悲しみが乾くまで(THINGS WE LOST IN THE FIRE)(アメリカ映画・2008年) |
<角川映画試写室>
2008年2月28日鑑賞
2008年3月8日記
注目のデンマークの女性監督スサンネ・ビアが、ハリウッドに進出!夫の突然の死亡によって、一挙に奈落の底へ。そんな喪失と再生をテーマとした難しい大人の人間ドラマを、ハル・ベリーとベニチオ・デル・トロが静かに熱演!絶対ウソをつけないような、超アップの撮影手法にも注目だ!
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監督:スサンネ・ビア
製作:サム・メンデス、サム・マーサー
脚本・製作総指揮:アラン・ローブ
オードリー・バーク(主婦)/ハル・ベリー
ジェリー・サンボーン(夫の親友)/ベニチオ・デル・トロ
ブライアン・バーク(オードリーの夫)/デヴィッド・ドゥカヴニー
ケリー(NA(匿名断薬会)の女性)/アリソン・ローマン
ニール(オードリーの弟)/オマーベンソン・ミラー
ハワード・グラスマン(近所に住む夫の友人)/ジョン・キャロル・リンチ
ハーパー(オードリーの10歳の娘)/アレクシス・リュウェリン
ドーリー(オードリーの6歳の息子)/マイカ・ベリー
2008年・アメリカ映画・119分
配給/角川映画、角川エンターテインメント
<あの女性監督がハリウッド進出!>
デンマークの女性監督スサンネ・ビアの『アフター・ウェディング』(06年)と『ある愛の風景』(04年)を2007年11月14日に2本続けて観てそのすばらしさに感動した私は、スサンネ・ビアが「ハリウッド進出!」と聞いてビックリするとともに、これは絶対観なければと意気込んでいたもの。
彼女のはじめての英語作品が実現したのは、アカデミー賞受賞監督サム・メンデスがアラン・ローブの脚本に注目し、監督探しをした結果、スサンネ・ビアに白羽の矢を立てたため。ハリウッド進出を狙うスサンネ・ビアにしてみれば、これは願ってもない話だが、問題は、そんな状況下でもトコトン彼女の作風を貫くことができるのかどうかということ。つまり、変にアメリカ人のご機嫌取りにならないかということだが、そんな心配が杞憂にすぎないことはあなた自身の目で・・・。
<突然夫を失った喪失感は・・・?ハル・ベリーは・・・?>
ハル・ベリーが演ずるのは、ある日突然愛する夫ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)を失った主婦オードリーの役。彼女は10歳の娘ハーパー(アレクシス・リュウェリン)と6歳の息子ドーリー(マイカ・ベリー)に囲まれやさしい夫と共に暮らす、平凡だが幸せな生活を一瞬にして失ってしまったわけだ。アメリカでは、この年齢の2人の子供がいても、まだまだ夫婦間のセックスライフが充実していることがこの夫婦を見ているとよくわかるが、その喪失も含めてこの後一体オードリーはどうやって生きていけばいいの・・・?
『007/ダイ・アナザー・デイ』(02年)でボンド・ガールに扮したハル・ベリーは十分カッコよかったが、『X-MEN2』(03年)や『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』(06年)でのマンガみたいな役は私にはイマイチ。彼女が最高に輝いたのは『チョコレート』(01年)(『シネマルーム2』43頁参照)だが、『ゴシカ』(03年)(『シネマルーム6』302頁参照)を含めて、ハル・ベリーは難しい役柄になればなるほど実力を発揮するタイプ・・・?その意味でこの『悲しみが乾くまで』は、『チョコレート』と並ぶ彼女の代表作となるはずだ。
<これぞ「性格俳優」!>
愛する夫ブライアンを失ったオードリーの喪失感を埋める役割を果たすのは、意外にもブライアンの幼なじみだったジェリー・サンボーン(ベニチオ・デル・トロ)。ジェリーはかつては有能な弁護士だったがヘロインにおぼれ、今は薬物依存を断ち切るべくアルバイトをしながら細々と生きているだけの男。そんなジェリーを周りの人たちはみんな見捨てたが、ブライアンだけはずっと親身になって彼の世話をしていたから、ブライアンはよほど人のいい奴。
大きな喪失感の中、子供たちに当たり散らすまでに落ち込んでいたオードリーが救いを求めたのは、なぜかそんなジェリー。「仕事をしてくれ。自分の家の一部を提供してもいい」と申し出るオードリーに対して、「お情けなら必要ない」と断るジェリーだったが、その後オードリーの口からは「違うわ、助けて欲しいのは私のほう」という驚くべき言葉が・・・。これによって、誰がどう見ても奇妙な共同生活が始まったわけだが、子供たちは妙にジェリーになつくから、オードリーはひと安心。しかし、それが嵐の前の静けさであることは明らかだ。
そんな複雑で微妙な役を演ずるのは「性格俳優」ベニチオ・デル・トロ。彼しかいないというと言い過ぎかもしれないが、まさに適役であることはまちがいなし。もっとも、そんなハル・ベリーとベニチオ・デル・トロの、静かに火花が飛ぶ迫真の演技を引き出したのは、スサンネ・ビア監督の実力・・・?
<チョー極端なアップは健在!>
スサンネ・ビア監督の撮影手法の特徴は、チョー極端なアップの多用。そこまでアップにされると、俳優たちは脳の中まで見透かされているようで、絶対にウソをつけないという気持になるのでは・・・?スクリーンいっぱいに顔の表情がアップされるのはよく観るが、スサンネ・ビア監督のそれは、目だけのアップ、口だけのアップだからすごい。ひどい時(?)は、スクリーンいっぱいに片方の目だけ・・・。これでは、俳優は一瞬カメラが目に入ってくるような恐怖心を覚えるのでは・・・?
母親の落ち込む姿を毎日見ている子供たちが、影響を受けないはずがない。そう思っていると、ある日娘のハーパーが家に帰って来なくなったから、オードリーは半狂乱状態に。ところが、そんなハーパーをジェリーが無事連れ戻してきたから、オードリーはビックリするとともに、一体ナゼ・・・?子供たちは、母親の私よりも赤の他人であるジェリーと心が通じているの・・・?子供たちを含むそんな微妙な心理のアヤを、スサンネ・ビア監督特有の超アップのカメラが的確に捉えていくから、それに注目を!
<退去命令は正解?それとも誤り?>
この映画には、スサンネ・ビア監督ならではの面白いシーンがある。それは奇妙な共同生活を続ける中、ある夜「眠りたいの」と願うオードリーがベッドの上でジェリーに手取り足取り体位を指示して、1人安らかに眠るシーン。私は英語力が乏しいから、これがどんな英語でのセリフだったのかわからないが、ヘタすると全く違う意味にとられるかも・・・?オードリーが指示した体位は、かつてオードリーが夫の胸の中で眠る時に1番安心できる体位だったが、ジェリーがこれを少しでも誤解したら、事態はヘンな方向に進んでいたことは明らかだ。
オードリーとジェリーの仲(?)は一時そこまで良好だったのに、ハーパーの失踪事件後、熟慮したオードリーは遂にジェリーに対して退去命令を。もちろん、ジェリーは卒直にそれに従ったが、それに反発するハーパーやドーリーの反応を含めて、オードリーのこの決断は正解?それとも誤り?
<NAの役割は・・・?ケリーの役割は・・・?>
アメリカ映画には薬物依存症の人たちが一同に集まり、自由に発言し経験を交流し合うことによって、少しでも早く立ち直ろうとしているシーンがよく登場する。この映画にもそれが登場するが、この映画を観た後ネットで調べてはじめて知ったのが、NAすなわちナルコティクス アノニマスという、薬物によって大きな問題を抱えた仲間同志の非営利的な集まりの存在。ちなみに、薬物のとりこになってしまった人のことを、アディクトと言うらしい。
ジェリーもNAに通っていた1人だが、そこでジェリーをじっと見守っていたのが、同じく薬物依存症だった女性ケリー(アリソン・ローマン)。
オードリーの家を出たジェリーの行き着く先は、再びヘロイン・・・?はっきりそうわかったオードリーは再度ジェリーの救出に向かったが、そこで重大な役割を演ずるのがケリーだ。映画後半の、ケリーを交えたスリルある(?)人間ドラマもタップリと堪能したいものだ。
<いい邦題だが、原題は・・・?>
脚本のアラン・ローブの言葉によれば、「これはカタルシスと再生の物語である。そして友情もある」とのこと。そして『悲しみが乾くまで』はそんな映画の中身にピッタリの邦題。
他方、原題は『THINGS WE LOST IN THE FIRE』だが、これはちょっとわかりにくい。この原題の意味するものは、この映画のラストシーンにならなければわからない。アラン・ローブの言葉のように、この映画は喪失の後に訪れる「カタルシスと再生の物語」だから、映画のラストに至りオードリーはやっと夫を失ったことを受け入れることになる。そして、そこでオードリーが語るのが「漏電で起こったガレージの火事で多くのものを失ったわ。子供服、思い出の写真、重要な書類・・・」ということ、つまり「THINGS WE LOST IN THE FIRE」だ。しかし、そんな状況下でもあくまで冷静だった夫がその時彼女に言った言葉は、「失ったものはただの“もの”でしかない、それでもまだお互いがいるじゃないか」ということだ。何と力強くすばらしい言葉だろう。そんなラストシーンの感動をしっかり確認するためには、邦題よりも原題の方がベター・・・?
2008(平成20)年3月8日記