画家と庭師とカンパーニュ(フランス映画・2007年) |
<角川映画試写室>
2008年9月30日鑑賞
2008年10月4日記
『ぼくの大切なともだち』(06年)に続いて、心温まる大人のおしゃれなフランス映画が誕生!今回はキャンバス(画家)とジャルダン(庭師)のという2人の中年オヤジが織りなす会話劇。そして、その舞台はカンパーニュ。今年還暦を迎える私の年代にはピッタリの映画だが、さてあなたには童心に帰れるこんな友達がいる?そんな風に自問自答しながら、自分の将来を展望してみては・・・。
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監督:ジャン・ベッケル
脚色:ジャン・コスモ、ジャック・モネ、ジャン・ベッケル
画家(キャンバス)/ダニエル・オートゥイユ
庭師(ジャルダン)/ジャン=ピエール・ダルッサン
エレーヌ(離婚協議中の画家の妻)/ファニー・コットンソン
マグダ(画家のモデル兼恋人)/アレクシア・バルリエ
庭師の妻/ヒアム・アッバス
キャロル(画家の一人娘)/エロディ・ナヴァール
2007年・フランス映画・105分
配給/ワイズポリシー
<言葉(セリフ)の大切さをあらためて!>
9月29日の麻生総理の所信表明演説は、民主党に対して挑発的な質問を投げかける異例のスタイルとなったが、これはもちろん事前に一字一句を推敲し練り上げたもの。しかし、福田前総理が辞任会見の席で述べた「私は客観的に見ることができるんです」「あなたとは違うんです」というヒステリックな発言は、とっさにその場で出てしまったもの。また、就任わずか5日間で辞任せざるをえなくなった中山成彬国土交通大臣の日教組攻撃発言も大臣としての立場をわきまえた発言とは到底思えない、自分の政治理念や信条を単純に吐露しただけのもの。したがって、それ自体が悪いわけではないが、公の立場にある人間としては、どこでどんな言葉(セリフ)をしゃべるのかを常に考えておかなければ・・・。
この映画は演劇のようにそのほとんどが、画家(ダニエル・オートゥイユ)と庭師(ジャン=ピエール・ダルッサン)の2人が交わす言葉(セリフ)によって成り立っている。したがって、そこでは何よりも2人の言葉(セリフ)のひと言、ひと言が大切。シェイクスピア劇のような重厚さやシリアスとは全く異質の、いかにもフランス的なユーモアと人情味溢れたたくさんの言葉(セリフ)の大切さを確認したい。
<4たび、名優ダニエル・オートゥイユを>
私がフランスの名優ダニエル・オートゥイユを観たのは、『発禁本/SADE』(00年)が最初。この手の映画が大好きな私は、千日会館のみというマイナーな上映でこの映画と俳優ダニエル・オートゥイユのすばらしさを堪能した(『シネマルーム3』205頁参照)。その後ダニエル・オートゥイユを観たのは、『あるいは裏切りという名の犬』(05年)といういかにもフランス流「フィルムノワール色」が充満した傑作(『シネマルーム14』49頁参照)。
この2本はいずれも問題作・衝撃作だったが、3本目として私が5月2日に観た『ぼくの大切なともだち』(06年)は、「あなたには親友がいますか?」をテーマとした「人間論」として実に興味深い映画だった。そしてダニエル・オートゥイユを4たび観たこの映画は、その延長線上にあるフランス流のユーモアと人情味いっぱいの会話劇。ちなみに、カンパーニュとはフランス語で田舎のことだが、その響きの心地好さは抜群。
今年4月以降順次還暦を迎えている私の中学・高校時代の同級生たちは、一部は故郷松山へUターンしているが、都会での生活に疲れ果てた大半の団塊世代にも、故郷に戻ればこの映画のようなホンモノの親友、ホンモノの人生が待っているかも・・・?
<根は同じ、わんぱく坊主!>
父親の薬局の仕事を継ぐのを拒否し、画家として成功した画家は、アーティストに分類されるからカッコいい職業。画家はそう自覚しているし、庭師も素直にそれを認めてくれるから、画家はうれしい。他方、地元で長年つとめていた国鉄を退職し、好きな庭師を始めた庭師は、それなりに充足した日々を送っているが、世間的な名声や高収入とは縁遠いもの。
庭師が画家と再会したのは、都会での生活に疲れ果てて故郷のカンパーニュの屋敷に戻ってきた画家が、庭の手入れが必要だと考えて庭師を雇ったため。この映画は全編画家と庭師の会話劇で成り立っているが、2人の交わす最初の会話は「どこかで会わなかったかい!?」「君を知ってる気がする」から始まる面白いもの。
約40年前、2人ともわんぱく坊主だった頃。校長の誕生日のお祝いのケーキに仕掛けた爆竹は・・・?この会話だけで2人がすっかり40年前の少年の心に逆戻りできるのだから、故郷はすごい。また、幼なじみはすごい。こんな会話を聞き、爆竹の破裂に大騒ぎとなるシーンを見るだけで、私たちの心はたちまち温かくなることに・・・。
ちなみに、この映画ではこの2人の主人公に名前がない。キャンバスとは「画家」、ジャルダンとは「庭師」のこと。つまり、2人が互いにキャンバス、ジャルダンと呼び合っているのは、2人だけに通じる呼び方なのだ。
<画家の女性観・家族観VS庭師の女性観・家族観>
アーティストとして一定の名声を得ている画家が女性にもてるのは当然。しかも職業が画家ともなれば、モデルとの間に「怪しげな関係」が生じるのは避け難いもの・・・?しかして、画家が今カンパーニュで一緒に暮している女性マグダ(アレクシア・バルリエ)とは、どんな関係?もっとも、画家はマグダが庭師のことをジャルダンと呼ぶのをいつも嫌っていたが、それはナゼ?
画家の話を聞いていると、画家は妻エレーヌ(ファニー・コットンソン)と離婚調停の真っ最中のようだが、きっとその原因は再三にわたる画家の浮気・・・?また、突然恋人と一緒に父親のもとを訪れてきた一人娘キャロル(エロディ・ナヴァール)に対して、その恋人が自分と同年配だと聞くと、「俺はそんな結婚は許さない」と発言したのは完全にオヤジ失格。それでは、娘から「私は許可を求めに来たのではなく、報告に来ただけよ」と反発を食らったのは当然だし、「来なきゃよかった」と捨てゼリフを残されたのも当然。
こんなトラブル絡みの画家の女性観・家族観に対して、庭師のそれはきわめて健全。庭師は自分の妻(ヒアム・アッバス)のことをいつも「奥さん」と呼んでいたが、それはナゼ?また、2人の娘とその婿に恵まれているのは一体ナゼ?
そんな対照的な、画家と庭師の女性観・家族観についても、この映画を観ながらしっかり検討したい。
<数々の名セリフと名シーンを味わおう!>
前半はずっと、画家と庭師との間の心温まる友情物語が展開されていく。しかし、「腹が痛い!」と苦痛に顔をゆがめる庭師のシーンが登場した後半からは、トーンが大きく変わっていく。庭師はヘルニアだと言い張っていたが、あの苦痛の様子は骨の異常ではなく内臓の異常。誰でもそう思うはず。画家と共に私もそう心配していると、案の定・・・?
最初に書いたように、この映画は画家と庭師のセリフによって成り立つセリフ劇だから、珠玉のセリフ、珠玉の会話がいっぱい。また、カンパーニュの風景をバックにして、それを2人の名優が演じているから名シーンがいっぱい登場する。その1つが、画家の描いた絵について意見を求められても遠慮気味に答えていた庭師が、「もし迷惑じゃなければ、俺が好きなものを描いてくれ。名画でなくていい。明るい色の絵がいいな」と語りかけるシーン。ひょっとして、この時庭師は自分の運命を悟っていたのでは?そんなこんなのさまざまな解釈を可能とするこんなおしゃれなフランス映画、私は大好き。数々の名セリフと名シーンをしっかり味わおう!
<野菜にも胎教が?>
胎教って知ってる?これはお母さんのお腹の中にいる間の赤ちゃんへの教育だが、ひょっとして動物や植物にも胎教ってあるの?M・ナイト・シャマラン監督の『ハプニング』(08年)は、人間が植物の生存を脅かすようになれば、植物は人間に有害な化学物質を放出して反撃するという「植物反撃説」をテーマとした恐ろしい映画だったが、ベテラン庭師がつくる庭には、トマトや人参、キャベツやレタスなどの野菜がいっぱい。マンションのベランダでもネギやパセリなどの家庭菜園は可能だが、庭師がつくる立派な菜園とでは月とスッポン。
この映画のクライマックスとも言えるシーンは、病魔に襲われた庭師が自分のつくった野菜畑の中に寝そべりながら、モーツァルトのクラリネット協奏曲を聴くシーン。いや、これはきっと自分が聴くことよりも、自分がつくった庭とそこで丹精こめて植えた野菜たちに聴かせているはず。こんな野菜たちの胎教にも、モーツァルトのクラリネット協奏曲が効果的だったとは・・・。
2008(平成20)年10月4日記