その木戸を通って(日本映画・1993年) |
<角川映画試写室>
2008年11月11日鑑賞
2008年11月15日記
市川崑監督の幻の作品が今公開!といっても、それは1993年にハイビジョンドラマ用として撮影されたものだが、1993年のベネチア国際映画祭と1994年のロッテルダム国際映画祭で絶賛されたらしいから、是非観なければ。するとそこには、若い中井貴一と若い浅野ゆう子が。さらに、今は亡き、あの人やこの人も・・・。映像の魔術師による映像美。それがストーリーとは別の大きなテーマ。たまには、そんな技法的な面にも注目し、勉強してみれば。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本:市川崑
原作:山本周五郎『その木戸を通って』(『おさん』所収新潮文庫刊)
ふさ(記憶喪失の娘)/浅野ゆう子
平松正四郎/中井貴一
田原権右衛門(中老)/フランキー堺
吉塚助十郎(正四郎の家扶)/井川比佐志
むら(助十郎の妻)/岸田今日子
岩井勘解由(正四郎の父)/石坂浩二
加島大学/神山繁
田原角之助(正四郎の友人)/榎木孝明
1993年・日本映画・92分
配給/ゴー・シネマ
<市川崑監督の幻の作品が今>
今でこそテレビのハイビジョンは当たり前になったが、日本初の本格長編ハイビジョンドラマとして、フジテレビが1993年に制作したのが、市川崑監督のこの作品。同年のベネチア国際映画祭、1994年のロッテルダム国際映画祭に出品されながら、日本ではBS放送で1度オンエアされただけで、その後劇場公開はもちろんビデオ、DVD化もされず“幻の名作”となっていたらしい。
2008年2月13日に92歳で亡くなった市川崑監督の劇場用映画は70数本にも及ぶが、本作品はハイビジョンドラマ用に作ったものとはいえ、唯一日本人の目に触れなかった作品だから、その公開は大きな意義がある。原作は山本周五郎の短編小説『その木戸を通って』だから当然時代劇だが、さてそれはどんな物語?また、映像の魔術師と称される市川崑監督がハイビジョン用に撮影した作品の映像美とは?
<中井貴一も若い。石坂浩二も若い。そして・・・>
中井貴一の最新作は『次郎長三国志』(08年)だが、1961年生まれの彼はそこでは47歳。しかし、1993年のこの作品の彼は32歳だから、そりゃ若いのは当たり前。さらに『ラストゲーム 最後の早慶戦』(08年)で慶應義塾大学塾長小泉信三役を渋く演じた1941年生まれの石坂浩二だって、1993年当時はまだ52歳。したがって、せっかくの城代家老の娘との縁談を勝手に破談にしてしまった息子平松正四郎(中井貴一)にイライラし怒りつける父親岩井勘解由役がピッタリ。
他方、この映画では、その岩井勘解由の頼みによって何かと正四郎の面倒をみてやっている中老職で、正四郎の良き理解者である田原権右衛門役を名優フランキー堺が、また正四郎の家扶吉塚助十郎(井川比佐志)の妻むら役を個性派女優岸田今日子が演じている。私には2人ともおなじみの名優だが、実は今は2人とも既に故人。
そんな意味で、2008年のこの作品公開には少し違和感があるが、それは当然のこととして受け入れなければ・・・。
<浅野ゆう子にも、こんなしっとりとした魅力が>
浅野ゆう子が浅野温子と共に「W浅野」としてブレイクしたのは1990年頃。もともと浅野ゆう子は中2でアイドル歌手としてデビューした、背の高さとグラマーさが魅力の女の子だった。ところが、市川崑監督の演出にかかると、1993年当時33歳の浅野ゆう子にもこんなしっとりとした魅力が・・・。
浅野ゆう子が演じるのは、記憶を失ったまま、なぜか正四郎の家を訪れ、家の中に入りこんでしまった謎の娘ふさ。本来、家扶の吉塚助十郎だって、その妻のむらだってそんな訳のわからない娘を家の中に入れるほど甘くないのが当然だが、どこかふさにはそうさせてしまう魅力があったようだ。他方、城代家老の娘との縁組が決まっているにもかかわらず、正四郎の留守中に屋敷の中に若い娘が入り込んでいると知った正四郎の後見人ともいうべき田原権右衛門が、口をへの字に曲げて怒ったのは当然。
しかして、そんな娘は断固追い出すべしと気を引きしめて帰宅した正四郎だったが、なぜか結末はその逆に。結局それもこれも、浅野ゆう子演じるふさの魅力のせい・・・?
<チャンバラゼロの時代劇だが>
黒澤明+三船敏郎のあれこれの名作でも、また藤沢周平の原作を映画化した山田洋次監督の『武士の一分』(06年)、『たそがれ清兵衛』(02年)、『隠し剣 鬼の爪』(04年)さらに黒土三男監督の『蝉しぐれ』(05年)でも、時代劇のハイライトはチャンバラ。だって、そんな手に汗握る決闘シーンがなければ、全体的に気の抜けたビールみたいになってしまうから。
ところがこの作品では、正四郎をはじめ登場する侍たちは当然刀をさしているが、誰も1度もこれを抜くことがない。つまり、この作品はチャンバラゼロの時代劇なのだ。したがって、時代劇でこの手の楽しみと迫力を期待する人には全然向かないかもしれないが、この映画のテーマはあくまでそのタイトルどおり、正四郎が何度も見つめる屋敷の庭にある木戸とその向こう。正四郎はたしかにふさと出会い、ふさと結婚したはず。また娘ゆかが生まれ、今日は17歳となった一人娘ゆかの晴れの婚礼の日。そんな日に正四郎が木戸の向こうに見たのは、なぜかあの日消えてしまったふさ?それとも・・・?
<この映像美はいかにして・・・?>
去る2008年10月16日私はスカパーの『祭りTV!吉永小百合祭り!』の収録のため東京に赴いたが、その準備として吉永小百合が出演した市川崑監督の『おはん』(84年)と『細雪』(83年)をビデオで復習した。そこで再確認させられたのが、ストーリー構成や吉永小百合の魅力とともに、市川崑監督特有の映像美。
4人姉妹が着る着物代だけで1億円をかけたという『細雪』は、他にも京都の桜、大阪箕面の紅葉など華やかな衣装と美しい景色がスクリーン上にはっきりと示されていたが、『おはん』は暗いトーンを基調としたいかにも市川崑監督らしい映像美だった。しかして、この『その木戸を通って』の映像美も、『おはん』のそれに共通するもの。
正四郎の屋敷は結構広いが、それは当然障子と襖で構成されたもの。また美しい庭は、日本特有の雰囲気が。そんな屋敷やそこで息づきながら生活している正四郎たちを映し出す映像美にはホントにビックリ。映画冒頭、盆栽を手にして庭に立つ正四郎の姿が部屋側のカメラから映し出されるが、光線のあて方によってその明るさが大きく変化していく様子はまさに光のイリュージョンを駆使した芸術。こんな美しい映像はいかにして・・・?
2008(平成20)年11月15日記