トウキョウソナタ(日本映画・2008年) |
<東映試写室>
2008年8月7日鑑賞
2008年8月8日記
1964年の東京五輪から44年後の今日、北京五輪が開幕!『ALWAYS 三丁目の夕日』が描いた1960年代のニッポンと、『トウキョウソナタ』が描いた2008年のニッポンは何がどう違うの・・・?それは夢と希望VS閉塞感と絶望・・・?そんな中で描かれる4人家族の不協和音とその拡大、崩壊のサマは・・・?そして、再生の芽は・・・?カンヌ受賞も当然と思える名作を、じっくりと味わおう。
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監督・脚本:黒沢清
佐々木竜平/香川照之
佐々木恵(竜平の妻)/小泉今日子
佐々木貴(たかし)(竜平の長男、大学生)/小柳友
佐々木健二(竜平の次男、小六)/井之脇海
金子先生(ピアノ教室の先生)/井川遥
黒須(竜平の高校の同級生)/津田寛治
小林先生(健二の小学校の担任)/児嶋一哉(アンジャッシュ)
強盗/役所広司
2008年・日本映画・119分
配給/ピックス
<カンヌも絶賛!>
毎年5月に開催されるカンヌ国際映画祭も08年は第61回となり、日本からは唯一『トウキョウソナタ』だけが出品された。その上映はカンヌ時間5月17日に行われ、拍手とスタンディングオベーションに包まれたらしい。そして、それが決してお世辞でなかったことはその1週間後明らかに。
つまり、第61回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で、『トウキョウソナタ』は見事準グランプリにあたる審査員賞を受賞!08年5月24日日本時間未明、この受賞のニュースに関係者たちは湧き立った。外国人にここまでこの映画の良さがわかってもらえたのだから、日本人ならその良さはもっとわかるはず!
<マックス・マニックスは日本人以上に日本的!>
プレスシートによれば、この映画の原案と脚本を書いたのは、かつて日本に住んでいた経験のあるオーストラリア出身の新進脚本家マックス・マニックスとのこと。また、その脚本では、①会社をクビになったのにそれを隠し通す父親と、②ピアノを練習しているのにそれを隠し通す息子の関係が基本にあったとのこと。そして、プロデューサーからその脚本を渡された黒沢清監督が、そのシンプルで力強い親子の物語に感動し、監督をやることを決めたとのことだ。
リストラ、失業、就職難は、2001年4月から始まった小泉構造改革に伴う「負の遺産」だが、なぜオーストラリア人がそんな日本の負の実態に目を向け、上記のような父子の物語を思いついたのか少し不思議。ひょっとして、オーストラリア人の方が感性の鈍った日本人以上に日本的・・・?
もっとも、この映画はそんなマックス・マニックスの原案・脚本を尊重しつつ、黒沢清監督も脚本を担当したから、黒沢清監督のアイデアによって、①母親のキャラクターを膨らませ、②長男のキャラクターを加えたとのこと。長男貴(小柳友)がアメリカ軍に入隊するというエピソードは簡単に語られるだけだが、母親恵(小泉今日子)が強盗(役所広司)にさらわれるというエピソードは、後半すごく大きな意味をもつから要注目!
<まずはリストラ、失業、就職難の現実から>
1974年に弁護士登録をし、弁護士生活34年となった私は、70年代、80年代、90年代、00年代におけるさまざまな企業と個人の「事件」を処理してきた。離婚や交通事故も悲惨だが、数多く処理してきた破産に伴う人生模様はそれぞれかわいそう。
そんな私だが、リストラに伴う悲劇は弁護士としてあまり扱ったことがない。しかし、この映画の冒頭に登場する主人公竜平(香川照之)のリストラぶりを見ると、なるほどリストラの現場とはこんなものなのかということがよくわかる。さらにリストラ以上に悲惨なのが、それによる失業と就職難だということも実感!昨日までそれなりの企業の総務部長をしていた男が、今日からは失業者と一緒になって公園で配給される昼食を食べるとは・・・。ハローワークで就職口を見つけるのに、毎日毎日あんなに並ばなければならないとは・・・。失業前と同じような条件の職場は100%ありえないとは・・・?
また、出会った時のカンで互いにリストラ仲間だと悟った高校時代の同級生黒須(津田寛治)が竜平に授ける失業者の心得(?)やその見事な実践ぶりを見ていると、涙が出てきそう。ましてや、その黒須が一人娘を残して妻と一緒に無理心中をしたと聞くと、竜平と共に私も唖然。小泉構造改革に伴う負の遺産って、ホントにこんなに深刻なの・・・?
<ストーリーを語る主人公は?>
この映画の主人公は、黒沢清監督が当初から想定していた芸達者な香川照之演ずる竜平。しかし、ストーリーを語る主人公は、佐々木家の次男坊で小学校6年生の健二(井之脇海)。彼の感性と問題提起力は抜群で、学校内で小林先生(児嶋一哉)を相手に起こした「ある事件」によって、友達から「革命を起こしたヒーロー」と称えられるほど。しかし、本人の興味はピアノにあるらしく、学校帰りに通りがかったピアノ教室で金子先生(井川遥)と出会うことによって、数奇な人生が開かれていく芽が生まれることに。
そんな健二が語る、佐々木家の不協和音とは・・・?それは、お父さんもお母さんもお兄ちゃんもそしてボクもみんなナイショの秘密があること・・・?
<役所広司も、こんな役ははじめて!>
この映画における役所広司は特別出演的なもの。彼の登場は映画後半30分になってからだが、何とその役は佐々木家に押し入る強盗犯!秘かに家の中に侵入し、覆面をして階段下に隠れていた役所広司扮する強盗は、いきなり恵に対して包丁を突きつけ、「騒ぐな!騒ぐと殺すぞ!」ときたからビックリ。しかし、佐々木家には現金を置いていないと聞かされ、それが本当らしいと気づいた強盗は意外に諦めよく佐々木家を去ろうとした。ところが、覆面をはいで家の外に出た時、たまたまパトカーの音を聞いたため驚いてまた家の中に入ったのが運の尽き。恵に顔を見られてしまった強盗は、さてその後どんな行動を・・・?
この強盗登場のハプニングと、その後強盗と恵との間で展開される奇妙なドラマは、黒沢清監督が書き下ろした脚本だが、そのアイデアと面白さはすばらしい。多少演技過剰気味の点や不自然な流れもあるが、なぜか2人で明かすことになる某海岸での一夜は、強盗にとって、また恵にとってどんな意味を持つことに・・・?
<貴の問題提起もしっかりと!>
8月1日に断行された内閣改造後の最大の注目点は経済対策。週明けにも発表されるはずの総合経済対策に注目が集まっている。しかし、新たに就任した麻生幹事長が新テロ対策特別措置法にもとづき、海上自衛隊がインド洋で行ってきた給油活動につき、タンカー護衛など給油活動以外の支援策を検討する考えを示したことに注目する必要がある。つまり、これは日本や日本の自衛隊の国際貢献はどうあるべきかという、今ドキの多くの日本人が苦手なテーマにおける新たな問題提起だ。
そんな中、バイトばかりしている佐々木家のぐうたらな長男貴が、突然日本人としてアメリカ軍に入隊すると言い出したから、恵や竜平以上に私もビックリ。もちろんこれは、制度上ありえない仮定の話だが、どうしようもないバカと思っていた貴の「言い分」を聞いていると、それなりに筋が通っていることがよくわかる。同時に、そんな貴の生き方を頭ごなしに否定する竜平の言い分が、全く理屈になっていないこともよくわかる。
たしかに、ここまでくると佐々木家の家族はバラバラ。未成年だから両親のハンコが必要だとして両親の押印を願い出た貴に対して、竜平が頭ごなしに押印を拒否したため、貴は代替手段もあるサとして家を出ていったが、まさか入隊した日本人第1期生がイラクの実戦に配備されるなんてことがありうるの・・・?黒沢清監督のよく練られた脚本に感心するとともに、日本の若者たちは、こんな貴の竜平に対する問題提起について真剣に考えなければ・・・。
<女優小泉今日子が見せる不思議な存在感!>
私は『グーグーだって猫である』(08年)に続いて女優小泉今日子を観たが、私の目には天才漫画家の小島麻子先生よりも、佐々木家の主婦としての恵の方がその存在感ははるかに上。佐々木家はサラリーマンの竜平と、専業主婦の恵、そして大学生の貴と小学6年生の健二の4人家族。その住んでいる家は都心からどれくらいの距離(時間)かわからないが、私の推定では2階建て一戸住宅の敷地は100~120㎡。多分、新築の分譲住宅をローンで購入したのだろうが、その購入価格は推定3000~4000万円・・・?
そう考えると、佐々木家は一見現代風の幸せな家族のようだが、実は子育ては失敗の連続だったようで、ストーリーが進んでいくにつれて、父親の権威の失墜が次々と。ところが、家庭内でのトラブルが続けば続くほど、また家族がバラバラになりそうになればなるほど、佐々木家の主婦である恵のブレの少なさと存在感が際立っていくことに。そんな不思議な恵の存在感を、セリフの少ない中、小泉今日子が好演。
<不協和音と崩壊だけ?再生は?>
「父親の権威」の名のもとに竜平が健二に暴力を振るう姿にはビックリしたが、佐々木家という標準的な4人家族の中に存在する不協和音は、実は昔からあったもの。映画はその不協和音が、①竜平のリストラ問題、②健二のピアノ問題、③貴の入隊問題、④恵の強盗問題を通じて拡大し、遂に家族が崩壊していくサマをリアルに、しかし少しユーモアをもって描いていく。
失業中公園で配給食を食べている姿を目撃されたうえ、ショッピングモールで清掃員として働いている姿で恵と鉢合わせした竜平は最悪だったが、最悪なのは竜平1人だけではなく、健二も貴も恵も同じ。今やここまでバラバラになり最悪の状態に陥った4人家族の再生はありうるのだろうか・・・?さまざまなエピソードを面白く繋ぎながら、119分の時間内で再生の芽まで観客に提示した黒沢清監督の手腕はさすが。
<東京オリンピックVS北京オリンピック>
2008年の今日開会式を迎える北京オリンピックは、1964年の東京オリンピックから44年目となる。『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)と『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(07年)が日本人に大受けし、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞等を受賞したのは記憶に新しいが、これはこの映画が多くの日本人が持つ「昭和の良き時代」への哀愁をうまく引き出したため。東京タワー、東京オリンピック、新幹線は1960年代の日本の三大トッピクスだが、さて今日から始まる北京オリンピックは44年後どのように語られるのだろうか・・・?
<1964年VS2008年>
それはともかく、2008年のニッポンは、1964年のニッポンとは大きくサマ変わりしてしまった。経済的には豊かになり、生活も便利になったはずだが、ワケのわからない無差別大量殺人事件の多発は一体ナニ・・・?また、佐々木家を襲った突然のリストラは一体ナニ・・・?黒須家の無理心中は避けることができなかったの・・・?佐々木家に入った強盗は一体何を考えていたの・・・?その他、1964年の貧しくとも希望に満ちていたニッポン国と異なり、2008年のニッポン国に住む4人家族は立派なマイホームに住んでいるにもかかわらず、閉塞感と絶望感ばかり。こりゃ一体どうなってるの・・・?
誰しもそう叫びたいはずだ。ところで、映画って何を目指すもの・・・?そんなことを考えながら、映画のラストに登場するピアノの天才児(?)健二が演奏するドビュッシーの『月の光』をじっくり聴きたいものだ。今佐々木家の食卓には、それぞれ傷ついた4人家族が再び集結!これからどう生きていくのか明確な展望があるわけではないが、それぞれみんな「底」は経験したようだ。すると、あとは上昇していくのみ・・・?
1964年と2008年を対比しながら、『トウキョウソナタ』の良さを、1人1人確認したいものだ。
2008(平成20)年8月8日記