夜顔(フランス、ポルトガル合作映画・2006年) |
<テアトル梅田>
2008年1月29日鑑賞
2008年1月30日記
夜は貞淑な人妻、昼は娼婦!カトリーヌ・ドヌーヴが主演したそんなショッキングな設定の『昼顔』(67年)は、思い出深い禁断の映画!38年後の今、何とその続編(?)が・・・。ポイントはあの時の、あの秘密をめぐる男女の追っかけ劇と、いかにもフランス的、哲学的な会話だが、さてそのテイストは・・・?多少退屈するとすれば、それはあなたの勉強不足のせい・・・?
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監督・脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
アンリ・ユッソン/ミシェル・ピコリ
セヴリーヌ・セルジー(未亡人)/ビュル・オジエ
ベネデット(バーテンダー)/リカルド・トレパ
若い娼婦/レオノール・バルダック
年老いた娼婦/ジュリア・ブイゼル
指揮者/ローレンス・フォスター
カルースト・グルベンキアン基金管弦楽団(特別出演)
2006年・フランス、ポルトガル合作映画・70分
配給/アルシネテラン
<「38年後」はすごい!>
カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』は、私が大学に入学した年である1967年の有名な映画で、第28回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。若く美しいカトリーヌ・ドヌーヴ扮する若妻セヴリーヌが、夜は上流階級の夫ピエールの貞淑な妻に、昼は売春宿の娼婦になるという何ともショッキングかつミステリアスな物語にひどく興奮したことを今でもよく覚えている。それから38年後、その続編ともいうべき『夜顔』が製作・公開された。
ひとくちに38年後というが、『昼顔』のようなすごいストーリーを展開した人物が、38年後に姿を変えて再び登場するという企画は前代未聞。普通、38年も経てば人は大きく変わってしまうか、場合によっては死んでしまっているもの。したがって、まず何よりも「38年後」はすごい!
<同じ俳優が同じ人物をやるのもすごい!>
残念ながら(?)、38年後のセヴリーヌを演ずる女優はカトリーヌ・ドヌーヴからビュル・オジエに変更されているが、セヴリーヌの秘密を握っているピエールの友人アンリを演ずるのは、『昼顔』と同じミシェル・ピコリ。ミシェル・ピコリは1925年生まれだから、『昼顔』のアンリを演じたのは42歳の時、『夜顔』のアンリを演じたのは81歳の時となるから、何ともすごいもの。
『昼顔』では何といってもセヴリーヌが主役で物語の華だったが、『夜顔』では偶然コンサートでセヴリーヌの姿を見かけ、これを追っかけていくアンリが主役となる。80歳を過ぎてなお38年前の女の顔を思い出すのもすごいが、その後を追っかけていき、議論をふっかけていく(?)のもすごい。この映画では、スクリーン上で展開される、ある悩ましいテーマをめぐる議論(?)を聞きながら、アンリの頭の中をあれこれと想像していくのが1つの楽しみ・・・?
<監督は何と99歳!>
私は全然知らなかったが、『夜顔』のマノエル・ド・オリヴェイラ監督は50年以上にわたってベネチア国際映画祭に出品し続けているという大監督。彼は1908年12月生まれだから、何と今99歳!そして『夜顔』は、このオリヴェイラ監督が8歳違い(8歳先輩)の『昼顔』のルイス・ブニュエル監督にオマージュを捧げたものらしい。
この映画は70分と非常に短いうえシークエンス数が極端に少ないから、ある意味あっけない感じもあるが、映画表現上の技術はやはり相当なもの。ちなみに私の印象に残った表現上の技術の特徴は、①ホテル、レジーナを中心としたアンリとセヴリーヌのユーモラスな(?)追っかけ劇、②再三映し出される馬上のジャンヌ・ダルク像、③シークエンス交代のたびに映し出される美しいパリの夜景、などだが、さてあなたはこれをどのように理解・・・?
<フランス映画ではバーテンダーとの会話も哲学的・・・?>
フランス映画はおしゃれで哲学的な会話が魅力と相場が決まっている(?)が、さすがフランスの老監督だけにこの映画ではそれが徹底されている。現在アンリがどこで何をしているのか、この映画は何も紹介しない。しかし、一人コンサートでドヴォルザークの交響曲第8番を聴きにきているくらいだから、きっと現在の彼は時間的にも経済的にも余裕のある紳士。もっとも、はじめて入ったバーで、ダブルのウィスキーを氷なしでたて続けに何杯も飲んでいるから、若干アル中気味・・・?
フランス映画が面白いのは、そんなバーの中で若いバーテンダーのベネデット(リカルド・トレパ)と交わす会話がそれだけで絵となり、哲学論争の立派なシーンになること。また、それに味を添える(色を添える?)のが若い娼婦(レオノール・バルダック)と年老いた娼婦(ジュリア・ブイゼル)の2人。彼女たちがアンリをターゲットにしていることはミエミエだが、アンリが彼女らに全然興味を示さないのは、さすがにあの年になれば女性に対する肉体的欲求はなくなり、精神的欲求オンリーになっているため・・・?
ベネデットが商売上うまくアンリの会話を引き出しているという面もあるだろうが、こういう哲学的会話はフランス映画特有のもの。
<ハイライトはディナーでの会話だが・・・>
アンリの涙ぐましい努力と少し脅迫じみた言葉(?)によって実現したのが、この映画のハイライトとなる、モンパルナス近くのホテル・ラ・レジスタンスの一室で始まるディナー。ホントにセヴリーヌはやってくるのか・・・?アンリは気もそぞろだが、かなり遅れてやっとセヴリーヌはやってきた。
プレゼントの準備、シャンパンの開栓、食事の手配等々アンリの心遣いは万全だが、残念ながら乾杯した後の会話の進行は今1つで、料理の処理だけが一方的に進んでいく感じ・・・?意外に簡素な(?)ディナーが終わり、ローソクの灯の中やっと2人だけの会話が始まったが、そこでセヴリーヌが言うのは、「今の私は、昔のセヴリーヌではない」ということばかり。それに対してアンリが言いたいことは、セヴリーヌの秘密を知っている自分が夫のピエールにそれを語ったと思うかどうかという一点。しかし、38年前の秘密(?)をほじくり返して楽しむような会話がスムーズに進むはずはない。したがって、そんな会話の結末は・・・?それがこの映画のハイライト。
おっと、もう1つここで見落としてはならないのは、アンリが用意した赤い包装紙に包まれたセヴリーヌへのプレゼント。包装紙を開いてその中身を見たセヴリーヌは全然興味を示さなかったが、このプレゼントは何か音の出るものらしい・・・。しかし、映画を観ている私にはその商品が何なのか残念ながらわからなかった。そこでパンフレットを読んでみたのだが、オリヴェイラ監督は、「ミシェル・ピコリがビュル・オジエにプレゼントした箱の中には何が入っていたのか?」の質問に対して「みんなそれを知りたがるが、言うことはできない。箱に入っているのは、人生の秘密だ。だれもそれを見たことはないし、だれもそれを知ることはできない」という冷たい回答を。
さて、このプレゼントは一体ナニ・・・?
2008(平成20)年1月30日記