ(アグニェシカ・ナゴジツカ)。彼女は艀舟から見える大きなお屋敷に住んでいる姉妹の妹の方。ボチボチ色気づいてきている(?)クンデルは、きれいなお姉さん(バジア・シュカルバ)の姿は時々覗き見ていたのだが、妹の方にはまるで関心はなかったよう・・・?
ここで面白いのは、この少女クレツズカが突然ケラケラと笑い出すところだが、それは彼女の性格が陽気で明るいからではなく、酒の匂いをプンプンさせているところをみると、どうも酔っぱらっているため・・・?しかし、こんな小さな女の子が真っ昼間からアルコールくさいとは一体ナゼ・・・?
<クンデルの心のキズを誰が理解・・・?>
哀愁を帯びたギター曲として有名な『禁じられた遊び』(52年)は、ナチスの攻撃にさらされるパリのまちの中で、10歳の男の子ミシェルと5歳の女の子ポーレットの2人が、「お墓遊び」をしながら生きていく悲しい物語だった。また、是枝裕和監督の『誰も知らない(Nobody knows)』(04年)も、母親に見捨てられた子供たちの悲しい物語だった。『僕がいない場所』ではクンデルとクレツズカの出会い以降、これらの話とよく似た(?)、悲しいクンデルのストーリーが展開していくことに・・・。
不良少年たちを束ねている母親の男から、「お前の母親と関係した」と言われて傷ついたクンデルが、さらに母親から「もう二度と来ないで!」と言われたことによるショックは相当大きいはず・・・。しかし、こんなクンデルの心のキズを一体誰が理解しただろうか・・・?そしてそんな大ショックを受けたクンデルがとった行動は・・・?
<こんな絶望的状況をどうとらえれば・・・?>
他方、クレツズカがアルコールに依存していたのは、美しく賢い姉に対する劣等感そして家族の誰からも愛されていないという疎外感のため。そんなクレツズカだからこそ、大人から疎外され母親からもつき放されて一人絶望の淵に立つクンデルの気持を理解し、クンデルの側にやってきたわけだ。しかし、聡明なクレツズカの姉はそんな2人の様子をきっちり把握していたよう・・・。
クンデルが涙を流しながら素直に自分の気持をクレツズカに話しかけていく中、家族から社会から、そして大人たちから疎外された2人の心の絆は次第に結びつき、ついに「2人でこの町から出ていこう」と約束するに至ったが、ホントにそんなことが可能なの・・・?ラストに向けて待ち受ける絶望的な状況を、私たちは一体どうとらえればいいのだろうか・・・?
2007(平成19)年12月21日記