映画評論家 兼 弁護士坂和章平の映画日記
2018-02-15T17:24:38+09:00
s-sakawa
映画評論家と弁護士の2足のわらじを履く坂和による映画評論日記(ネタバレ注意!)
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デトロイト(アメリカ映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29559894/
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s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<TOHOシネマズ西宮OS>
2018(平成30)年1月28日鑑賞
2018(平成30)年2月7日記
「南北戦争」で北軍に属したミシガン州の都市デトロイトは、ラストベルト(さびついた工業地帯)の白人票として、トランプ大統領の誕生に大きな役割を果たしたが、1967年のデトロイト暴動はなぜ起きたの・・・?
差別主義者の警官による黒人の射殺はなぜ?また、アルジェ・モーテル事件での違法・不当な取り調べはいかに・・・?
アカデミー賞監督キャスリン・ビグローの視点と演出は相変わらず鋭いが、本作に見る民間の黒人ガードマンの視点は、まさに女性ならではの彼女の目そのもの・・・?
裁判を含めた結末にスッキリしないのは仕方ないが、アメリカではこれが現実。そして、その不満感は今でも何も解消されていないばかりか、ますます拡大するばかり・・・?さて、あなたの見解は?
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監督:キャスリン・ビグロー
脚本:マーク・ボール
メルヴィン・ディスミュークス(民間のガードマンの黒人)/ ジョン・ボイエガ
フィリップ・クラウス(デトロイト市警の警官)/ウィル・ポールター
ラリー・リード(ザ・ドラマティックスのメイン・ボーカル)/アルジー・スミス
フレド・テンプル(ラリーの友人)/ジェイコブ・ラティモア
カール・クーパー(スターターピストルを撃つ黒人、アンとカレンの友人)/ジェイソン・ミッチェル
ジュリー・アン(アルジェ・モーテルに宿泊した白人女性)/ハンナ・マリー
カレン(アルジェ・モーテルに宿泊した白人女性)/ケイトリン・デヴァ
デメンズ/ジャック・レイナー
フリン/ベン・オトゥール
オーブリー(アンとカレンの友人)/ネイサン・デイヴィス・Jr.
リー(アンとカレンの友人)/ペイトン・アレックス・スミス
マイケル/マルコム・デヴィッド・ケリー
モリス/ジョセフ・デビッド=ジョーンズ
コニャーズ下院議員/ラズ・アロンソ
ジミー/イフラム・サイクス
ダリル/レオン・トマス3世
オーブリー・ポラード・シニア/ベンガ・アキナベ
フランク警官/クリス・チョーク
ラング弁護士/ジェレミー・ストロング
ロバーツ准尉/オースティン・エベール
マルコム/ミゲル・ピメンテル
アウアーバッハ弁護士/ジョン・クラシンスキー
グリーン/アンソニー・マッキー
配給:ロングライド/142分
■□■本年度アカデミー賞最有力!テーマは?監督は?■□■
トランプ政権が丸1年を迎える中で開かれた、1月28日の第75回ゴールデングローブ賞の発表式は、昨年10月に大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏が長年若い女優にセクハラ行為などを繰り返してきたと報じられたのがきっかけで、出席した女優全員が黒いドレス姿で臨んだことが大ニュースになった。作品としては、『シェイプ・オブ・ウォーター』(17年)が最多7部門にノミネート、『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』(17年)が主要6部門にノミネート、また、『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(17年)が主演男優賞にノミネートされていたが、『デトロイト』はどの部門にもノミネートされていなかった。しかし、『デトロイト』のチラシや新聞の宣伝では、「アカデミー賞最有力者」の文字が躍っていた。それは、一体なぜ?
きっとそれは、女性初のアカデミー賞を受賞したキャスリン・ビグローが本作の監督を務めているからだ。ビグロー監督は第82回アカデミー賞で作品賞、監督賞等6部門を受賞した『ハート・ロッカー』(08年)ではイラク問題を取り上げ(『シネマルーム24』15頁参照)、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12年)では、ビン・ラディンを追い詰めるという何ともスリリングなテーマを取り上げていた(『シネマルーム30』35頁参照)。そのことからわかるように、ビグロー監督は女性監督には珍しい社会派かつ硬派の監督だ。
本作がテーマとして取り上げた「デトロイト騒動」や「アルジェ・モーテル事件」は日本人にはなじみが薄いが、アメリカでは有名な事件らしい。したがって、社会派かつ硬派のビグロー監督が、1967年の事件発生から50年後の今、改めてそんな事件に光を当てて検証した本作に、アメリカの映画人が皆興味を持ったのは当然。しかし、それだけで直ちにアカデミー賞最有力になるの?それほど甘くはない、と私は思うのだが・・・。
■□■南北戦争でデトロイト(ミシガン州)はどっちに?■□■
アメリカの南北戦争(1861年~1865年)は、黒人奴隷の解放をめぐって、北部の23の「自由州」と南部の11の「奴隷州」が戦い、北部の勝利で終わったもの。その途中の1862年9月にリンカーンによる「奴隷解放宣言」に至ったが、そのリンカーンも1865年4月に暗殺されてしまった。
『風と共に去りぬ』(39年)の舞台となったアトランタのあるジョージア州や、『アラバマ物語』(62年)で有名なアラバマ州は南部奴隷州の有力な州だったのに対し、デトロイト市があるミシガン州は北部の自由州の1つだった。ちなみに、『ニュートンナイト 自由の旗をかかげた男』(16年)によって私がはじめて知ったジョーンズ自由州は、明治政府の「五箇条の御誓文」と同じように(?)①貧富の差を認めない、②何人も他の者に命令してはならない、③自分が作ったものを他者に搾取されることがあってはならない、④誰しも同じ人間である、なぜなら皆2本足で歩いているから、という「ジョーンズ自由州4原則」を掲げるユニークな州だった(『シネマルーム39』63頁参照)。
ミシガン州東部にあるデトロイト市は、自動車王ヘンリー・フォードが1903年に量産型の自動車工場を建設したことによって、以降全米No.1の自動車工業都市として発展した。その後は自動車産業が衰退していく中で映画産業の振興等を行ったが、十分な成果を残せなかった。そして、2016年11月のアメリカ大統領選挙では、デトロイトは「ラストベルト」(さびついた工業地帯)の代表都市として(?)、白人の雇用拡大を訴えるトランプ大統領の大票田となった。そう考えると、ジョージア州やアラバマ州は南北戦争後も黒人差別がひどいとしても、北部自由州に属していたミシガン州のデトロイトでは黒人差別はあまりなかったのでは・・・?
■□■南北戦争100年後の黒人差別は?60年代の米国は?■□■
そう考えるのは日本人だけで、南北戦争終了後もアメリカの黒人差別は撤廃されることはなく、1960年代に「ベトナム戦争反対運動」と共に巻き起こった「公民権運動」は南部のみならず、アメリカ全土に広がっていった。その様子は、『マルコムX』(92年)や『グローリー ―明日への行進―』(15年)(『シネマルーム36』162頁参照)等を見ればよくわかる。
1961年1月に大統領に就任したJ・F・ケネディは、1962年10月~11月のキューバ危機での活躍が『13デイズ』(00年)の映画等でよく知られているが、「公民権運動」で彼の果たした役割も大きい。キング牧師が主導した「ワシントン大行進」は1963年8月28日、「セルマの行進」は1965年3月7日、そして「公民法」の制定は1964年だ。しかし、マルコムXは1965年2月に、キング牧師は1968年4月に暗殺されたのと同じように、ケネディ大統領も1963年11月に暗殺されてしまった。
しかして、公民権運動の広がる60年代の1967年7月12日にミシガン州デトロイトで起きたのが米史上最大級のデトロイト暴動だ。
■□■デトロイト暴動とは?■□■
2012年9月に当時の野田首相が尖閣諸島を国有化したことに端を発して盛り上がった反日運動の中、中国大陸に進出していた日本企業が「焼き討ち」を含む様々な暴動被害に遭う姿が報道されたが、本作のスクリーン上で見るデトロイト暴動はその比ではない。その発端はデトロイト市警が「ある酒場」を「摘発」したことだが、その摘発行為が目立つにつれて無法な摘発に抗議する黒人たちが次々と集まり、経営者や客を強制的に護送車の中に押し込む姿を見て激怒。投石から始まった警察への抗議は次第に商店の破壊、略奪、放火そして銃撃戦にまで広がっていった。尖閣諸島をめぐる日中対立問題についても、海上保安庁の対応で済ませるか、それとも自衛隊の出動を仰ぐかによって対応レベルは質的に変わるが、それと同じように、デトロイト暴動をめぐってはデトロイト市警だけでは対応できなかったため、ミシガン州知事は州の軍隊の派遣を決めたから、暴動はさらにエスカレート。スクリーン上で見るその暴動ぶりはすごいから、まずはその惨状をしっかり目に焼き付けたい。
そんな混乱が続く中、デトロイト市警の警官フィリップ・クラウス(ウィル・ポールター)は同僚とともに1人の略奪犯を追う中、途中で背後から拳銃を発射。犯人は逮捕こそ免れたものの、その後死亡したことが確認されたから、これは警察官の職務執行としていかがなもの?いくら犯人が逃げるからといって、背後から射殺していいの?デトロイト市警上層部はクラウスに対してその職務違反を厳しく追及すると警告したが、さて・・・。
■□■アルジェ・モーテル事件とは?その問題点は?■□■
1967年7月に起きたデトロイト暴動(12番街暴動)は前述のとおりの歴史的にも有名な事件だが、アルジェ・モーテル事件とは?それは暴動2日目の夜、アルジェ・モーテルに宿泊していた客の誰かが町を警備していた警察官を狙撃したとして、その犯人を探すため警官がモーテル内になだれ込み、犯人と狙撃銃を探す中で起きた事件。そして本作はビグロー監督がその真相に迫るものだ。
その問題点の第1は、実際に狙撃があったのか、それとも本作が描いたように面白半分にスターター銃(空砲)をぶっ放しただけなのかということ。第2の問題点はクラウスを中心とした犯人探しと銃探しの中で容疑者が死亡したのは、クラウスたちの殺人行為によるものか否かということ。ビグロー監督はその争点について、明確に自分の視点を示して本作のストーリーを展開していくので、観客は分かりやすい。もっとも、本作を観れば強烈な差別主義者であることが明らかなクラウスが一方的な悪者に見えるが、それはいかがなもの?
当時の現場が混乱の極みにあったことは明らかだから、モーテルの部屋の中で容疑者たちを発見したクラウスたちが現場で懸命の取調べをしたのは当然。そして、そこでは暴言はもとより、行き過ぎた暴行もあったかもしれないが、本作でクラウスが見せる、自白させるための「あるテクニック」は興味深い。本作は2時間22分の長尺だが、ビグロー監督はそのシークエンスだけで延々40分を割いているので、本作ではその(違法な)取調べ(のテクニック)に注目!
■□■黒人ガードマンの視点は?スタンスは?■□■
本作はビグロー監督の視点と演出で、1960年代の事件であるデトロイト暴動とアルジェ・モーテル事件を描くもの。しかして、そこでは「差別主義者の権化」のようなデトロイト市警の警官クラウスと対置される形で、民間のガードマンである黒人男メルヴィン・ディスミュークス(ジョン・ボイエガ)がビグロー監督の良心を代弁するような役割を演じているので、それに注目!
日本人の私には、制服だけではデトロイト市警の警官と民間のガードマンとの区別がつかないが、当然そこには明確な地位と権力上の差異がある。したがって、デトロイト暴動が起きた時にメルヴィンができることは、現場に駆けつけてきた警官たちにコーヒーを配って気分を安らげることぐらいで、とりたてて暴動鎮圧に役立つことができるわけではない。また、本作全編を通じてメルヴィンのセリフは決して多くはないが、デトロイト暴動の様子はもとより、アルジュ・モーテル事件についてもいち早く現場を見ているから、少なくともクラウスの暴走ぶりはよく見えている。しかし、問題はメルヴィンにはクラウスの暴走を是正する権限も方法もないということだ。その結果、クラウスによる40分間の不当な尋問や犯人探し、拳銃探しに向けての「あるゲーム」を止めることができなかったばかりか、クラウスが逮捕、取り調べを受けることになる段階では、メルヴィン自身も逮捕され尋問を受ける羽目に・・・。
結果的にそれ以上の「冤罪」にならなかったのは幸いだったが、こんな不当なことがあっていいの?多分デトロイト暴動やアルジュ・モーテル事件における、このメルヴィンの登場はキャスリン監督の作り物だと思うのだが、さて真相は・・・?
■□■この黒人のグループを知ってる?彼らの明暗は?■□■
中国の王兵(ワン・ビン)監督は、ドキュメンタリー映画の名手。しかし、いくら彼でもデトロイト暴動に直面しなければ、ドキュメンタリー映像は撮れない。その点、2016年12月に観た『チリの闘い』(第1部1975年・第2部1976―77年・第3部1978―79年)3部作は、隠し撮りしたフィルムを使った壮大なドキュメンタリー映画だったから、その迫力はすごかった(『シネマルーム39』54頁参照)。しかし、デトロイト暴動をテーマにした本作は、あくまでビグロー監督の視点と演出によるフィクションだ。
その意味で興味深いのは、本作がデトロイト暴動事件とアルジェ・モーテル事件そして、クラウスたちの裁判の行方を描くだけでなく、歌で大ヒットし金儲けを夢見る5人の黒人の若者が結成したグループ「ザ・ドラマティックス」の姿をデトロイト暴動の中で描くことだ。デトロイト暴動が発生したのは、彼らが大劇場でまさにデビューしようとしたその時。「いざ出番!」の直前に至って、「公演中止!全員退場!」の決定が下ったから、「ザ・ドラマティックス」の面々は大失望。5人のメンバーは仕方なくバスに乗って帰路についたが、ヴォーカル担当のラリー・リード(アルジー・スミス)とフレド・テンプル(ジェイコブ・ラティモア)の2人はアルジュ・モーテルに泊まることに。そこで少し羽目を外したことで偶然知り合った白人の女の子ジュリー・アン(ハンナ・マリー)とカレン(ケイトリン・デバー)といい震囲気になったのはラッキーだったが、そのアルジェ・モーテルで狙撃事件が発生したため、ジュリーとカレンも、そしてラリーとフレドもそれに巻き込まれ、容疑者の1人としてクラウスの厳しい取調べを受ける羽目に。この「ザ・ドラマティックス」がその後認められ、人気グループに成長したのは喜ばしいが、ラリーだけはグループを離れ、教会の聖歌隊に入ったことが明らかにされる。しかして、それは一体なぜ?
本作のストーリー展開をみていると、クラウスの違法な捜査によって殺されてしまった容疑者たちが犠牲者なら、ラリーも犠牲者であることは明らかだが、そのことをどう整理すればいいのだろうか・・・?
■□■射殺のもみ消しは?その法廷シーンにも注目!■□■
ビグロー監督作品としての本作最大の見所は、中盤の約40分間にわたるクラウスによる「あるテクニック」を駆使しての拳銃と犯人探しの尋問風景にある。容疑者全員を壁に向けて立たせた上での暴言や暴行による取り調べは「想定内」だが、その中の一人が別室に入れられて取調べを受けている際中に、銃声を聞かされ、戻ってきた警官から「あいつは自白しないので射殺した」「次はお前だ」と言われると、残った容疑者たちはさて・・・?クラウスはそんな取調べ(のテクニック)を楽しみつつ、犯人あぶり出しのための「尋問」を続けたが、その中で部下の警官の一人が、クラウスの意図を誤解し、別室での「芝居」だったはずの「射殺」をホントにやってしまったから大変。クラウスは慌てて尋問を終了させ、容疑者たちを釈放するのと引き替えに「秘密 保持の約束」をさせたが、多分そんな約束の履行は無理だろう。そう思っていると、案の定・・・。
クラウスが強要した秘密保持の約束は、壁に立たされた容疑者たちがすぐに破ったばかりでなく、部下の警官もクラウスを裏切って自白してしまったから、本作はラストに向けて意外にもクラウスたちの法廷風景になっていく。そしてそこでは、ジョン・グリシャムばりの(?)カッコいい弁護士が登場し、法廷技術を駆使して証人尋問を中心とする裁判闘争を展開!その結果、白人の陪審員ばかりで構成していたデトロイトの裁判所は、クラウスに対して無罪の判決を下すことに。ああ、やっぱり!良くも悪くも、これが『アラバマ物語』(62年)から今日まで、黒人差別については何も変わらないアメリカの刑事裁判の現実なのだ。
そう思っていると、前述したように、何とそれらの一部始終を見ていた民間のガードマンであるメルヴィンまで逮捕されそうに・・・。これは一体ナニ・・・?ビグロー-監督が描く本作ラストの法廷シーンは「専門外」なだけに多少甘いところもあるが、ロースクールでの「法廷モノ」映画の活用を訴えている私の目には、本作も「法廷モノ」として必見 !
2018(平成30)年2月7日記
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空海 KU-KAI 美しき王妃の謎(妖猫伝 Legend of the Demon Cat)(中国、日本映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29559881/
2018-02-15T17:18:46+09:00
2018-02-15T17:18:47+09:00
2018-02-15T17:18:47+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<東宝試写室>
2018(平成30)年1月26日鑑賞
2018(平成30)年2月7日記
張藝謀(チャン・イーモウ)監督と並ぶ「中国第五世代」の代表、陳凱歌(チェン・カイコー)監督が、日本人なら誰でも知っている「空海」をタイトルにした制作費150億円という「日中合作モノ」に挑戦!それだけで期待大だが、原作が夢枕獏の『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』だというのが、私には少し気がかり・・・?
長安の都のセットはすごい。嵐に巻き込まれる遣唐船も原寸大でつくられたらしい。ところが、本作では冒頭に登場する黒猫(妖猫)がストーリーを牽引するうえ、「宮廷の宴」ではワイヤーアクションが満載だから、少しマンガ的に・・・。さらに、玄宗皇帝と楊貴妃との愛の物語と、楊貴妃の死の謎を空海と白居易(=白楽天)が解いていくというミステリー仕立ての本作では、空海と阿倍仲麻呂、李白と白居易との時代上の接点があいまいだから、わかりにくい・・・?
私の目にはそんな難点(?)が見えるが、「エンタメ追及」の今の時代はこれでいいのかも…。さて、あなたの賛否は?ご意見は?
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監督:陳凱歌(チェン・カイコ―)
原作:夢枕獏『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』(全4巻)(角川文庫/徳間文庫刊)
空海(密教の教えを求めて遣唐使として唐に渡った若き修行僧)/染谷将太
白楽天(後の大詩人・白居易の若い時)/黄軒(ホアン・シュアン)
楊貴妃(玄宗皇帝の皇妃)/張榕容(チャン・ロンロン)
大師(空海師父)(空海の日本での師匠)/火野正平
白玲(阿倍仲麻呂の側室)/松坂慶子
安倍仲麻呂(玄宗皇帝の時代の遣唐留学生)/阿部寛
玄宗皇帝(唐の9代皇帝)/張魯一(チャン・ルーイー)
白龍(長安一の幻術師・黄鶴の弟子)/劉昊然(リウ・ハオラン)
丹龍(黄鶴の弟子、実子)/欧豪(オウ・ハオ)
高力士(玄宗皇帝に仕える宦官)/田雨(ティアン・ユー)
李白(唐の詩人)/辛柏青(シン・バイチン)
陳雲樵(都の役人)/秦昊(チン・ハオ)
春琴(陳雲樵の妻)/張雨綺(キティ・チャン)
玉蓮(胡玉楼の新人妓生)/張天愛(チャン・ティエンアイ)
麗香(妓生)/夏楠(シャー・ナン)
黄鶴(玄宗皇帝に仕える幻術師)/劉佩琦(リウ・ペイチー)
瓜翁(幻術を使う西瓜売り)/成橤泰(チェン・タイシェン)
安禄山(玄宗皇帝に仕える将官/)王迪(ワン・デイ)
配給:東宝、KADOKAWA/132分
■□■陳凱歌監督の新作に期待大!■□■
1952年生まれの陳凱歌(チェン・カイコー)監督は、張藝謀(チャン・イーモウ)監督と並ぶ中国第五世代を代表する大監督。デビュー作の『黄色い大地』(84年)(『シネマルーム4』12頁、『シネマルーム5』63頁参照)が世界に与えた衝撃は大きかったし、その後の『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)(『シネマルーム2』21頁、『シネマルーム5』107頁参照)、『始皇帝暗殺(The First Emperor)』(98年)(『シネマルーム5』127頁参照)、さらには『北京ヴァイオリン』(02年)(『シネマルーム3』18頁、『シネマルーム5』299頁参照)等、素晴らしい作品が続いた。また、近時の『花の生涯~梅蘭芳~(梅蘭芳/Forever Enthralled)』(08年)(『シネマルーム22』223頁、『シネマルーム34』117頁参照)、『運命の子(趙氏孤児/Sacrifice)』(10年)(『シネマルーム28』155頁、『シネマルーム34』43頁参照)等の出来も素晴らしかった。
そんな陳凱歌監督が、制作費150億円をかけた日中合作大作として日本人にも有名な「空海」の物語に挑戦!そうを聞くだけで期待大だが、その原作は夢枕獏の『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』(全4巻)とのこと。これは「壮大なる中国伝奇小説全4巻」だそうだが、なぜ、そんな「伝奇小説」を原作としたの?日中友好が進み、日中合作映画が作られる方向性は大いに結構だが、陳凱歌監督と夢枕獏との接点はどこにあるの?そして、その相互理解は如何に?
■□■陳凱歌監督と夢枕獏の原作の組み合わせは?■□■
私は陳凱歌監督はよく知っているが、夢枕獏の小説は1冊も読んでいない。したがって、全4巻から成る原作も読んでいないが、私にはそもそも「伝奇小説」というジャンルそのものにひっかかりがある。また、本作はかなり以前から前評判がすごかったが、その物語は密教の教えを求めて、日本から遣唐使として唐の国に渡った若き修行僧・空海(染谷将太)が、若き詩人白楽天(=白居易)(黄軒(ホアン・シュアン))と共に長安の都を脅かす怪事件の謎を追うものだと聞いただけに、そのマンガ性も少し心配になる。さらに、本作のチラシを読み、予告編を観ると、ワイヤーロープ・アクションが満載らしいので、そのマンガ性もますます心配に。
他方、近時公開されたアガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』(17年)のような本格的ミステリーではそれなりの面白さが約束されているが、「空海」はあくまで修行僧であって探偵ではない。白楽天だって、後に玄宗皇帝と楊貴妃との深愛の詩『長恨歌』を詠んだことで有名になったが、探偵としての能力は如何に・・・?そんなこんなを考えると、本作の内容(出来)に少し不安を持ったまま、試写室へ行くことに・・・。
■□■長安のセットはもちろん、遣唐船もホンモノ?■□■
私は2001年に西安・敦煌旅行に行き、西安の町を見学した。しかし、それはあくまで現代の西安であって、8世紀当時の世界的大都市だった「長安」の都の規模とは全然違うもの。また、空海が命をかけて海を渡った長安にある青龍寺にも行ったが、その規模もあの時代と今とでは全然違うらしい。さらに、敦煌では、西田敏行が主演した映画『敦煌』(87年)の舞台となった巨大なセットを見学し、大いに感動したものだ。そんな西安・敦煌旅行を体験をした私は、本作のスクリーン上に広がる唐代の長安の姿や青龍寺の姿にビックリ!そのその巨大なセットの制作費はHow mutch・・・?
他方、人類の進歩とともに造船の技術も進み、1911年には「タイタニック号」が進水するに至ったが、それに比べれば8世紀の遣唐船なんてちょろいもの。いわば、一寸法師が乗ったという「お椀の舟」のようなレベルだが、いざそれを撮影のために原寸大で実際に作るとなると、その費用はHow mutch・・・?
今や中国映画の話題作の製作費はハリウッドを凌いでいるが、本作では総製作費150億円、空前絶後の超大作プロジェクトによる巨大セットに注目!もっとも、夢枕獏の原作らしく本作のストーリー形成のキーになるのは、CG合成によって作られた黒猫だから、その「目の光らせ方」にも注目!
■□■楊貴妃の死の謎とは?空海の推理は如何に?■□■
唐は8世紀前後には世界最大の国になっていたが、その時の皇帝が日本でも楊貴妃(チャン・ロンロン)との愛の物語で有名な玄宗皇帝(チャン・ルーイー)。そして、その2人の愛を「長恨歌」という詩で詠んだのが白楽天(=白居易)だ。「長恨歌」を読めば、玄宗皇帝は本来、息子の嫁になるべきはずの楊貴妃の美しさに惹かれ、いわば息子から横取りしたわけだから、その愛(色好み?)は突出していたことがよくわかる。私も見学した「華清池」は玄宗皇帝と楊貴妃が2人で過ごした避暑地だが、楊貴妃との愛におぼれた玄宗皇帝はそこにこもって(?)政治をおろそかにしてしまったため、安禄山(ワン・デイ)から「安史の乱」を起こされ、楊貴妃は殺されてしまった。それが歴史上の事実だ。
しかし、本作は全編を通じてストーリーの核となる妖猫の活躍が大きなウエイトを占めるうえ、玄宗皇帝が夜毎(?)宮廷で繰り広げる華やかな宴の中には、玄宗皇帝に仕える長安一の実力を持つ幻術師、黄鶴(リウ・ペイチー)や、その弟子である白龍(リウ・ハオラン)と丹龍(オウ・ハオ)等が登場し、華やかな幻術合戦をワイヤーロープで魅せてくれる。
さらに、妖猫の魔術にとりつかれるキーウーマンが都の官吏である陳雲樵(チン・ハオ)の妻、春琴(キティ・チャン)や、陳雲樵のお気に入りの妓生である麗香(シャー・ナン)。そこに、陳雲樵が目をかける美しき胡玉楼の新人妓生の玉蓮(チャン・ティエンアイ)も絡んで、玄宗皇帝の周りは大きな混乱に陥っていく。玄宗皇帝の命令により、唐を代表する詩人、李白(シン・バイチン)は「雲には衣装を想い、花には容を想う」と詠んだが、この李白もかなりの変わりモノ。しかして、陳凱歌監督×夢枕獏原作による本作のストーリーは、何とも意外な展開になっていくことに・・・。
張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『HIRO(英雄)』(02年)はすばらしい色彩美の映画だったし、そこでのワイヤーアクションも面白かった(『シネマルーム5』134頁参照)が、陳凱歌監督が『PROMISE(無極)』(05年)で見せたワイヤーロープはイマイチだった(『シネマルーム17』102頁参照)。しかして、楊貴妃の死の謎をめぐって展開する本作のワイヤーロープは如何に?そしてまた、アガサ・クリスティーの『オリエンタル急行事件』ばりの推理を進めていく修行僧、空海(染谷将太)とその相棒、白居易の推理は如何に・・・?
■□■名前は知ってても人物像の特定は?どこまでがホント?■□■
日本人なら誰でも空海も阿倍仲麻呂(阿部寛)の名前を知っているし、玄宗皇帝と楊貴妃の名前も知っている。また、少し学のある人なら、唐の詩人である李白と白楽天(=白居易)の名前も知っている。しかし、空海や阿倍仲麻呂の「実績」はほとんど知らないし、これらの人物の相互関係もほとんど知らない。ましてや、本作に登場する上記以外の人物の名前は全然知らないだろう。
しかして、本作冒頭に登場するのは、何と阿倍仲麻呂の側室、白玲(松坂慶子)。この冒頭のシークエンスに謎の妖猫が登場することによって阿倍仲麻呂が一躍大金持ちになり、玄宗皇帝に仕える身でありながら何と楊貴妃に思いを寄せていくストーリーの骨格ができあがっていくから、アレレ・・・。松坂慶子は『蒲田行進曲』(82年)の熱演を始めとして私の大好きな女優だが、1952年生まれという年齢からして、いくら何でも1964年生まれの阿部寛の「側室」という役柄は如何なもの・・・?もちろん、撮影上のテクニックによってそれなりの若さと美しさはキープしているから、松坂慶子を知らない中国人はごまかせるだろうが、ほぼ彼女と同世代の私の目には、やはりこのキャスティングは如何なもの・・・。
他方、阿部寛も近時みた、『祈りの幕が下りる時』(18年)で面白いキャラを演じていたし、基本的にはどんな役でもうまく演じるオールラウンド型の俳優だが、本作では彼のモノローグが目立っている。白居易と共に楊貴妃の死の謎に挑むことになった空海にとっては、先輩の遣唐留学生だった阿倍仲麻呂(中国名、晁衡)が、その時期にいかなる動きをしたかは大きなヒントになったはず。したがって、本作では阿倍仲麻呂のモノローグが空海の推理の進展上大きな役割を果たすことになるが、観客席からそのストーリーを見ていると、いかにもそれがつくりものっぽく見えてくる。小説も映画もつくり方は自由だが、そうかといって史実を無視していくらでも空想を重ねていくと、読者や観客はワケがわからなくなってくるのでは・・・?
もっとも、それが「伝奇小説」の特権なのかもしれないから、陳凱歌監督はそれを徹底させているが、そうすると後は、それが好きか嫌いかの問題になってくる。そして私には、名前を知っている数名の有名人について、その歴史上果たした役割と本作で果たしている役割のギャップにいささか違和感が・・・。
■□■空海の本来の人物像は?タイトルに偽りあり?■□■
「白紙(894年)に戻す遣唐使」。大学受験で日本史を勉強している時、私たちはそう覚え(させられ)たし、遣唐船に乗って中国に渡った修行僧も空海の他、最澄等がいたことも覚え(させられ)た。そして、空海は高野山に金剛峰寺を、最澄は比叡山に延暦寺をそれぞれ開いたことも覚え(させられ)たものだ。しかし、それらはあくまで暗記のための勉強であって、自分から歴史を学び、その歴史の中に生きた人物像やその歩みに興味をもった勉強ではなかった。そんな興味は受験勉強の中ではなく、小説や映画から学んだわけだ。しかして、夢枕獏の原作を読んだら、ホントに空海の勉強になるの?また、陳凱歌監督の本作を鑑賞したら、ホントに空海の勉強になるの?そう考えると、いささか心もとない気になるのは私だけだろうか。
ちなみに、本作のプレスシートには「空海の歩み」があり、774年の生誕から921年の死亡に至るまでの彼が果たした役割の年表がある。また、その下には「空海伝説」として、12の伝説がのっている。私は空海についてはむしろこちらの方に興味があるのだが、本作は彼が片手間に働いた探偵という役割に焦点をあてたもの。したがって、空海が修行僧として唐の国で何を学び、何を果たしたのか、それを日本に持ち帰って如何に活用したのか、という空海本来の役割については何も描かれていない。それはそれで選択の問題だが、本作をそういう内容にするのなら、本作のタイトルを「空海」ではなく、原作の「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」のようなものにすべきだったのでは・・・?
陳凱歌監督の初期の作品である『さらば、わが愛/覇王別姫』(93年)や『始皇帝暗殺』(98年)はもとより、その後の『北京ヴァイオリン』(02年)も『花の生涯~梅蘭芳~』(08年)も『運命の子』(10年)もすべてタイトルとその内容が一致していたが、本作だけは『空海』というタイトルとその内容が一致していないのでは・・・?
2017(平成29)年2月7日記
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長江 愛の詩(長江図/Crosscurrent)(中国映画・2016年)
http://sakawa.exblog.jp/29559873/
2018-02-15T17:15:00+09:00
2018-02-15T17:15:02+09:00
2018-02-15T17:15:02+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<ビジュアルアーツ試写室>
2018(平成30)年1月25日鑑賞
2018(平成30)年2月5日記
中国三千年の歴史の中で黄河と共に長江が果たしてきた役割は大きい。しかし、①電力供給、②洪水防止、③水運改善を目的とした、世界最大規模の多目的ダムである三峡ダムの建設によって、長江はいかに変わったの・・・?
フォン・イー監督は『長江の夢』(97年)や『長江にいきる 秉愛の物語』(08年)で、ジャ・ジャンクー監督は『長江哀歌』(06年)や『四川のうた二十四城記/24CITY)』(08年)でそれを表現してきたが、10年の歳月をかけて脚本を練ったヤン・チャオ監督が本作で描く「長江図」とは?その物語 は超理念的かつ抽象的だから賛否両論があるだろうが、スクリーン上に映し出される映像の美しさは圧倒的!これぞ中国、これぞ長江だ。
但し、随所で提示される漢詩は難解。本作の鑑賞には中国語の勉強と中国に関するさまざまな知識が不可欠だから、視覚のお楽しみのみならずしっかりその方面のお勉強も・・・。
本文はネタバレを含みます!!
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監督・脚本:ヤン・チャオ
撮影監督:リー・ピンビン
ガオ・チュン(父の後を継いだおんぼろ貨物船広徳号の船長/チン・ハオ
アン・ルー(ミステリアスにガオの前にあらわれる女性)/シン・ジーレイ
ホンウェイ/ワン・ホンウェイ
ウー・シェン(広徳号の若い船員)/ウー・リーポン
シアン(広徳号のベテラン機関士)/チァン・ホワリン
ルオ・ディン/タン・カイ
配給:エスピーオー/115分
■□■これぞ長江!唯一無二の長江クルーズ(?)を本作で!■□■
私は2000年8月の大連・瀋陽旅行をはじめとして、20回近く中国旅行をしてきたが、「長江クルーズ」には参加したことがない。アジア最大の全長6300kmを誇る長江は中国三千年の歴史の中でも冠たる地位を占め、過去さまざまな人間ドラマを生み出してきた。そしてまた、その美しさは悠久のもの。私は長い間そう思っていたが、近時は三峡ダムの建設によって、長江にも大きな変化が生じている。そのことはフォン・イー監督の『長江の夢』(97年)や『長江にいきる 秉愛の物語』(08年)(『シネマルーム22』276頁、『シネマルーム34』322頁参照)さらに、ジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』(06年)(『シネマルーム15』187頁、『シネマルーム17』283頁参照)や『四川のうた(二十四城記/24CITY)』(08年)(『シネマルーム22』213頁、『シネマルーム34』264頁参照)等によって明らかだ。
「長江クルーズ」による「三峡下り」と「三国志」で有名な「白帝城」の見学は私の当面の夢だが、本作を見ればその夢の一端も・・・。そう思っていると、本作には、劉備玄徳や関羽ではなく、張飛を祀る張飛廟が登場してくるので、それにも注目!
■□■イントロダクションは?■□■
公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
アジア最長の全長6300キロを誇る長江は、悠久の歴史、文化、大自然を育み、流域に暮らす庶民に豊かな恵みをもたらしてきた。しかし2009年に世界最大の三峡ダムが完成するなど、中国社会の急速な経済発展に伴い、長江も大きな変貌を遂げつつある。
ヤン・チャオ監督が10年の製作期間を費やして完成させた長編第2作『長江 愛の詩』は、極寒の長江とその周辺で60日間のオールロケを敢行し、息をのむほど壮大にして美しい情景を余すところなくカメラに収めた一大叙事詩である。2016年第66回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品されるや、世界的に注目を集める撮影監督リー・ピンビンが手がけた映像美が絶賛を博し、見事に銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞。まさにスクリーンで観るべき圧倒的な映画体験を創出した話題作が、ついに日本公開となる。
おんぼろ貨物船、広徳号の若き船長ガオ・チュンが、今は亡き父親が遺した手書きの詩集を発見する。違法の仕事を請け負って上海から長江を遡る旅に出発したガオは、「長江図」と題されたその詩集に導かれるようにして、アン・ルーというミステリアスな女性との恋に落ちていく。彼女とガオの父親の間には、いかなる因果関係があるのか。出会いと別れを繰り返すたびにみずみずしく若返っていくアン・ルーは、はたして何者なのか。やがて三峡ダムを越え、長江の水源への航行を続けるガオが、その神秘的な旅の果てにたどり着いた真実とは……。
本作の最大の見どころは、ガオの旅を通して映し出される驚くべき絶景の数々である。下流の商業都市である上海や南京、中流の三峡ダムを経て、雄大な山々がそびえる上流へと移り変わる旅の幻想的な景色は、比類なき映画的スペクタクルを観る者に体感させる。ホウ・シャオシェン、ウォン・カーウァイといった巨匠とのコラボレーションを積み重ね、『春の雪』(05)では行定勲、『空気人形』(09)では是枝裕和、『ノルウェイの森』(10)ではトラン・アン・ユンと組んだ撮影監督リー・ピンビンの独特の感性が、遺憾なく発揮された大作となった。その得も言われぬ詩情に満ちた映像世界に魅了された観客は、あたかも長江の緩やかな流れに身を委ねるような唯一無二の没入感を味わうに違いない。
■□■『苦い銭』は超現実的VS本作は超理念的・抽象的■□■
前日に観た王兵(ワン・ビン)監督の『苦い銭』(16年)はドキュメンタリー映画だということもあるが、同監督らしく「苦い銭」にまつわる出稼ぎ労働者たちの超現実的な物語をリアルに描いていた。しかし、本作の物語はそれとは真逆で、超理念的かつ抽象的!
本作はオンボロ貨物船の船長ガオ・チュン(チン・ハオ)が1冊の詩集を見つけたところから始まるが、その詩集に導かれるように長江を遡っていくという物語は一体どこから生まれてきたの?また、夫がいたはずの女性アン・ルー(シン・ジーレイ)とガオ・チュンがなぜ恋仲になるの?そもそも、アンは生きているの?それとも死んでしまっているの?少し真面目に考えれば、本作のストーリーはわけのわからないことだらけだ。ヤン・チャオ監督はそんな本作の脚本作りになぜ10年もかけ、7稿も重ねたの・・・?
主役を演じるチン・ハオは、ロウ・イエ監督の『スプリングフィーバー』(09年)(『シネマルーム26』73頁、『シネマルーム34』288頁参照)、『二重生活』(12年)(『シネマルーム35』152頁参照)、『ブラインド・マッサージ』(14年)で強烈な印象を残す演技を見せていたが、ヤン・チャオ監督の脚本、演出による本作での超理念的・抽象的な演技は如何に・・・?他方、テレビドラマの出演が多いらしいアン役を演じたシン・ジーレイも、セックスシーンがあるといってもそれはほんの2、3秒だけで、抽象的な演技だらけだから大変。どちらかというと私はそんな理念的抽象的な物語は苦手だが、さてあなたは・・・?
■□■なぜ1989年の詩集が?その漢詩の勉強が不可欠!■□■
本作のストーリーの軸は、「ガオとアンの間で繰り広げられる、現実と虚構、そして現在と過去が交錯する深遠なラブストーリー」だそうだが、前述の通りそれは超理念的、超抽象的でわかりにくい。
他方、本作ではガオの父親が残したという一冊の詩集『長江図』に基づき、ガオが船長を引き継いだ広徳号が停泊する要所要所で漢詩が歌われる。中国語の素養のない人にはこれはなかなわからないだろうが、中国語の勉強がかなり進んでいる私には少し理解能力がある。ちなみに、現在日経新聞では、林真理子の連載小説『愉悦にて』が続いているが、1月26日の連載142回目現在、そこでは主人公の田口が交際を始めた中国人女性・花琳(ファリン)からメールで送られてくる漢詩を巡るハラの「探り合い」が微妙な展開を見せている。それはともかく、本作に登場するこれらの「長江図」を巡るさまざまな漢詩は、悠久の流れ・長江をより深く理解するのに役立つこと間違いなしだから、本作の鑑賞についてはそれをしっかり勉強する必要がある。
それにしても、この詩集は1989年つまり天安門事件の時代に書かれたそうだから、そこにも深い意味があるはず。したがって、そのことも併せてしっかり考えたい。
■□■三峡ダム建設の目的は?この英題はなぜ?■□■
本作では広徳号が「三峡ダム」を遡るについて、いわば「船のエレベーター」ともいうべき施設に乗るシークエンスが登場する。これは私が住んでる大阪市都島区を流れる淀川にある「毛馬の閘門」と同じシステムだが、その巨大さは10倍、100倍のもの。三峡ダム建設の目的は、①電力供給、②洪水防止、③水運改善の3つ。この巨大なダム湖の誕生によって水位が上昇したため、重慶まで1万トン級の大型船が航行可能となったわけだ。
本作のそんな興味深いシークエンスにも注目だが、本作全編を通しては、広徳号が長江を下流の上海から上流に遡って進んでいくことに注目したい。本作の中国タイトルは『長江図』だが、英題は『Crosscurrent』で、これは「逆流」を意味している。30年前の1989年に父親によって書かれた詩集『長江図』に導かれるようにガオが広徳号に乗って長江を遡っていくのは、父親を含めた過去への回帰であることに間違いない。しかし、超理念的かつ抽象的な本作では、同時にそれは未来に向かっての旅に通じているのだろう。
本作のプレスレシートには、かなり長いヤン・チャオ監督の「Director‘s Statement」がある他、川口敦子氏(映画評論家)の「一筋縄ではいかない映画はシンプルな恋物語を捨て、歴史と魂の自由をみつめる」と、杉野元子氏(慶応義塾大学教授)の「どうしようもない哀しみ」という、少し難しいが読み応えのあるコメントがあるので、これもぜひ勉強したい。
■□■結末はあっと驚くほど現実的!■□■
本作の「ストーリー」は広徳号が長江の最上流に至った時点で、「あっと驚く展開」を見せる。本作はガオとアンとの超理念的、抽象的なラブストーリーであると同時に、ガオが広徳号を操って長江を遡ったのは、「ある男」(ルオ社長)から「あるもの」(希少種の魚らしき生き物)を長江のはるか上流にある四川省宜賓まで運ぶという「違法な仕事」を請け負ったためだ。それなのに、ガオは物語の中でアンとのラブストーリーにかなりうつつをぬかしていたから、その仕事は達成できたの?そんな心配をしていると、物語のラストには「あっと驚く」ほど現実的な結末が待ち受けているので、それにも注目!
もっとも、この時点ではすでにアンは死亡しているはずだし、ガオもその時点では何のために違法な仕事をしているのか自体もわからなくなってしまっていたはずだから、彼もすんなり自分の死を受け入れることができたのでは・・・?それはともかく、ガオの死亡という結末だけはあっと驚く現実だから、そこから本作の理念性、抽象性な内容をあらためてしっかり考えたい。
■□■ドキュメンタリーの「長江」も観たいものだが・・・■□■
本作は、そんな風に「物語」がラストを迎えると、100年前200年前の長江とそこで暮らす人々の姿がドキュメンタリー風に示されるので、それにも注目!中国には、西欧列強の進出に苦しみ、アヘン戦争によってボロボロにされた時代があった。また、中国には『北京の55日』(63年)や『砲艦サンパブロ』(66年)で描かれたような苦しい時代もあった。鄧小平による改革開放政策が始まり、中国が経済的に成長したのは1980年代。それ以降長江は大きく変わっていったが、それ以前の変化はそれほど大きくないはずだし、長江に根差した各都市の人々の生活もそれほど大きな変化はないはずだ。したがって、本作ラストにみる長江のドキュメンタリー風映像はどれも興味のあるものばかりだ。改革開放政策以前の中国で、長江を巡る映像がカメラに収められているものは多くないのかもしれないが、本作ラストの映像を観た私は是非それらを見たくなった。
前述したフォン・イー監督やジャ・ジャンクー監督は、三峡ダム建設を巡っての長江やそこで過ごす人々の様々な姿をカメラに収めたが、それ以前はどうだったのだろうか。そして、ワン・ビン監督なら長江を巡るドキュメンタリー映画をどのように作るのだろうか?もちろん、ドラマ映画では素材が命だから、今更100年前200年前の長江の姿をカメラで撮ることはできないが、過去の映像や写真をフルに集めればワン・ビン監督特有のドキュメンタリータッチの『長江図』を作ることもできるのでは?本作のような超理念的、抽象的な『長江図』もいいかもしれないが、ぜひワン・ビン監督流のリアルで現実的な『長江図』も観てみたいものだ。
2018(平成30年)年2月5日記
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苦い銭(苦銭/Bitter money)(フランス・香港合作映画・2016年)
http://sakawa.exblog.jp/29438114/
2018-01-31T15:44:00+09:00
2018-01-31T15:44:02+09:00
2018-01-31T15:44:02+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<ビジュアルアーツ試写室>
2018(平成30)年1月22日鑑賞
2018(平成30)年1月26日記
ワン・ビン監督が習近平体制下の経済成長著しい中国で、何ともタイムリーなテーマで、ドキュメンタリーの新作を!
『無言歌(夾辺溝/THE DITCH)』(10年)も『収容病棟(瘋愛/'TIL MADNESS DO US PART)前編』(13年)もテーマが重過ぎてしんどかったが、本作は物語性と問題提起性がほどよくいい加減で『三姉妹~雲南の子(三姉妹/Three Sisters)』(12年)と同じくらい・・・?
銭にまつわる物語は古今東西たくさんあるが、都市住民と農民工との格差が広がる中、出稼ぎ労働者たちの「苦い銭」にまつわる興味深い物語に注目!
本文はネタバレを含みます!!
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監督:王兵(ワン・ビン)
撮影:前田佳孝、リュウ・シャンホイ、シャン・シャオホイ、ソン・ヤン、ワン・ビン
小敏(シャオミン): 16歳、雲南省巧家県出身、女性
小孫(シャオスン):18歳、雲南省巧家県出身、男性
元珍(ユェンチェン):24歳、雲南省巧家県出身、女性
蘭蘭(ランラン):19歳、安徽省出身、女性
厚琴(ホウチン):19歳、安徽省出身、女性
凌凌(リンリン):25歳、安徽省出身、女性
二子(アルヅ):32歳、安徽省出身、男性
方兵(ファン・ビン):29歳、安徽省出身、男性
老葉(ラオイエ):45歳、安徽省出身、男性
黄磊(ホアン・レイ):45歳、安徽省出身、男性
配給:ムヴィオラ/163分
■□■タイトルの意味をしっかりと!■□■
日本では平成の時代が2019年4月で終わるが、30年間続いた平成の世が始まったのは、バブルが崩壊した1989年。それ以降、日本はいわゆる「失われた10年」「失われた20年」といわれるデフレの時代に突入し、経済成長はストップした。それに対して、1989年6月4日に天安門事件を経験した中国は、その後も「改革開放政策」を進める中で高度経済成長が続き、習近平体制の今、その経済的・軍事的力量は、アメリカに対抗しようかというところまで高まっている。
私は、2015年9月に直腸癌、2016年10月に胃癌の手術をしたため、中国旅行は2015年6月の北京電影学院での“实验电影”学院賞の授賞式への出席がラストになっているが、2000年から2015年までの間に10数回の中国旅行を体験する中でその経済成長の姿をつぶさに見学してきた。今は1元=約17円だが、2000年当時は1元=約13円だったし、2004年11月に雲南省に行った時は、その景色の美しさとともにマッサージ代の安さにびっくりしたものだ。しかして、ドキュメンタリー映画にして第73回ベネチア映画祭で脚本賞&ヒューマンライツ賞を受賞した王兵(ワン・ビン)監督の本作のタイトルは『苦い銭』(英題Bitter money)。そのチラシには「1元=約17円(2017.10現在)」「苦い銭を稼ぎにいくんだ」等の文字が躍っているが・・・。
古今東西を問わず、「金がすべて」という価値感は確立しているし、それをテーマにした人間ドラマは多い。大阪には『ナニワ金融道』等の独特のドラマがあるが、日本を代表するドラマとしては、ジョージ秋山の『銭ゲバ』が有名だ。「世の中、金だ」とうそぶく主人公の蒲郡風太郎は財界で力をつけた後、政界へと進出していくが、さて彼の運命は・・・?そんな波乱万丈の人生を見せる風太郎の生きがいは当然銭だったが、ワン・ビン監督が本作に登場させた実在の人物たちの人間ドラマのテーマも銭。そして、それは「苦い銭」ばかりだ。銭にまつわる格言やことわざは多いが、本作では「アイロン掛けは時給が16元か18元だ」「社長の気前のよさは2元ね!」「1日150元稼げる奴もいる 俺みたいに70元しか稼げないのはダメだ」等の銭にまつわる印象的なセリフがたくさん登場するので、それに注目!
ワン・ビン監督ならではの鋭い視線で描く本作では、そのタイトルとなっている「苦い銭」の意味をしっかりと!
■□■「監督のことば」に注目!■□■
公式ホームページによれば、本作の「監督のことば」は次の通りだ。
苦い銭』は、雲南の故郷を離れて、出稼ぎ労働者が多く働く中国東海岸の街へと向かう、3人の若者の姿を追う場面から始まります。 カメラはそれぞれの人物に近づき、彼らの過酷な労働の日々にあらわれる感情や、賃金を受け取ったときの失望を捉えます。中国社会では、現代ほど「金」が重要な時代は、これまでにありませんでした。今、誰もが裕福になりたいと願っています。しかし現実から見れば、それは誰もが空想の中に生きていると言うしかありません。目にする限り、人生とは不毛です。幻想と失望に満たされた時代にあって、従順な人生を送るために、私たちはしばしば自分の気持ちさえ欺いているのです。“流れゆくこと”は、今日の普通の中国人の重要なテーマです。私は、彼らの物語を語るために、カメラのショットや捉える人物をずらしながら、ある被写体から別の被写体へ、焦点を揺らすようにひとつに絞らずに撮影しました。
■□■「苦い銭」の物語は?その社会問題は?■□■
公式ホームページによれば、本作の「物語」は次の通りだ。
雲南省出身の15歳の少女シャオミンは、バスと列車を次々と乗り継ぎ、、遠く離れた浙江省湖州へと向かう。縫製工場で働くためだ。そこは出稼ぎ労働者が住民の80%を占める街。朝から晩まで働いて、ただ働いて。それでもそこには胸に響く一瞬がある。初めて町で働き始める少女たちの瑞瑞しさ、酒に逃げる男、ヤケになる男・・。14億が生きる巨大中国の片隅で、1元の金に一喜一憂する彼らの人生を想う。そして気づく。“彼ら”は世界のいたるところに存在する“私たち”。
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本作はドキュメンタリー映画だが、後に紹介する多くの登場人物(=出稼ぎ労働者たち)が織りなす「苦い銭」にまつわる「物語」は興味深い。もちろん、その人物はすべて素人だが、ワン・ビン監督がそれを撮影し繋いでいくと壮大な「物語」になっていくところが面白い。ワン・ビン監督の前作『収容病棟(瘋愛/'TIL MADNESS DO US PART)前編』(13年)はそのテーマがあまりに重くてしんど過ぎた(『シネマルーム34』285頁参照)が、本作はそれほどのしんどさはなく、ちょうど良い加減。「何でも銭」の世の中は嫌なものだが、それでも現実は現実。習近平独裁体制の強化が進み、経済成長がどんどん進んでいく中国において、「苦い銭」にまつわるこんな物語=社会問題があることを、本作からしっかり学びたい。
■□■出稼ぎ労働者たちの出身地に注目!その1■□■
私は浙江省にも雲南省と安徽省にも旅行に行ったことがある。浙江省の湖州市にある織里(ジィリー)の縫製工場や浙江省にある巨大な雑貨卸売り市場である「義烏(イーウー)小商品城」で働く本作の出演者(=出稼ぎ労働者)たちの出身地は、そのほとんどが雲南省や安徽省だ。
冒頭に登場する小敏(シャオミン)(16歳)、小孫(シャオスン)(18歳)、元珍(ユェンチェン)(24歳)の3人は雲南省出身。また、安徽省出身の19歳の蘭蘭(ランラン)は、同じ19歳の女の子、厚琴(ホウチン)とともにシャオミンらが働く織里の縫製工場で働いている。しかして、その労働の実態は?賃金は・・・?
他方、中国4大女優の1人である徐静蕾(シュー・ジンレイ)が主演した『我愛你(ウォ・アイ・ニー)』(03年)は、夫婦げんかをテーマにした面白い映画だった(『シネマルーム11』264頁参照、『シネマルーム17』345頁参照)が、普通夫婦げんかは犬も食わないもの。ところが、本作でワン・ビン監督は、安徽省出身の凌凌(リンリン)(25歳)、と二子(アルヅ)(32歳)との夫婦げんかに延々とカメラを向けているので、それに注目!彼らが何のためにけんかしているのかは各自で確認してもらいたいが、その根本原因がおカネにあることは明らかだ。
■□■出稼ぎ労働者たちの出身地に注目!その2■□■
現在『在日本』の社長をしているのが、毛丹青教授の教え子の1人・李淵博君だが、彼の出身地は安徽省。彼の父親は安徽省で大きな電力会社を経営している大金持ちだが、安徽省出身の29歳の方兵(ファン・ビン)は、シャオミンたちと同じ縫製工場で働いているが、「一日150元稼げる奴もいる 俺みたいに70元しか稼げないのはダメだ」と語り、「どうせ仕事の手が遅いから2日試してダメなら故郷に帰る」と、半ばヤケになっている。他方、前述した安徽省出身の19歳のホウチンは近くの工場で働いている男性に遊びにくるように誘われているが、遊びに行く勇気がないらしい。他方、夫婦げんかの仲裁をしていた45歳の老葉(ラオイエ)はまともそうだったが、「マルチ商法」に興味があるようだからちょっとヤバイ。また、彼と同室の45歳の男・黄磊(ホアン・レイ)は酒とギャンブルの日々だから、同郷の社長は真面目に働くよう諭していたが、さて・・・。
中国の人口は13億人だが、都市住民と農民工との格差は大問題で、出稼ぎ労働者問題は大きな社会問題になっている。ワン・ビン監督は本作でそんな出稼ぎ労働者にカメラを向けたわけだ。本作のキーワードは「働けど、働けど」だが、これはどこかで聞いたような文句・・・。そう、これは石川啄木の歌集『一握の砂』の中に収められた有名な短歌で「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」というもの。すると、ワン・ビン監督も中国の出稼ぎ労働者たちについて、石川啄木と同じような目線で本作を・・・。
■□■彼らの夢と希望は?昭和の「金の卵」たちに比べると?■□■
産経新聞は、2018年1月「第5部 地殻変動」として、「戦後73年 弁護士会」を5回にわたって特集した。そこでは、金稼ぎに走らざる得なくなった近時の若手弁護士と、相変わらず「人権擁護と社会正義の実現」に熱心な(金持ちの)古い弁護士との「上下の対立」が描かれていた。私は「古いタイプ」の弁護士だから、今どきの若手弁護士が「ゼニ・・・、ゼニ・・・」と仕事あさりをしている姿をみると、嫌になってくるが・・・。
また、この原稿を書いていた1月24日には、中国のいくつかの5つ星ホテルでは、便器を洗うブラシで客が飲むコップを洗っている等の驚くべき「実態」が報道された。そんな行為について当の清掃員は、「1日に12部屋掃除するけど、それ以上できた場合は12元(約206円)もらえる」と話していた。つまり、ノルマ以上の仕事を達成し給料を上げるためには、ずさんな清掃も止むを得ないというわけだ。今では、中国の5つ星ホテルのレストランでコーヒーを飲めば、1杯1000円(500~600元)もするから、1部屋12元が高いのか安いのかはよくわからないが、ここにも今どきの中国における「苦い銭」の物語が・・・。
他方、私は山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作をテレビで放映されるたびに見ているが、そこでは青森から集団就職で東京にやってきた星野六子(むつこ)の夢と希望が熱く描かれていた。また、2017年上半期放送のNHK朝ドラ『ひよっこ』でも、奥茨城から集団就職で東京にやってきた谷田部みね子たちの夢と希望が面白かった。本作は主に、中国の雲南省や安徽省から浙江省にやってきた出稼ぎ労働者たちの物語だが、彼らの夢と希望は・・・?
平成の時代に比べれば、昭和の時代が夢と希望に満ちていたことは間違いないが、さて、本作のような「苦い銭」まみれになってる今の中国での出稼ぎ労働者の夢と希望は・・・?
2018(平成30年)年1月26日記
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キングスマン:ゴールデン・サークル(イギリス映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29437982/
2018-01-31T15:37:28+09:00
2018-01-31T15:37:30+09:00
2018-01-31T15:37:30+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<TOHOシネマズ西宮OS>
2018(平成30)年1月21日鑑賞
2018(平成30)年1月25日記
本文はネタバレを含みます!!
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ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
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監督:マシュー・ヴォーン
ハリー(英国スパイ機関キングスマンのエージェント)/コリン・ファース
ポピー・アダムス(ゴールデン・サークルのボス)/ジュリアン・ムーア
エグジー(英国スパイ機関キングスマンのエージェント)/タロン・エガートン
マーリン(エグジーの恋人)/マーク・ストロング
ジンジャー(米スパイ機関ステイツマンの一員)/ハル・ベリー
テキーラ(米スパイ機関ステイツマンのエージェント)/チャニング・テイタム
エルトン・ジョン(本人役)/エルトン・ジョン
配給:20世紀フォックス映画/140分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
表の顔はロンドンの高級テーラー。その実態は、どの国にも属さない世界最強のスパイ機関だった!全世界が熱狂した『キングスマン』から2年。イギリスから世界に飛び出して、キレッキレの超絶アクションも、ギミック満載のスパイ・ガジェットも、常識破りのパワーアップ!
一流スパイに成長したエグジーを演じるタロン・エガートンや、メカ担当、マーリンのマーク・ストロング。そして、なんと前作で死んだと思われたコリン・ファース演じるハリーが驚きの復活!
前作メンバーはそのままに、アメリカの同盟スパイ機関、ステイツマンのメンバーに、チャイニング・テイタム、ハル・ベリー、ジェフ・ブリッジス。新たな敵、ゴールデンサークルのボス、ポピーにジュリアン・ムーアなど、超個性的な新キャラクターを加えて、アカデミー賞俳優を4人を含む超豪華キャストが集結。さらに世界のポップスター、エルトン・ジョンまで怪演を披露!監督は、“映画ファンを裏切らない監督”として定評のあるマシュー・ボーンが続投。アメリカ他各国でNo.1大ヒットを記録して、またもや世界をブッ飛ばした最新作がやってくる!
◆公式ホームページによれば、本作の「ストーリー」は次の通りだ。
世界的麻薬組織、ゴールデン・サークルの攻撃により壊滅したキングスマン。残された2人、エグジーと、メカ担当のマーリンは、バーボン・ウイスキーの蒸留所を経営するコテコテにアメリカンな同盟スパイ機関:ステイツマンと合流。さらに、彼らの前には、死んだはずのハリーまで現れる!
一方、上品な見た目に反して超サイコなゴールデンサークルのボス、ポピーは、世界中の麻薬使用人を人質にした驚愕の陰謀を始動させていた。果たして、エグジーの前に現れたハリーの秘密とは?そして一流エージェントに成長したエグジーは、敵の陰謀を阻止することができるのか!?
◆スパイ映画にも「シリアスもの」と「活劇もの」の2種類があるが、本作は「活劇もの」の典型。『裏切りのサーカス』(11年)(『シネマルーム28』114頁参照)のようなシリアスものの傑作を生んだイギリスで、『キングスマン』(14年)が公開されたのには驚いたが、映画は何でもありと考えている私は、同作に星5つを付けた(『シネマルーム37』213頁参照)。
同作はコリン・ファース演じる先輩スパイのハリーと、ハリーが見出した若き才能、エグジー(タロン・エドガー)との「師弟もの」で、全世界で4億ドルを稼ぐメガヒットをうたっていたが、その第2弾となる本作では、弟子だったエグジーが完全に独り立ち。ハリーはかなり微妙な立場(?)に立つことに・・。
本作でも後半には新旧の師弟コンビが大活躍をみせるのでそれに注目だが、その相手、「キングスマンの敵」となる、麻薬を中心とする「悪の組織」とは?また、その親玉は・・・?
◆『007シリーズ』は全24作まで続いているが、そこでは主役のジェームズ・ボンドとともに、敵役の「スペクター」等も注目の的となった。しかして、本作に登場する「キングスマンの敵」は、名女優ジュリアン・ムーアが演じる女ボスのポピー・アダムス。その本拠地はカンボジアのジャングル内に置いているという設定だ。冒頭から、にこやかに微笑みながら、エグいことを命じるポピーの非常さが強調されているので、それに注目。
また近時、政治的、外交的、軍事的に退潮著しい英国ではスパイの人材も枯渇しているらしい。そのため本作には、カウボーイ風の米国人スパイ、テキーラ(チャニング・テイタム)も登場するので、そのキャラと役割にも注目。もっとも、「活劇もの」のスパイ映画もここまでくると、私が子供の頃に観ていた人気テレビ番組『てなもんや三度笠』風のキャラの競い合いになるため、わかりやすいけれども馬鹿馬鹿しさも・・・。
◆本作では、ハリーとエグジーの活躍によって「麻薬問題を中心とする危機の解決」はできたものの、キングスマンのために働いてきた某スパイが死亡してしまったため、次の任務の遂行には更なる人員の補充が不可欠になる。そこで本作のラストでは本部で事務作業を担っていた女キングスマン候補のジンジャー(ハル・ベリー)が立候補し、それが認められることになる。すると、「駄作」になってしまった感が強い本作においても第3作の制作=シリーズ化が決定・・?しかし、EU離脱を表明した英国では現在メイ首相が懸命の舵取りをすすめているが、近時英国の孤立化と脱力感は強まっていくばかり。そんな時代状況の中、『キングスマン』のシリーズ化のようなくだらないこと(?)をやっていて、英国はホントに大丈夫?
中国は『戦狼2』(17年)を作って1000億円を稼いだが、『キングスマン』シリーズではいくらヒットしてもしれているし、英国の権威を世界的に高めるには程遠いのでは・・・。
2018(平成30)年1月25日記
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ジオストーム(アメリカ映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29437889/
2018-01-31T15:33:09+09:00
2018-01-31T15:33:11+09:00
2018-01-31T15:33:11+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<TOHOシネマズ西宮OS>
2018(平成30)年1月21日鑑賞
2018(平成30)年1月25日記
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監督・脚本・製作:ディーン・デブリン
ジェイク・ローソン(エンジニア 兄)/ジェラルド・バトラー
マックス・ローソン(エンジニア 弟)/ジム・スタージェス
サラ・ウィルソン(ジェイクの恋人 大統領のシークレットサービス)/アビー・コーニッシュ
レナード・デッコム(大統領の秘書官)/エド・ハリス
アンドリュー・パルマ(アメリカ大統領)/アンディ・ガルシア
配給:ワーナー・ブラザース映画/109分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」&「ストーリー」は次の通りだ。
ある日、気象コントロール衛生が暴走を始めた――。
度重なる異常気象、頻発する自然災害。この深刻な事態に世界はひとつとなり、「気象コントロール衛星」を開発。全世界の天気は精巧なシステムで完璧に管理され、人類は永遠の自然との調和を手に入れたかに思えた。
ところが!ある日突然、衛星が暴走を始めた!
リオデジャネイロが寒波に、香港が地割れに、ドバイが大洪水に、そして東京も・・。この星をすべて破壊し尽くさんばかりの、想像を絶する空前絶後の巨大災害が次々勃発。
なぜ!?いったい地球はどうなる!?
この地球滅亡の危機を受け、科学者ジェイクは、再び人類の英知を信じて仲間の待つ宇宙ステーションへと飛び立った――。
ジオストームとは、地球規模の同時多発災害のこと。それが、ひとたび起これば、人類は滅亡する。
ハリウッドの最先端技術で、実際の最新データに基づき、もし巨大破壊が起こったら?という極限の危機管理シュミレーションを展開。竜巻、氷結、熱波・・臨場感あふれるハイパーリアルな映像は、圧巻のド迫力で観る者に瞬きすら許さない。人工衛星の暴走という斬新な設定のもと、宇宙規模で壮大なドラマが展開する。
◆また、公式ホームページによれば、本作の5人の主役の顔写真は次の通りだ。
◆かつて『インディペンデンス・ディ』(96年)や『ディ・アフター・トゥモロー』(04年)(『シネマルーム4』84頁参照)、『ヒアアフター』(10年)(『シネマルーム26』123頁参照)等の、いわゆる「ディザスター(災害)映画」や「パニック映画」が大ヒットしたが、これは地球温暖化などの行きつく先として「地球滅亡の危機」が現実化していることの裏返し・・?それらの映画の多くでは、地球絶滅という危機の下、アメリカ大統領の指導力を中心に団結し、何とか危機を克服する姿が描かれていた。
1995年1月17日の阪神淡路大震災や2011年3月11日の東日本大震災は日本にとっては未曾有の大災害だったが、世界的規模でみれば局地的で小さな災害。しかし、本作にみる世界各地の大災害をみると、それはすごいし、地球規模の同時多発災害であるジオストームになると、そのものすごさは・・・?
◆本作では、「気象コントロール衛星(ICSS)」が開発されたことによって全世界の天気は精巧なシステムで完璧に制御され、人類は永遠の自然との調和を手に入れたかにみえたそうだが、それは米中を中心とする世界の力によるものであったことに、まずは注目。さらに本作では、ある日突然衛星が暴走を始めたことがテーマになるので、誰でもそれは人類の制御できない何らかの外敵要因だと思うはずだが、実は・・・。
◆本作ではジオストームの危機が迫る中、「気象コントロール衛星」の開発者である兄のジェイク・ローソン(ジェラルド・バトラー)と、問題児の兄に代わって、今やシステム管理の責任者になっている弟のマックス・ローソン(ジム・スタージェス)との兄弟愛と兄弟間の確執が描かれるから、それに注目!そればかりか、本作後半では更にアメリカ大統領アンドリュー・パルマ(アンディ・ガルシア)とその秘書官レナード・デッコム(エド・ハリス)との確執も・・・。しかし、それって一体何?ジオストームの危機が迫る中、アメリカ内部での大統領の椅子を巡る権力争いが、なぜ出てくるの・・・?
ジオストームというディザスター(災害)映画にそんな2つの人間ドラマを絡めたところが本作のミソだが、さてその成否は・・・?
◆「気象コントロール衛星」は人間が作りだしたものだから、日常的な保守点検が必要だし、いつかどこかに何らかの故障が生じるのも仕方ない。そのため、目の前に起きているちょっとした現象は全世界の人々はもちろん、ジェイクもマックスもちょっとした故障だと思っていたが、兄弟間の確執をはらみながらその原因を調べていくと、実はそこには人為的な原因が・・・。しかし、それが「ウィルス」によって気象コントロール衛星の「誤作動」を仕組み、多くの人的犠牲を伴うアメリカ大統領選挙を巡る策謀だとすると・・・。
トランプ大統領の就任2年目を迎えたアメリカでは、現在いわゆる「ロシア疑惑」がどこまで解明されるかが最大の焦点だが、本作におけるアメリカ大統領の椅子を巡る確執はそれ以上の大問題。現職大統領が与党である民主党の党大会で演説するのは晴れの舞台だが、本作に見る、そこに仕組まれた謀略とは・・。
本作が「ジオストーム」というタイトルとは全く異質の、そんな生々しい人間の欲望の映画になっていることにびっくりだが、これはちょっとひねりすぎなのでは・・・?
2018(平成30)年1月25日記
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ヒトラーに屈しなかった国王(ノルウェー映画・2016年)
http://sakawa.exblog.jp/29437763/
2018-01-31T15:26:45+09:00
2018-01-31T15:26:47+09:00
2018-01-31T15:26:47+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<テアトル梅田>
2018(平成30)年1月19日鑑賞
2018(平成30)年1月25日記
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監督・脚本:エリック・ポッペ
ホーコン7世(ノルウェー国王)/イェスパー・クリステンセン
オラフ5世(ノルウェー皇太子)/アンドレス・バースモ・クリスティアンセン
マッタ(ノルウェー皇太子妃)/ツヴァ・ノヴォトニー
ブロイアー(駐ノルウェー・ドイツ公使)/カール・マルコヴィクス
アンネリーゼ(ブロイアーの妻)/カタリーナ・シュットラー
ダイアナ(ドイツ公使館秘書)/ユリアーネ・ケーラー
配給/アット エンタテインメント/136分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次のとおりだ。
本国ノルウェーでは、3週連続1位を記録後、ロングランを続け、2016年の国内映画興行成績1位を獲得。国民の7人に1人が鑑賞する社会現象的大ヒットを記録した本作は、アカデミー賞外国語映画賞のノルウェー代表にも選出され、ノルウェー最高の映画賞アマンダ賞で、作品賞・助演男優賞含む8部門を受賞した。
実在した主人公のホーコン7世を見事に演じきったのは、「007」シリーズのミスター・ホワイト役で知られ、今回プロデューサーとしてもクレジットされているイェスパー・クリステンセン。息子のオラフ皇太子は「コン・ティキ」のアンドレス・バースモ・クリスティアンセン、ノルウェーに降伏を迫るドイツ公使には「ヒトラーの贋札」のカール・マルコヴィクスが演じる。監督は、「おやすみなさいを言いたくて」のエリック・ポッペ。
◆公式ホームページによれば、本作の「ストーリー」は次のとおりだ。
1940年4月9日、ナチス・ドイツ軍がノルウェーの首都オスロに侵攻。ドイツ軍の攻撃に交戦するノルウェー軍だったが、圧倒的な軍事力によって、主要な都市は相次いで占領される。降伏を求めてくるドイツ軍に対しノルウェー政府はそれを拒否し、ノルウェー国王のホーコン7世は、政府閣僚とともにオスロを離れる。一方、ヒトラーの命を受けたドイツ公使は、ノルウェー政府に国王との謁見の場を設けるように、最後通告をつきつける。翌日、ドイツ公使と対峙した国王は、ナチスに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、家族のため、国民のため、国の運命を左右する究極の選択を迫られるー。北欧の小国ながらナチス・ドイツに最も抵抗し続けたノルウェーにとって、歴史に残る重大な決断を下した国王ホーコン7世の運命の3日間を描く。
◆公式ホームページによれば、本作の主人公となる「ホーコン7世」の人物像は次のとおりだ。
デンマーク国王フレデリク8世とルイーセの次男で、兄はデンマーク国王クリスチャン10世。 1905年に、ノルウェーがスウェーデンとの同君連合を解消して独立し、国民投票によりノルウェー国王に即位。 息子はオラフ5世で、孫のハーラル5世は、現ノルウェー国王。 ホーコン7世は八甲田山で起きた遭難死亡事故のお見舞いとして、1909年に明治天皇にスキー板を贈呈し、日本とノルウェーのスキー交流が始まるなど、日本との縁も深い。
◆1939年9月1日のポーランドへの侵攻からナチスドイツの野望が現実化したが、歴史に疎い日本人は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン方面へのナチスドイツの侵攻についてはほとんど知らない。私がそれを強く意識したのは、『ヒトラーの忘れ物』(15年)(『シネマルーム39』88頁参照)における、デンマークでのナチスドイツの少年兵の強制的な地雷除去作業を見た時。なるほど、北欧とナチスドイツの間にはこんな歴史があったのか。そんな認識を強くした。しかして、デンマークではなく、ノルウェーは?
タイトルを見ると、えらく威勢のいいタイトルだし、本国のノルウェーでは本作は社会現象的大ヒットをしたそうだから、こりゃ必見! そう思ったが、内容は意外に平凡・・・。
◆1945年8月15日の日本敗戦の日における、天皇陛下の「玉音放送」を巡る熱く長い一日を描いた名作が、三船敏郎が阿南惟幾陸軍大将を演じた岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(67年)だった(近時、役所広司主演でリメイク(『シネマ・ルーム36』16頁参照))。そこでは、明治憲法下における「天皇制」の下で、「ポツダム宣言受け入れ」と玉音放送を巡る軍部とりわけ陸軍強硬派と終戦受け入れ派との対立と確執が丁寧に描かれていた。
しかし、本作ではそもそもノルウェーの立憲君主制と民主制との関係がよく分からないから、主役であるホーコン7世国王が、ナチスドイツの侵攻についていかなる役割を担うのか自体がさっぱり分からない。本作のホーコン7世の役割については、平成天皇の生前退位の表明以降続いてきた「天皇陛下と憲法との関係」の議論と重なる部分が多い。そのため私は大いに興味があったが、残念ながら本作ではそのような問題意識は薄く、もっぱらホーコン7世を英雄視しているだけ。そんな方向での本作には、かなりの違和感が・・・。
◆本作は、ナチスドイツがノルウェーへの侵攻を開始した1940年4月8日以降の3日間の動きをホーコン7世を中心に描いている。そのハイライトは、ヒトラーの手先となり、ホーコン7世との2人だけの「直接交渉」によって、ノルウェーに降伏を迫ろうとする、ドイツ公使ブロイアー(カール・マルコヴィクス)との会談。そこでは、チラシにのっているとおり、ヒトラーの「他国の侵略に屈する国家は存在する価値がない。」の言葉を引用するブロイアーに対して、ホーコン7世は「この国の行く末は密談によって決まるのではない。国民の総意で決まるのだ。」と反論する。そんなシーンはたしかにカッコいいが、そこにどういう意味があるの?
本作全編を通じてホーコン7世が発するセリフは原理原則通りで、すべてカッコいいものばかり。それは自分が国民投票によって民主的に選ばれた国王だとの自負心の表れだが、彼の決断にもかかわらず、ノルウェーは6月には「降伏」しているのだから、彼の決断にどこまで意味があったの・・・?
◆フランスは1940年6月22日に休戦協定に調印し、親独の「ビシー政権」が誕生したが、ノルウェーの抵抗も6月9日までだった。そんな現実との対比で、本作が英雄的に描いたホーコン7世の役割をしっかり冷静に考える必要がある。別にノルウェーでの本作の人気に水を差すつもりはないが、どうしても私にはそんな感想が・・・。
2017(平成29)年1月25日記
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「汚れたダイヤモンド」(フランス・ベルギー映画・2016年)
http://sakawa.exblog.jp/29297620/
2018-01-17T15:44:00+09:00
2018-01-17T15:44:59+09:00
2018-01-17T15:44:59+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<テアトル梅田>2018(平成30)年1月12日鑑賞2018(平成30)年1月15日記
本文はネタバレを含みます!!それでも読む方は下の「More」をクリック!!↓↓↓
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監督:アルチュール・アラリピエール・ウルマン(ヴィクトルの息子)/ニールス・シュネデールガブリエル(ギャビー)・ウルマン(ジョゼフの息子、ピエールの従兄弟)/アウグスト・ディールジョゼフ・ウルマン(ピエールの伯父、ヴィクトルの兄)/ハンス・ペーター・クロースラシッド/アブデル・アフェド・ベノトマンルイザ(ガブリエルの恋人)/ラファエル・ゴダンゴパール(インド人の投資家)/ラグナト・マネリック(ジョゼフの会社の研磨作業所の細工師)/ジョス・フェルビストケビン/ギヨーム・ヴェルディエオルガ・ウルマン/ヒルデ・ファン・ミーゲン配給:エタンチェ/115分
■□■ショートコメント■□■◆公式ホームページによれば、本作のイントロダクションは次の通りだ。フランスの新星 アルチュール・アラリ監督×ニールス・シュネデールによるノワール映画の真骨頂2016年のフランス映画界で、最も傑出した才能の出現として話題になったアルチュール・アラリ監督による、フィルム・ノワールが誕生。自らがシェークスピアの『ハムレット』を下敷きにしたと語っているように、本作には<父と息子>という永遠のテーマが通奏低音のように流れている。原石のダイヤモンドに眠る、煌めく輝きと、坩堝のような深く暗い欲望。それを知ってしまった者には、もはや安穏は許されないのだった――。監督のアルチュール・アラリは、本作において、フランス映画批評家協会・新人監督賞、リュミエール学院が主宰するジャック・ドレー(推理映画)賞、ボーヌ国際探偵映画祭・審査員賞およびクロード・シャブロル賞を受賞している。主演のニールス・シュネデールは、本作でフランス映画アカデミー・セザール新人男優賞を獲得。また強盗の参謀役ラシッドを演じ、本作出演後に亡くなったアブデル・アフェド・ベノトマン(映画の冒頭で献辞を捧げられている)は、実際 “元服役囚” であり、現代を代表するフランスのノワール作家である。当初ラシッド役はアブデラティフ・ケシシュ監督に依頼されたが、ケシシュはベノトマンをアラリ監督に推薦したという。そしてロレーン・バコールを想起させるラファエル・ゴダンなど映画を彩る俳優陣も興味深い。果たしてピエールの復讐は成就されるのだろうか? 映画は、まったく意想外な展開を示しながら、ラストで、ピエールに対してある深いモラルの決断を強いる。『汚れたダイヤモンド』は、ここで単なる犯罪映画の枠を超え、大いなる世界への導きを許すのであった――。
◆公式ホームページによれば、本作のストーリーは次の通りだ。
「ギリシャ悲劇」『ハムレット』から、『汚れたダイヤモンド』へ-。永遠の“父と息子”の物語は、この映画により次のステージへ。フランス、パリ。強盗に明け暮れるピエールは、15歳から音信不通だった父が死んだことを突然知らされる。アントワープのダイヤモンド商家生まれの父は、ダイヤの研磨作業中に不慮の事故で手先を失い、その後精神を病み、家族の前からも姿を消し、野垂れ死んだのだ。それを知らされたピエールは、生家から追放された父の過去とみじめな最期に、父の兄ジョゼフを長とする一族への復讐と、ダイヤの強盗を誓う。舞台はパリから、ベルギーのアントワープへ。しかし生まれて初めてダイヤモンドに触れたピエールは、自分の体内に流れる、父から受け継いだ血が騒ぎだすのを感じるのだった。そしてそれは、悲劇への序章でもあった――。◆タイトルからは何の映画かさっぱりわからないが、本作はフランスの若手監督アルチュール・アラリによるフィルム・ノワール。そして、監督自らがシェイクスピアの「ハムレット」を下敷きにしたと語っていたように、本作には“父と息子”という永遠のテーマが通奏低音のように流れているらしい。しかし、それって一体何?そう思っていると冒頭、ダイヤモンドのカット(研磨)をめぐる作業の中で、ある事故が起き、ある男が血まみれになるシーンが登場する。ダイヤモンドの原石を見る目の、スクリーンいっぱいのアップの映像に驚かされるとともに、なるほどダイヤモンドのカットとはこういう作業なのかが少しわかったが、この2人の男は一体ダレ・・? いかにもフランス映画らしく、そんな冒頭シーンについてなんの説明もないまま以降、本作で、2016年第42回セザール賞(仏アカデミー賞)新人男優賞を受賞したというハンサムな若手俳優ニールス・シュネデールが登場するが、さて本作の人物相関図とは・・・?◆私の長男と長女は私と同じ大阪大学法学部を卒業し、2人とも弁護士になっている。さらに長男の妻も、長女の夫も弁護士だから、まさに弁護士一家だ。それに対して、本作の主人公ピエール・ウルマン(ニールス・シュネデール)は、ベルギーのアントワープにあるダイヤモンド商家の家に生まれたダイヤモンド一家らしい。 そして、冒頭の悲惨な事故のシーンは、ピエールの父ヴィクトルの若き日の姿だったらしい。研磨機に手を挟む事故によって指先を失い、以降精神を病み、消息を絶ったヴィクトルに対し、ヴィクトルの兄、つまりピエールの伯父であるジョゼフ(ハンス・ペーター・クロース)はダイヤモンド会社を引き継ぎ財を成していたから、この「ダイヤモンド一家」の明暗は鮮やかだ。 しかして、「ハムレット」のような“父と息子”というテーマが通奏低音のように流れる本作の中で展開される、ピエールの復讐物語とは・・・? ◆ダイヤモンドの映画といえば、『タイタニック』(97年)でのお坊ちゃま顔から完全に脱皮し、野性味たっぷりのダイヤ密売人に扮したレオナルド・ディカプリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』(06年)が有名。これは、ピンクダイヤモンドという巨大なダイヤを巡って、アフリカのシエラレオネ共和国を舞台に、1991年から11年間続いた「シエラレオネ紛争」や革命統一戦線など、日本人は誰一人聞いたことがないものが登場する難解な「アフリカもの」だったが、同時に奥深い人間ドラマ満載の傑作だった(『シネマルーム14』116頁参照)。それに比べて本作は、ダイヤモンドのカット(研磨)技術の厳しさを前面で見せながら、まさにダイヤモンド一家の分裂とピエールの再生(?)を描く異色作だ。 私はダイヤモンドやそのカット技術に何の興味もないが、ダイヤモンド一家なればこそ、そこから生まれてくる父子の愛情とダイヤモンド一家のお家騒動ぶり、そしてそこから生まれてくる主人公の悲劇と再生のサマをしっかりと見定めたい。 2018(平成29)年1月15日記
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「希望のかなた」(フィンランド映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29297353/
2018-01-17T15:26:00+09:00
2018-01-17T15:30:03+09:00
2018-01-17T15:26:49+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
前から気になっていたフィンランド人監督、アキ・カウリスマキの名作をはじめて鑑賞。「港町3部作」から「難民3部作」と名前を変えた本作は、ヨーロッパの難民問題がテーマだが、社会問題提起作というよりも、シリアからの難民とフィンランド人の老紳士との心温まる物語。それにしても、難民を従業員として雇い入れたばかりでなく、身分証明書の偽造から妹の受け入れまで、この老齢の男はトコトン性善説!さらに、中国のことわざである“上有政策 下有対策”を地でいく鮮やかなお手並みにも感心! もっとも、極右政党やネオナチの台頭は北欧の小国であるフィンランドでも同じ。したがって、あっと驚く本作ラストの展開はハッピーエンド?それとも・・・?
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監督・脚本:アキ・カウリスマキカーリド(シリア人の難民)/シェルワン・ハジヴィクストロム(フィンランド人の老人、レストランの店主)/サカリ・クオスマネンカラムニウス(レストランの従業員・案内係)/イルッカ・コイヴラニュルヒネン(レストランの従業員・コック)/ヤンネ・ヒューティアイネンミルヤ(レストランの従業員・ウエイトレス)/ヌップ・コイブヴィクストロムの妻/カイヤ・パカリネンミリアム(カーリドの妹)/ニロズ・ハジマズダック(カーリドの友人・イラク人の難民)/サイモン・フセイン・アルバズーン洋品店の女店主/カティ・オウティネン収容施設の女性/マリヤ・ヤルヴェンヘルミ配給:ユーロスペース/98分
■□■近時の北欧映画の名作の数々に注目!■□■スウェーデン、ノルウエー、フィンランド等の北欧諸国は日本にほとんど縁のない遠い国だが、近時その北欧諸国の映画の名作が次々に登場しているのでそれに注目!本作のアキ・カウリスマキ監督は近時人気急上昇のフィンランド人監督で、本作の舞台はフィンランドの首都ヘルシンキ。他方、近々鑑賞予定の『ヒトラーに屈しなかった国王』(16年)はノルウェー映画で、まさにタイトル通りの感動作らしい。また、近時観た『幸せなひとりぼっち』(15年)はスウェーデン映画で、日本人の多くが日本と違って安心して暮らせる「高負担、高福祉の国」と思っているスウェーデンで、妻に先立たれた59歳の頑固じじい(?)が織りなす面白い映画だった(『シネマルーム39』243頁参照)。さらに、デンマーク・ドイツ映画の『ヒトラーの忘れもの』(15年)は、ナチスドイツ敗戦後のデンマーク国内でドイツ人の少年兵が地雷除去作業に従事させられるストーリーの中で、ギリギリの人間性を問いかける問題提起作だった(『シネマルーム39』88頁参照)。また、フィンランド・エストニア・ドイツ映画の『こころに剣士を』(15年)は、ドイツとソ連に挟まれたエストニアという小国を舞台とし、フェンシングをテーマにしたもので、矢口史靖監督の『スウィングガールズ』(04年)(『シネマルーム4』320頁参照)のような面白い映画だった(『シネマルーム39』239頁参照)。このように、近時スウェーデン、ノルウェー、フィンランド等の北欧映画の名作が次々と公開されているのでそれに注目!■□■アキ・カウリスマキ監督の魅力に一目惚れ!■□■作家の村上春樹氏がフィンランドと聞いて真っ先に思い浮かぶのはアキ・カウリスマキ監督の映画、というように、アキ、そして兄のミカのカウリスマキ兄弟の名前は日本でもよく知られているらしい。フィンランドは2017年12月6日に独立100年を迎えたそうだし、近年では毎年恒例のフィンランド映画祭で最新のフィンランド映画が紹介されているらしい。そんな記念すべき年に、私ははじめてフィンランドのアキ・カウリスマキ監督の名作を鑑賞し、その魅力に一目惚れしてしまうことに。私は、2011年カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞・パルムドッグ賞を受賞したアキ・カウリスマキ監督の『ル・アーヴルの靴みがき』(11年)を見たいと思いながら見逃していたが、アキ・カウリスマキ監督は同作を「港町三部作」の1つとしていたらしい。ところが、彼は本作を発表するについて、それを「難民三部作」に変え、今や全世界で火急の課題となっている難民問題に再び向かい合ったそうだ。本作はフィンランドに難民申請してきたシリア人の青年カーリド(シェルワン・ハジ)を主人公にした物語。当初は何の接点もなかったフィンランド人の老人ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)が、自分の生き方を模索する中で始めたレストラン“ゴールデン・パイント”に、たまたまカーリドを従業員として雇い入れる中から、アキ・カウリスマキ監督流の温かい人間模様が広がっていく。スウェーデン映画『サーミの血』(15年)は、真正面から人種差別問題を問うすごい問題提起作だった(『シネマルーム40』93頁参照)が、本作は難民という目下ヨーロッパ最大の政治問題をテーマとしながらも問題提起作ばかりとはせず、温かい人間讃歌のドラマになっているので、それに注目!さらに、パンフレットの中で映画評論家の宇田川幸洋氏が「ぶっきらぼうなスタイル」と題して評論している通り、本作の登場人物は皆、押しなべてぶっきらぼう。近時の、わかりやすさと馬鹿みたいにセリフに頼る安物の邦画とは大違いだ。2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した、そんなフィンランド発の名作をしっかり味わいたい。■□■カーリドはなぜフィンランドに?2人の接点は?■□■本作では冒頭、石炭の山の中に隠れてフィンランドに入国してきた煤まみれの青年・カーリドの姿にびっくりさせられる。そして、ストーリーの進行につれて、彼はシリアのアレッポという町から、たまたまフィンランド行きの船に乗ったためフィンランドで難民になったことがわかる。その旅路は、難民申請をした彼らが入れられる収容施設の中でお友達になったイラク人青年・マズダック(サイモン・フセイン・アルバズーン)らに語るところによれば、かなりかなりの道のりだ。それはパンフレットにある「カーリドがたどった旅路」や「『希望のかなた』にみる難民問題にまつわるキーワード」から学ぶしかないが、平和で安全かつ豊かな日本ではとても想像できないものすごい行程だ。日本人には中東のイラク、シリア、トルコ等の知識もなければ、東欧のギリシャ、マケドニア、セルビア、スロヴェニア、ハンガリー等の知識もない。また、フィンランドのヘルシンキに至るポーランドのグダンスクについても何も知らないから、カーリドが語る旅路のほとんどは理解できないはずだ。しかして、今彼の願いは自分の難民申請が認められることと、途中で離ればなれになった妹のミリアム(ニロズ・ハジ)の居所を探すことだが、カーリドにとってこれは両方とも難問。さて、物語はいかなる進行を・・・?他方、そんなカーリドの物語とは別に、ヴィクストロムは今はカッコ良く(?)妻(カイヤ・パカリネン)に結婚指輪と家のキーを残し、愛車のクラシックカーに乗り家を出て行ったが、このおっさん、いい年をしてこれから一体何を・・・?そしてまた、何の縁もゆかりもないこのシリア難民のカーリドとフィンランド人のヴィクストロムとの接点は・・・?■□■フィンランド人は楽天的?シリア難民も笑いが大事?■□■ クラシックカーに身の周りの物だけを乗せ、家を出て行ったヴィクストロムは、衣類の販売業を営んでいたが、この際心機一転レストランの経営をしようと考えたらしい。もっとも、本作ではそんなヴィクストロムの心理状態は全く説明されず、ほとんどセリフのないまま、①在庫商品の処分、②レストラン“ゴールデン・パイント”購入の交渉、③不足資金調達のためカジノに臨むヴィクストロムの姿、をカメラが淡々と(?)追っていく形となる。三船敏郎や高倉健がカッコいいのは、その風貌やスタイルの良さとは別に、「男は黙って・・・」というところにあるが、フィンランド人の初老の紳士ヴィクストロムにもそれと同じような風格があるのでビックリ!妻への離婚の切り出し方といい、ポーカーの最後の勝負での全額つぎ込みの決断といい、この男を見ていると、フィンランド人は日本人と比べて楽天的・・・?そう思わざるを得ないが、ストーリーの進行につれて、この初老のオヤジの魅力がどんどん大きくなっていくので、それに注目!他方、難民申請をしたカーリドは収容施設の中でマズダックと仲良くなり、以降「先輩格」で何かと器用な彼のアドバイスを受けることになる。カーリドは意志の強そうなところは認められるものの、言葉はたどたどしくいかにも不器用そうだから、さて難民申請の行方は・・・?そう心配していると、案の定、カーリドが出廷した法廷であっさり難民申請は却下されたうえ、その決定には不服申し立てできないと宣言されたから、さあカーリドはどうするの?そんなカーリドに対するマズダックのアドバイスは、「難民が異国で受け入れられる秘訣は、楽しそうに装いながら、決して笑いすぎない事」だが、さて不器用なカーリドにそんなことができるの・・・?■□■やっぱり性善説がベスト!どこまでも暖かく・・・■□■ 日本では、2018年の年明け早々、はれのひ社による成人式での晴れ着詐欺(?)やカヌーの鈴木康大選手による小松正治選手への薬物混入の自白など、人間不信を助長させる事件が世間を賑わせている。戦後73年もの間、安全と平和を享受し、豊かな国となった日本で、なぜこんな現象が・・・?それに比べると、本作中盤でヴィクストロムが見せる、トコトン性善説の行動にビックリさせられると共に、大いなる清涼感を感じ取ることができる。その第1は、レストラン買収に伴う虚々実々の取引(?)の中で、ヴィクストロムが従業員である①案内係のカラムニウス(イルッカ・コイヴラ)、②コックのニュルヒネン(ヤンネ・ヒューティアイネン)、③ウエイトレスのミルヤ(ヌップ・コイブ)に見せる温かい人間味。第2は、レストラン経営には素人だったらしいヴィクストロムが、そこでも見せるお客さんを信じて(?)の思い切りの良さ。第3は、ゴミ捨て場を「俺の寝所だ」と主張するカーリドと互いに一発のパンチを交わし合いながらも、「ここで働いてみるか?」と声をかけるヴィクストロムの度量の広さだ。本作では、これらがすべて「結果オーライ」となり、温かくほのぼのとした物語になっているが、一歩間違えば、ヴィクストロムは倒産し、寒空の中で自殺に追い込まれる可能性も・・・。もちろんすべては結果論だと言ってしまえば身もふたもないが、そんな人間ドラマを、ぶっきらぼうながらとことん性善説の立場で描く本作のどこまでも暖かい視点に思わず目がうるうる状態に・・・。中国の馮小剛(フォン・シャオガン)監督や日本の山田洋次監督とも共通する、そんなアキ・カウリスマキ監督の映画と人間に対するあくまで暖かい視点に注目したい。■□■フィンランドにも“上有政策 下有対策”?■□■ 今や難民問題はヨーロッパ最大の政治外交問題になっているが、東洋の島国ニッポン国ではまだまだ問題意識は薄い。昨年末から日本海の荒波の中で命懸けで漁業に従事する北朝鮮の漁民(?)たちの船が多数日本に漂着しているが、それに対する日本国の対策はいつもながらの「後追い、後追い」になっている。日本でも近時外国人観光客の増大を受けてビザや入管手続きの簡素化等の努力を続けているが、いざ「朝鮮半島有事」となり、多数の難民が押し寄せてきた場合には、十分に対応できないことは明らかだ。さらに、法治国家たる日本では難民申請の手続は厳格だし、違法滞在の処罰もハッキリしている。そのうえ、日本人の遵法精神は少なくとも中国人よりはマシだから、中国で“上有政策 下有対策”と言われているようなことはあり得ないのが常識だ。しかし、いくら性善説の立場からとはいえ、難民申請を却下されたため違法滞在状態になっているカーリドを従業員として雇ったり、身分証明書の偽造まで平気でしてやるヴィクストロムの遵法精神は如何に・・・?中国の“上有政策 下有対策”(上に政策あれば、下に対策あり)は積極的に違法状態を容認することわざではなく、昨年の流行語大賞の候補の1つとされた“忖度”を含む味わい深いことわざだ。レストランの定期検査にやって来たフィンランドのお役所の監督官たちをうまく煙に巻くヴィクストロムのしたたかさを見ていると、まさにこれぞ中国流の“上有政策 下有対策”を地でいくものと感心させられたが、さてあなたはヴィクストロムが見せるフィンランド流の“上有政策 下有対策”をどう見る・・・?■□■ここまでやるか!ここまでできるの?■□■ 昨今のSNSや情報社会の進展のスピードはものすごいものがあり、これからはAI(人工知能)の時代とされている。しかし、難民のカーリドは携帯すら持っておらず、マズダックのそれを借りる始末だが、それでもマズダックの協力によって妹のミリアムに関する情報が集まってくるからすごい。ミリアムの安全と所在が確認できたのは喜ばしいが、そうかといって、いきなり“妹を探しにいくため、仕事を辞めます。”と言われると、ヴィクストロムは困るはず。しかし本作では、ヴィクストロムはすんなりカーリドの申し出を認めたばかりか、ここでこそ長年の知恵と人脈の使いどころ、とばかりにすごい作戦をひねり出し、それを実行に移すから偉い。ここでもまた中国流の“上有政策 下有対策”がフィンランド流に生かされているので、その鮮やかさに注目!しかし、たまたま出会った難民を違法滞在だと知りつつ従業員として雇ったばかりか、国外にいる妹のフィンランドへの受け入れにも協力するヴィクストロムの姿を見ていると、ここまでやるか!の思いが強い。さらに、これはあくまでアキ・カウリスマキ監督の演出によるものだが、ここまでできるの?との思いも・・・。まあ、たしかに「現実離れ」の感もあるが、そこは映画だから・・・。■□■ハッピーエンド?それとも・・・?■□■ 難民問題が深刻化する中、ヨーロッパの優等生国であるドイツでもその受け入れに寛容だったメルケル首相への風当たりが強くなっている。そのため、ヨーロッパ各国で極右政党が力を伸ばし、アメリカのトランプ大統領ばりの「排外主義」と「自国第一主義」が強まっている。北欧の小国の一つであるフィンランドでもそれは同じで、本作には“フィンランド解放軍”を名乗る、スキンヘッドの男ヴィクトリーが登場するので、それに注目!彼らの攻撃目標は違法滞在状態にある難民だから、カーリドがある日ヴィクトリーに襲われたのはある意味仕方なし。しかし、ヴィクトリーの警告を無視して、ヴィクストロムのレストランで引き続き働いていたり、妹までフィンランドに入国させてくるとヴィクトリーは・・・?難民の一人をこっそりナイフで刺すくらいは朝飯前。ヴィクトリーのその行為は鮮やかの一言だが、ナイフの一刺しで人間は死んでしまうの・・・?翌日はミリアムが警察に出頭して難民申請をする日。その時刻まで約束しているカーリドは必ず妹と会わなければならないが、さてカーリド(の命)は・・・?本作は全編を通じてアキ・カウリスマキ監督の暖かさに満ち溢れているが、このラストはさてハッピーエンド?それとも・・・?2018(平成30)年1月15日記
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「DESTINY 鎌倉ものがたり」(日本映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29297283/
2018-01-17T15:22:00+09:00
2018-01-17T15:22:54+09:00
2018-01-17T15:22:54+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 日本映画
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監督:山崎貴原作:西岸良平 『鎌倉ものがたり』(双葉社アクションコミックス)一色正和(ミステリー作家)/堺雅人 一色亜紀子(正和の妻)/高畑充希本田(正和の編集担当者)/堤真一 死神/安藤サクラ貧乏神/田中泯 キン(一色家の家政婦)/中村玉緒本田里子(本田の妻)/市川実日子ヒロシ/ムロツヨシ稲荷刑事(鎌倉署の心霊捜査課)/要潤川原刑事(鎌倉署の心霊捜査課)/大倉孝二恐山刑事(鎌倉署の心霊捜査課)/神戸浩大仏署長(鎌倉署)/國村隼天頭鬼(声)/古田新太一色絵美子(正和の母)/鶴田真由小料理屋の女将/薬師丸ひろ子瀬戸優子/吉行和子優子の旦那/橋爪功甲滝五四朗/三浦友和配給:東宝/129分
■□■ショートコメント■□■◆公式ホームページによれば、本作のイントロダクションは次の通りだ。 ◆公式ホームページによれば、本作のストーリーは次の通りだ。 ◆2010年のNHKの朝ドラは、『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者である漫画家水木しげるの妻を主人公にした『ゲゲゲの女房』だった。たしかに水木夫妻の出身地、島根県安来市と鳥取県境港市には妖怪がよく似合う(?)が、なぜか古都・鎌倉にも多くの妖怪が住んでいるらしい。そんな西岸良平の原作『鎌倉ものがたり』の世界を『ALWAYS』シリーズ(05年、07年、12年)で有名な山崎貴監督が、お得意のVFXを駆使してスクリーン上に登場させた。さあ、その展開は・・・?。 ◆本作のテーマは、ズバリ「夫婦の愛」。とは言っても、今どき流行の若者同士の純愛ではなく、長年独身を貫いてきたミステリー作家、一色正和(堺雅人)と、たまたまそこに原稿を取りに来た出版社の若手記者、亜紀子(高畑充希)との「年の差婚」における夫婦愛だ。鎌倉の古い民家に家政婦のキン(中村玉緒)と一緒に住む正和はなぜずっと独身を貫いていたの?また、なぜ正和と亜紀子は一目会った時から、互いの結婚相手はこの人だと直感したの・・・? ◆そこらあたりのストーリー展開は“想定の範囲内”だが、本作の魅力は後半から大展開していく黄泉の国の物語。その実像は一人一人の想像の産物らしいが、スクリーン上で見るそれは実に壮大。三途の川が広ければ、その高架の上を走る列車、江ノ電の風景も壮大。もちろん、一度三途の川を渡れば二度と戻れないのが常識だが、さて本作では・・・? ◆本作後半、黄泉の国で正和が「対決」するのは、古田新太扮する天頭鬼だが、本作には全体のストーリーを引っ張る死神(安藤サクラ)や中盤に面白い彩りを見せる貧乏神(田中泯)等の人間とは異質の存在が次々と登場するので、その面白い展開から目が離せない。さらに父親が浮気者だったため(?)自分の出生に疑問を持っていた正和の「出生の秘密」が明かされる後半のシリアスなストーリー(?)には、三浦友和が大きな役割を果たすので、それにも注目。 ◆キネマ旬報の2018年1月下旬号によると、本作の初日、2日目の興行収入は順調で山崎貴監督の前作『海賊と呼ばれた男』(16年)対比で103.8%、東宝は30億円を越える大ヒットと発表しているらしい。製作費がかなりかかっているので、製作者サイドとしては「30億円以上は欲しい」そうだが、さて、その成り行きは・・・? 2018(平成30)年1月15日記
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「女の一生」(フランス映画・2016年)
http://sakawa.exblog.jp/29201508/
2018-01-10T18:34:01+09:00
2018-01-10T18:34:03+09:00
2018-01-10T18:34:03+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<シネ・リーブル梅田>
2018(平成30)年1月3日鑑賞
2018(平成30)年1月5日記
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監督:ステファヌ・ブリゼ
原作:ギィ・ド・モーパッサン
ジャンヌ(男爵家の一人娘)/ジュディット・シュムラ
ジャンヌの父(男爵)/ジャン=ピエール・ダルッサン
ジャンヌの母/ヨランド・モロー
ジュリアン(子爵、ジャンヌの夫)/スワン・アルロー
ロザリ(男爵家の女中)/ニナ・ミュリス
ポール(20歳、ジャンヌの息子)/フィネガン・オールドフィールド
配給:ドマ、ミモザフィルムズ/119分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
世界中で何度も映像化されてきた不朽の名作『女の一生』が、再び映画化された。時代も国も超え、1883年に刊行された古典文学の、何がそんなに私たちを魅了するのか──。
恋愛、結婚、出産、子育て、親を看取ること──。置かれる立場や状況は違えど、“女の本質”は、そうは変わ らない。こと世間知らずなお嬢様ジャンヌは、諸所のつまずきを真正直に、まともにかぶってしまう。だから濃いドラマが生まれる。濃いから面白く、目が離せない。
一方ジャンヌの夫ジュリアンをはじめ他の登場人物も、この現代でもたやすく見出せるほど、滑稽なくらいにリアルで人間臭い。また現代社会をも賑わせる“不倫”についても、どれほど多くの人が“道ならぬ恋”に陥るか、その代償の大きさも含め、古典という言葉のイメージを覆す過激な展開をみせ、観る者の度肝を抜く。古典文学の格調高さと普遍性に、予想を超えた劇的な展開が差し込まれる。それが、『女の一生』の魅力の1つでもあろう。
◆公式ホームページによると、本作のストーリーは次の通りだ。
男爵家の一人娘として生まれ、17歳まで修道院で教育を受けた清純な娘、ジャンヌが親元に戻る。親の勧める子爵ジュリアンと結婚し、希望と幸福に胸躍らせ人生を歩みだしたかに見えたジャンヌだったが、乳姉妹だった女中のロザリが妊娠、その相手が夫ジュリアンであることを知る。夫の度重なる浮気、母の死、溺愛した息子ポールの裏切りと・・・ジャンヌに様々な困難がふりかかる。
◆私は有名な世界文学全集の1冊であるモーパッサンの『女の一生』を読んでいなかったことを、本作を観て改めて確認。しかし、本作を観て、恋愛、結婚、出産、子育てを中心に描かれたモーパッサン流の「女の一生」が「バカ女の一生」であることをはじめて確認した。ジャンヌ役を演じた女優(ジュディット・シュムラ)は、本作で17歳かtら40代後半までを特殊メイクの力を借りずに自然に演じきったそうだが、ジャンヌは若いときも馬鹿なら、母親になってからもかなりの馬鹿。これでは、いかに19世紀のフランスとはいえ、如何なもの・・・?
◆19世紀のフランスにおける子爵とはいえ、貧乏貴族の男ジュリアン(スワン・アルロー)の浮気を今の時代と同じように「不倫」と呼ぶかどうかは知らないが、まずは本作前半の、ジュリアンと乳姉妹ロザリ(ニナ・ミュリス)との「不倫」をめぐるドタバタ劇のバカバカしさにうんざり。さらに後半では成長したジャンヌの息子ポール(フィネガン・オールドフィールド)が見せる事業欲とその失敗、そして金の無心ぶりにうんざり。また、この母子間の手紙の無内容さにもうんざりだ。
その挙げ句、本作のラストはポールとポールの愛人との間に可愛い子供が生まれていることを見せて、「人生って悪いものではない」ときたが、そんなバカな・・・。なぜ本作がヴェネツィア国際映画祭2016で、国際批評家連盟賞を受賞できたの?私にはその理由がさっぱりわからないが・・・。
2018(平成30年)年1月5日記
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「ル―ジュの手紙」(フランス映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29201224/
2018-01-10T18:22:00+09:00
2018-01-10T18:54:37+09:00
2018-01-10T18:22:17+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<シネ・リーブル梅田>
2017(平成29)年12月29日鑑賞
2018(平成30)年1月5日記
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監督:マルタン・プロヴォ
クレール(助産師)/カトリーヌ・フロ
ベアトリクス(クレールの継母)/カトリーヌ・ドヌーヴ
ポール(クレールの恋人、トラック運転手)/オリヴィエ・グルメ
シモン(クレールの息子)/カンタン・ドルメール
ロランド/ミレーヌ・ドモンジョ
病棟主任/オドレナ・ダナ
セシール/ポーリーヌ・エチエンヌ
配給/キノフィルムズ・木下グループ/117分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
もしもナニもかも正反対の相手が突然現れて、自分を予想外の未来へと導いてくれるとしたら――?
セーヌ川が流れるパリ郊外を舞台に、血のつながらない母と娘が30年ぶりに再会を果たす。
本来なら決して近づくことのない対照的な生き方をしてきた彼女たちが、互いの人生を交錯させ、やがて行き詰まった日常から心を解放してゆく――。
母と娘のユーモアのあるやりとりや、年齢を重ねたからこそ変化する女同士の絆が、共感と感動を呼び起こす。
映画界に咲き誇る大輪の花、カトリーヌ・ドヌーヴが、まるで彼女自身の生き方そのもののように、人生を謳歌する“母”役を演じ、チャーミングな魅力が全開!度が過ぎるほど真面目な“娘”役には、『大統領の料理人』で脚光を浴びたカトリーヌ・フロ。この冬、あなた自身も気づかなかった心の扉を、“ふたりのカトリーヌ”が笑いと涙で、そっと開けてくれる――。
◆公式ホームページによれば、本作のストーリーは次の通りだ。
猫のように自由奔放に生きる、血のつながらない母と、ストイックで真面目過ぎる娘。母娘のやりとりが、笑いと感動を呼び起こす!!
助産婦として働きながら、女手ひとつで息子を育てあげ、地道な日々を送っていたクレール。
そんな彼女のもとに、30年前、突然姿を消した、血のつながらない母親ベアトリスから「今すぐ、あなたに会いたい」と電話が入る。自己中心的でお酒とギャンブルが大好きなベアトリスは、クレールとは真逆の性格。ベアトリスと再会したクレールは、自由奔放な継母のペースに巻き込まれ、反発を繰り返しながらも、やがて人生の歓びや愉しみに気づき始める。二人の間に新たな絆が生まれる時、ベアトリスは“ある決断”をする事になり・・・。失われた時間を埋めながら、彼女たちが見つけたものとは――。
◆2人のカトリーヌが共演。その一人は、自由奔放かつある意味で身勝手な女・ベアトリスを演じるカトリーヌ・ドヌーヴ。そして、もう一人は、『大統領の料理人』(12年)等で有名なカトリーヌ・フロ。彼女が演じる49歳の助産婦(助産師)・クレールは、ベアトリスとは血のつながらない娘だが、ある日、30年ぶりにベアトリスから今すぐ会いたいとと電話が入ってきたため再会し、奇妙な生活が始まっていくことに・・・。
カトリーヌ・ドヌーヴは、私たち団塊世代なら誰でも知っている美人女優だが、1943年生まれの彼女は、今や74歳。すっかり貫録がついているが、それでもやはり美人は美人。それに対して、カトリーヌ・フロの方は演技力抜群の今が盛りの女優だが、美人度はイマイチ・・・。
◆しかし、そんな2人だからこそ、性格が真逆で、「アリとキリギリス」と言われる両極端な女の役を見事に演じている。『月と雷』(17年)で草刈民代は「フーテンの寅さん」の女版のような役を見事に演じていたが、本作では、カトリーヌ・ドヌーヴがその「フーテンの寅さん」そっくりの女・ベアトリス役を演じているので、それに注目!ちなみに末期ガンであるにもかかわらず、酒、たばこ、博打をくり返し、ルージュの手紙を残して死んでいったベアトリスの生き方も、フーテンの寅さんにそっくりかも・・・?
2018(平成30年)年1月5日記
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「ダンシング・ベートーヴェン」(スイス・スペイン合作映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29201151/
2018-01-10T18:18:54+09:00
2018-01-10T18:18:54+09:00
2018-01-10T18:18:54+09:00
s-sakawa
未分類
<テアトル梅田>
2017(平成29)年12月29日鑑賞
2018(平成30)年1月5日記
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監督:アランチャ・アギ―レ
振付:モーリス・ベジャール
モーリス・ベジャールバレエ団:
ジル・ロマン(芸術監督)
エリザベット・ロス
ジュリアン・ファヴロー
カテリーナ・シャルキナ
那須野圭右
東京バレエ団:
水野水香
柄本弾
吉岡美佳
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団:
スービン・メータ(世界的指揮者)
独唱:
クリスティン・ルイス(アメリカのソプラノ歌手)
藤村実穂子(日本のメゾソプラノ歌手)
福井敬(日本のテノール歌手)
アレクサンダー・ヴィノグラードフ(ロシアのバス歌手)
合唱団:
栗友会合唱団
インタビュアー:
マリヤ・ロマン(フランスの女優、ジル・ロマンの娘)
配給:シンカ/83分
■□■ショートコメント■□■
◆本作のチラシによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
故モーリス・ベジャールによって振り付けられた伝説のダンスが、モーリス・ベジャール・バレエ団と東京バレエ団により演じられ、世界的指揮者ズービン・メータ率いるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏により実現したベートーヴェンの『第九交響曲』東京公演。21世紀のバレエ史上最高傑作と呼ばれた総合芸術のステージが出来上がるまでの度重なるリハーサルの様子や、ベジャールの後継者ジル・ロマン芸術監督のもと新たに踏み出した、様々な文化的背景を持つダンサーたちが織りなす人間ドラマに密着した感動のドキュメンタリー。『第九』が放つ壮大な世界観のもと、ダンサーという職業の苦悩や情熱を浮き彫りにし、ひと時限りのスペクタルロマンを築き上げる姿に迫る。監督は、『ベジャール、そしてバレエはつづく』のアランチャ・アギ―レが務める。
◆本作のチラシによれば、本作のストーリーは次の通りだ。
スイス、ローザンヌ。『第九交響曲』出演のために過酷な練習に取り組むモーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーたち。第二幕のメインをジル・ロマンから任せられた才能豊かなソリスト、カテリーナは踊る喜びに満ち溢れていた。ある日、カテリーナは妊娠が発覚しメインを下ろされてしまう。一方で、お腹の子の父となるオスカーは生まれてくる子のために良き父親になろうとしていた。キャリアが中断されることへの不安と産まれてくる子供への愛情のあいだで揺れ動くカテリーナ。様々な想いを抱えながらダンサーたちは、東京での第九のステージに挑む。
◆本作については、私の評論はまったく不要。次のチラシのうたい文句にある通り、感動の傑作ステージをたっぷりと楽しみたい。
“ひとつになれ、人類よ!”
「第九」を「バレエ」で表現した踊るコンサート『第九交響曲』。
ダンサー、オーケストラ、合唱団、総勢350人の奇跡のスペクタルは、
21世紀のバレエ史上かつてない感動の傑作ステージへ
2018(平成30年)年1月5日記
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「彼女が目覚めるその日まで」(カナダ、アイルランド合作映画・2016年)
http://sakawa.exblog.jp/29201090/
2018-01-10T18:16:12+09:00
2018-01-10T18:16:13+09:00
2018-01-10T18:16:13+09:00
s-sakawa
2018年鑑賞 洋画
<テアトル梅田>
2017(平成29)年12月29日鑑賞
2018(平成30)年1月5日記
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監督:ジェラルド・バレット
原作:スザンナ・キャハラン『脳に棲む魔物』
スザンナ・キャハラン(ニューヨーク・ポスト紙の新人記者)/クロエ・グレース・モレッツ
スティーヴン・グリウォルスキ(スザンナの恋人)/トーマス・マン
トム・キャハラン(スザンナの父親)/リチャード・アーミテイジ
マーゴ(スザンナの職場の先輩)/ジェニー・スレイト
ローナ・ナック(スザンナの母親)/キャリー=アン・モス
リチャード(スザンナの職場の上司)/タイラー・ペリー
アレン/アレックス・ザハラ
ジゼル/ジェン・マクリーン=アンガス
上院議員/ケン・トレンブレット
ナジャー医師/ナビド・ネガーバン
ライアン医師/ロバート・モロニー
カーン医師/アガム・ダーシ
シスキン医師/ジャネット・キダー
サムソン医師/ビンセント・ゲイル
配給:KADOKAWA/89分
■□■ショートコメント■□■
◆公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。
最愛の両親や大切な恋人、あるいは自分自身が、ある日突然、人格を奪われ正気と狂気の間をさまよう病にかかったとしたら──あり得ないと思うかもしれないが、その病は日本でも年間1000人ほどが発症していると推定されている。決して、遠い国の縁のない話ではないのだ。
主な症状は、感情がコントロールできなくなり、幸福と絶望を行き来し、周りの人々に人間性が崩壊したかのような毒舌を吐く。やがて昏睡に陥りそのまま死に至ることもあるという。大ヒット映画『エクソシスト』の悪魔にとりつかれた少女リーガンを思い出してほしい。彼女のモデルになった実在の少年は、実はこの病の典型的な症例だったと指摘されている。
2007年、つまりは21世紀になってようやく急性脳炎の一つと位置付けられ、正式に「抗NMDA受容体脳炎」という名前が与えられるまで、精神の病や悪魔憑きと判定され、正しい治療を受けることすら難しかったのだ。
2009年にこの病にかかった、ニューヨーク・ポスト紙の記者であるスザンナ・キャハランが、壮絶な闘病の日々を、医療記録や家族の日誌などから再現したノンフィクションを発表。彼女も医師から原因不明と見放されたが、決して諦めなかった両親と恋人の尽力で、遂には人生を取り戻す。スザンナと家族の闘いに感銘を受けたオスカー女優のシャーリーズ・セロンがプロデュースに乗り出し、『キック・アス』で大ブレイクを果たしたクロエ・グレース・モレッツを主演に迎え、全米で大ベストセラーを記録した衝撃の実話の映画化を実現させた。
憧れのニューヨーク・ポスト紙で働く21歳のスザンナ・キャハランは、1面を飾る記者になる夢へと突き進んでいた。付き合い始めたばかりのミュージシャンの恋人スティーヴンを両親に紹介し、仕事も恋も順調だ。ところが、“それ”は足音もなく突然やって来た。物忘れがひどくなり、トップ記事になるはずの大切な取材で、とんでもない失態を犯してしまう。幻覚や幻聴に悩まされて眠れず、全身が痙攣する激しい発作を起こして入院するが、検査の結果は「異常なし」。日に日に混乱し、全身が硬直して会話もできなくなってしまったスザンナを見て、精神科への転院をすすめる医師たち。だが、両親とスティーヴンは、スザンナの瞳の奥の叫びを受け止めていた──。
スザンナを演じるのは、ファッションやライフスタイルでも、全世界の女性たちから熱い注目を浴びるクロエ・グレース・モレッツ。かつてない迫真の演技で、女優としての劇的なステップアップを成し遂げた。娘への盲目的な愛情が観る者の心を揺さぶる父親には、『ホビット』シリーズのリチャード・アーミティッジ。
知的でクールだが娘のためなら何者にも屈しない信念を秘めた強い母親に、『マトリックス』シリーズのキャリー=アン・モス。一見頼りなく見えるが、深く優しい愛でひたすらスザンナに寄り添い、実際にスザンナが回復してから結婚した恋人スティーヴンには、『キングコング:髑髏島の巨神』のトーマス・マン。
監督は、シャーリーズ・セロンが過去作からその才能を見抜き、自ら原作を送った新鋭ジェラルド・バレット。「この映画が誰かの命を救いますように」と願い、事実に忠実であることを何より大切にしたと語る監督の意志をリアルな映像で支えた撮影は、『はじまりのうた』『シング・ストリート 未来へのうた』のヤーロン・オーバック。
目覚めぬ娘を信じ続けた両親、絶対にあきらめないと誓った恋人、彼らに突き動かされた医師たち──愛から生まれた希望と勇気の強さと美しさを描く感動の実話。
◆公式ホームページによれば、本作のストーリーは次の通りだ。
21歳のスザンナ・キャハラン(クロエ・グレース・モレッツ)の毎日は、希望と喜びに満ちていた。憧れのニューヨーク・ポスト紙で、まだ駆け出しだが記者として働き、いつか第1面を飾る記事を書くと燃えている。プライベートでも、プロのミュージシャンを目指すスティーヴン(トーマス・マン)と付き合い始め、会うたびに互いの想いが深まっていた。
そんな中、父(リチャード・アーミティッジ)と母(キャリー=アン・モス)が、バースデイ・パーティを開いてくれる。二人は離婚していたが、娘のスザンナを通して良好な関係を築いていた。それぞれのパートナーとスティーヴンに囲まれて、ケーキのキャンドルを吹き消そうとした時、スザンナは初めて体調の異変を感じる。皆の声が遠のき、めまいを覚えたのだ。
デスクのリチャード(タイラー・ペリー)から、スキャンダルを抱えた上院議員のインタビューという大きな記事を任されるスザンナ。彼女の才能を認める先輩記者のマーゴ(ジェニー・スレイト)からの後押しもあっての大抜擢だ。
ところが、スザンナの体調は、日に日に悪化していく。視界が揺れ、会話も聞き取れず、夜も眠れなくなり、締め切りを破るだけでなく綴りや文法までミスしてしまう。やがて手足が麻痺するようになり、病院で診察を受けるが、検査結果はすべて異常なしだった。
遂にスザンナは、取り返しのつかない失敗を犯す。上院議員のインタビューの席で、スキャンダルに引っ掛けた下品なジョークで彼を侮辱したのだ。リチャードから激しく叱責されるが、なぜそんな言葉が口から出たのか、スザンナ自身にも分からなかった。
今度は突然、激しい痙攣の発作を起こすようになるスザンナ。両親に付き添われて精密検査を受けるが、やはり異常はない。そうこうするうちに、劇的な幸福感に包まれてはしゃいだかと思うと、その直後には深い絶望感と被害妄想が沸き起こって周囲の人々を罵倒するようになり、会社の上司はもちろん、両親さえも手に負えなくなってしまう。
何度検査を受けても、医師たちは「異常なし」と繰り返し、精神の病だと決めつける。必ず原因を究明すると決意した両親と、「絶対に治るから、一緒に頑張ろう」と誓ったスティーヴンが支え続けるが、次第にスザンナは手足が動かなくなり、全身が硬直し、口さえきけなくなってしまう。
あと3日間の観察で変化がなければ、精神科へ転院させると宣告する医師たち。期限が迫るなか、一人の医師がスティーヴンの“ある言葉”に突き動かされるのだが──。
◆日本でのかつての「難病もの」の代表は『愛と死をみつめて』(64年)(『シネマルーム21』86頁参照)で、原作はもとより映画も歌も大ヒットしたが、その後も「難病もの」映画は続々と続いている。『キック・アス』(10年)で大ブレークしたクロエ・グレース・モレッツといえば、健康そのもののイメージ。したがって、その女優が「抗NMDA受容体脳炎」という難病の217番目の患者になる姿は全然イメージできない。それは、『愛と死をみつめて』で、当時、健康優良児の代表格だった(?)吉永小百合が軟骨肉腫の患者、大島みち子役を演じたのと同じだ。その意外性が、本作第1のインパクトになる。
◆21歳の誕生日を迎えたスザンナ・キャハラン(クロエ・グレース・モレッツ)の、ニューヨーク・タイムズ紙での働きぶりは、いかにもアメリカ的なスタイルの実力主義だから、日本の職場との違いにビックリさせられる。まさか新人記者がニューヨーク・タイムズ紙の一面の記事を書くことはないだろうが、本作を観ていると、少なくとも新人がその夢を抱くのは当然だし、その可能性があるのも当然という描き方をしているところが素晴らしい。もっとも、それは健康があってのこと。それが大前提だから、スザンナが仕事中に時々おかしな態度を示し始めると・・。めまいやけいれん、幻覚や幻聴等の身体の異変を感じ取ったスザンナがそんな状況下病院を訪れて検査を受けたのは当然だが、色々な検査の結果は異状なし。それで一安心だが、症状が一向に収まらないから、アレレ・・。
◆本作はスザンナ・キャハラン自身が書いた闘病記「記憶から抜け落ちた謎と錯乱の一カ月」をベースに執筆した著書『脳に棲む魔物』に基づくもの。そう聞けば、スザンナ・キャハランが「抗NMDA受容体脳炎」という難病を克服したことがわかるが、私は当初、本作は『愛と死をみつめて』と同じように、難病にかかったヒロインは死んでいくものとばかり思っていた。そのため、様々な自覚症状のなかで、同じ年齢のミュージシャンの恋人であるスティーヴン(トーマス・マン)や両親の援助を受けながら懸命に病名の特定に励むストーリーがずっと続く展開に、少し導入部が長すぎるのではないかと少し心配していた。しかし本作は、実は病気の原因の特定に至るまでが99パーセントの物語になっている。その意味では、私の予想と全く違っていたし、『愛と死をみつめて』とも全然違う「難病もの」だったが、医療の現場のあり方を探る問題提起作の1つであることは間違いない。
◆『ジョンQ -最後の決断-』(02年)では、アメリカは国民皆保険制度でないため、主人公の黒人は子供の重篤な心臓病の手術代を負担することができず、やむをえず「ある強硬手段」に訴えていた(『シネマルーム2』137頁参照)。それに対して本作ではスザンナの両親は色々な病院で、これは「統合失調症だ」、「精神病だ」としか診断できない医師とかなりのバトルを展開しながら「病気の原因を特定しろ!」と迫り、ある病院の女性医師のツテによって、学者に転職していたベテラン医師にたどり着き、そのベテラン医師の、ある意味スザンナの症例に対するドクターとしての興味によって、たまたま病因が特定できることになった。これは、逆に言えばスザンナの両親が先例踏襲としか言わない(言えない)医師の診断に納得できず、ケンカしまくった結果ということになる。幸いスザンナはそれによって命を救われたばかりか、ニューヨーク・タイムズ紙の記者として復帰までできたわけだから、ありがたい限りだ。ちなみに、『エクソシスト』(73年)の主人公クリス・マクニール(エレン・バースティン)は、スザンナと同じ抗NMDA受容体脳炎の第1号患者だったのかもしれないらしい。そう考えると、クリス・マクニールは、少しかわいそうな気がするが・・。
2018(平成30年)年1月5日記
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「ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命」(アメリカ映画・2017年)
http://sakawa.exblog.jp/29296389/
2018-01-05T14:07:00+09:00
2018-01-17T14:32:39+09:00
2018-01-17T14:32:39+09:00
s-sakawa
2017年鑑賞 洋画
『シンドラーのリスト』(93年)のオスカー・シンドラーはユダヤ人を自社で働かせることによって、『杉原千畝 スギハラチウネ』(15年)の杉原千畝は「命のビザ」を発給することによって、それぞれ多数のユダヤ人の命を救ったが、ポーランドのワルシャワには邦題通り「ユダヤ人を救った動物園」が! そこで命を救われたユダヤ人は約300人だが、そこでの緊張感を強いられた「日々の業務」を見ていると、この夫妻の決断と行動力に大きな拍手を送りたい。そして同時に、もし自分がその立場に置かれていたら・・・?それも、きちんと考えたい。 さらに考えるべきは、ひょっとして今も同じような「開戦前夜」かも?ということ。ワルシャワの動物園はナチスドイツの侵攻に蹂躙されたが、もし朝鮮半島有事となれば、日本は・・・?
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監督:ニキ・カーロ原作:ダイアン・アッカーマン『ユダヤ人を救った動物園 ヤンとアントニーナの物語』(亜紀書房)アントニーナ(ワルシャワ動物園を夫ヤンと共に営む)/ジェシカ・チャスティンヘック(ヒトラー直属の動物学者)/ダニエル・ブリュールヤン(アントニーナの夫)/ヨハン・ヘルデンブルグ/マイケル・マケルハットン配給:ファントム・フィルム/127分
■□■イントロダクションは?■□■
公式ホームページによれば、本作の「イントロダクション」は次の通りだ。ユダヤ人300名を動物園の地下に匿いその命を救った、勇気ある女性の感動の実話。本当に大切なものを見つめる心、命の輝きを描いた映画史に刻まれる、珠玉の名作が誕生。 ドイツ占領下のポーランドで自ら経営していた軍需工場に労働者としてユダヤ人を雇い入れ、その身柄を保護し救ったオスカー・シンドラー。ナチスに迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けし「日本のシンドラー」と呼ばれた外交官・杉原千畝。彼らと同じように、ナチス支配下の悲惨な状況の中、自らの危険を冒してでも、ユダヤ人の命を救った夫婦がいた。それは第2次世界大戦中のワルシャワで動物園を営む、ヤンとアントニーナ夫妻だ。彼らは、ナチスに追われたユダヤ人を動物園の地下に匿い、300人もの命を救うという奇跡を起こす。「すべての命は等しく、すべての命は守られるべきものである」アントニーナの行動は、絶望の淵へ立たされたユダヤ人たちを勇気づける希望になった。そして、世界各地における民族対立、紛争、テロ、ヘイトスピーチが後を絶たない今日においても、この物語は、人間の尊厳を見つめ直すことの重要性を私たちに問いかけている。 アントニーナ・ジャビンスカの類まれなる動物的な感性、人も動物も母性で包み込む深い愛情、強い信念に触れた時、私たちの心は深い感動と余韻に包まれる―。 本作は、ダイアン・アッカーマンのノンフィクション作品「ユダヤ人を救った動物園 ヤンとアントニーナの物語」(亜紀書房)を映画化。そして今回、主演と共にエグゼクティブプロデューサーを務めたのは、『ゼロ・ダーク・サーティ』で第70回 ゴールデングローブ賞最優秀主演女優賞を受賞し、『オデッセイ』など話題作への出演が続くジェシカ・チャステイン。「人間の皮を脱ぎ捨てて、動物の眼でまわりを眺めてみるのが大好きだった。そこから彼らが何を見、感じ、恐れ、感知し、記憶しているのか、どんなことに関心を持ち、どんなことを知っているのか、直感を働かせてよく書き留めていた」(原作より一部抜粋)というアントニーナ・ジャビンスカの特徴をとらえ、ライオン、象、シマウマ、ウサギなど様々な動物たちとのリアルな触れ合いを通して、その母性溢れる優しさを表現している。ジェシカは「彼女の勇気ある行動、プライドと文化を失わないように努めたことに感銘を受けた」と語り、撮影前には、アントニーナの娘、テレサに会い直接話を聞いたり、またワルシャワ動物園も訪問。「母はどんな状況であっても自分が今何をすべきか直感的にわかっていた」というテレサの言葉を胸に役作りに挑み、アントニーナ・ジャビンスカという強い信念を持つ女性を現代へと再び蘇らせている。 ■□■ストーリーは?■□■公式ホームページによれば、本作の「ストーリー」は次の通りだ。「この場所で、すべての命を守りたい」 1939年、ポーランド・ワルシャワ。ヤンとアントニーナ夫妻は、当時ヨーロッパ最大の規模を誇るワルシャワ動物園を営んでいた。アントニーナの日課は、毎朝、園内を自転車で巡り動物たちに声をかけること。時には動物たちのお産を手伝うほど、献身的な愛を注いでいた。
しかしその年の秋、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。
動物園の存続も危うくなる中、アントニーナはヒトラー直属の動物学者・ヘックから「あなたの動物を一緒に救おう」という言葉と共に、希少動物を預かりたいと申し出を受ける。寄り添うような言葉に心を許したアントニーナだったが、ヤンはその不可解な提案に不信感を募らせていた。
ヤンの予感はまさに的中し、数日後、立場を一転したヘックは「上官の命令だ」という理由をつけて、園内の動物たちを撃ち殺すなど残虐な行為に出る。一方でユダヤ人の多くは次々とゲットー(ユダヤ人強制居住区)へ連行されていく。その状況を見かねた夫のヤンはアントニーナに「この動物園を隠れ家にする」という驚くべき提案をする。
ヤンの作戦は、動物園をドイツ兵の食料となる豚を飼育する「養豚場」として機能させ、その餌となる生ごみをゲットーからトラックで運ぶ際に、ユダヤ人たちを紛れ込ますというものだった。人も動物も、生きとし生けるものへ深い愛情を注ぐアントニーナはすぐさまその言葉を受け入れた。連れ出された彼らは、動物園の地下の檻に匿われ、温かい食事に癒され、身を隠すことが出来た。しかし、ドイツ兵は園内に常に駐在しているため、いつ命が狙われてもおかしくない。アントニーナの弾くピアノの音色が「隠れて」「静かに」といった合図となり、一瞬たりとも油断は許されなかった。
さらにヤンが地下活動で家を不在にすることが続き、アントニーナの不安は日々大きく募る。それでも、ひとり”隠れ家“を守り抜き、ひるむことなく果敢に立ち向かっていくのだが—。 ■□■ジェシカ・チャステインの略歴は?■□■
また、本作の製作総指揮を執るとともに、ヒロイン、アントニーナ役を演じたジェシカ・チャスティンの略歴は、公式ホームページによれば、次の通りだ。
アントニーナ ジェシカ・チャステイン Jessica Chastain 1977年、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。ジュリアード音楽院の演劇部門を卒業後、舞台を中心に活動。テレビドラマシリーズ「ER緊急救命室」(04)、「ヴェロニカ・マーズ」(04)などに出演後、『Jolene(原題)』(08/ダン・アイアランド監督)<未>でスクリーンデビュー。その後、『ツリー・オブ・ライフ』(11/テレンス・マリック監督)で、ブラッド・ピットの妻役に抜擢され、同作はカンヌ国際映画祭でパルムドールに輝く。その後、『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』 (11/テイト・テイラー監督)で第84回アカデミー賞助演女優賞にノミネート、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12/キャサリン・ビグロー監督)で第70回ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)受賞、第84回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるなど、映画女優としてのキャリアを確実に重ねている。その他の主な出演作品に、『インターステラー』(14/クリストファー・ノーラン監督)、『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』(15/J・C・チャンダー監督)、『オデッセイ』(16/リドリー・スコット監督)、『クリムゾン・ピーク』(16/ギレルモ・デル・トロ監督)、『スノーホワイト/氷の王国』(16/セドリック・ニコラス=トロイヤン監督)などがある。今後の待機作品として、『女神の見えざる手』(17/ジョン・マッデン監督)、『X-メン:ダーク・フェニックス(原題)』(18/サイモン・キンバーグ監督)などがある。 ■□■ニキ・カーロ監督インタビューは?■□■
ダイアン・アッカーマンの原作『ユダヤ人を救った動物園 ヤンとアントニーナの物語』に魅了されて、それを映画化したのは、ニュージーランド生まれの女性監督・ニキ・カーロ。公式ホームページにある「DIRECTOR’S INTERVIEW」は次の通りだ。 DIRECTOR'SINTERVIEW ニキ・カーロ監督インタビュー Q.この映画は、ナチスドイツ占領下のポーランドを背景にしながらも、愛や、希望についても描いている様に思います。あなたにとって一番大事なメッセージは何でしたか? 私にとって一番大事だったことは、この映画では窮地に追い込まれながらも、300人の救われた人達がいたことを祝すと同時に、何百万人という亡くなった方達に敬意を表することだった。ジャビンスキ一家の物語を通して、ホロコーストを描きながらも、癒し、希望、心、それから人間性を描きたかった。 Q.この物語は現代の設定ではないですが、今の社会においても、実在した人物が窮地に追い込まれた時にどれだけ人に優しくなれるのか、ということから学ぶことは多いような気がします。今の社会へどんなメッセージを込めましたか? アントニーナが私達に語りかけてくることは、ありきたりの人間でも偉大な変化をもたらすことは可能だということだと思うから。アントニーナは、キリスト教徒なの。だけど彼女は、本当にたくさんのユダヤ教の人達を救った。それが人間として正しいことである、という以外の理由は何もないのにね。そういう人間としての良識、偉大なる人間性が私が一番心を打たれたところだった。それに、この映画は今の世界において本当に意味のある作品だと思う。私が映画を作り始めた当初は、歴史を元にしたドラマを作っていると思っていた。だけど、結果的には現代映画になったと思う。今の社会に通じる物語があるから。この数十年間、ホロコーストを描いた映画でこの作品のように、今の時代を描いたことはなかったように思う。この映画で描かれているのは、30年代のポーランドで起きていたことだけど、でも2017年の現代にも同様のことが起きていると思うから。それはすごく残念なことだけど。 Q.この映画には今の若い世代への強いメッセージもあると思いますか? あると思う。それにこれまで試写で映画を観たミレニアル世代の反応を聞いて、すごく嬉しく思っている。彼らは即座にこれが今自分たちが生きている世界のことだということに気付いてくれてたから。それに、本当の変化をもたらすのは彼らの世代なわけでしょ。だから、この映画をホロコーストについてより知っている大人の人達のみならず、若い世代の人達に観てもらえたら嬉しい。 Q.この映画が非常にユニークだと思ったのは、戦時下の作品でありながら、戦争のシーンは可能な限り少なくしてあるように思えたことです。それでいて映画の中に戦時下の緊迫感はあります。それについてはどれくらい意識した選択だったのでしょうか? それは、思いきり意識したところだった。というのも、この映画で描きたかったのは、戦時下において、女性がどれだけ勇気のある行いをしたのか、どういう経験をしたのかということだったから。戦争というのは、男性にだけに起きたことではなくて、女性や、子供達やそして動物にも起きたことだった。だから脚本を書いている時も、映画化の計画をしている時も、アントニーナが作り上げたサンクチュアリを描くということにフォーカスすることが目標だった。もちろん彼女の夫も戦地に行くわけだから、そこに緊迫感はあるし、戦争のシーンも描いたけど、映画の大半は、この動物園の中に作られた彼女のサンクチュアリについてだった。実際、戦争シーンは、私の本編撮影の休日に撮影したくらいだった。セカンドユニットを連れて撮影したの。私とカメラマンで行ってね。それはそれで素晴らしかった。だけど、最も描きたかったのは、女性が経験した戦争についてだった。 Q.この映画は本を元にしているわけですが、あなた自身どのようなリサーチをしましたか? リアルな映画を作りたいと思っていたから、すごくたくさんリサーチをした。ワルシャワ・ゲットーや動物園に足を運び、アントニーナの娘・テレサにも会った。それから、ワルシャワ・ゲットーについてのドキュメタリーもたくさん見た。当時の人生がどういうものだったのか可能な限り知りたくて、写真に写された人達の顔をしっかりと見ようとした。『シンドラーのリスト』、『ピアニスト』も見直したけど、この映画は過去の作品とはまったく違う視点から描かれている。しかもすごく新しい視点でもあると思うから、そこをすごく誇りに思っている。 Q.撮影は何日間だったのですか? 46日間。プラハでの撮影でした。 Q.家族は映画化に対してどのような反応でしたか? すごく協力的だった。私も含めテレサ、ジェシカ、プロデューサー、脚本家など全員が女性だったんだけど、お互いみんな大好きだったし、信頼し合っていた。だから家族からも愛と、協力と、信頼しかなかった。この映画の試写を初めてしたのは2週間前で、ワルシャワだったんだけど、あまりに感動的だった。ジャビンスキ一家にとってのみならず、ポーランドの観客にとっても、私達がこの物語を”我が家“で上映したことがいかに感動的なことだったのか伝わってきたから。これはジャビンスキ一家の物語だけでなく、ポーランドについての物語でもあったの。上映する直前に、何か言って欲しいと言われて、私が話し始める直前に、私を紹介してくれた人が、「ちなみにあなたが今立っている場所は、ワルシャワ・ゲットーのあった場所です」と言ったの。「私達が今いる場所は、生きるか死ぬかの境界線だったわけです」とね。それを聞いただけで、胸が一杯になってしまって。あまりに多くの人達が苦痛を体験した場所で、この映画を上映するということにね。彼らの祖父母達が体験したことをこの映画で描いていて、正にその場所で上映していたわけだから。そんな体験をこれまで映画監督としてしたことがなかった。本当に特別な体験だった。 Q.ジェシカ・チャステインについて教えてもらえますか? 彼女はこれまでにも過酷な状況下における強い女性は演じてきましたが、この映画で初めてフェミニンな面を見せたと思います。 この映画で初めて彼女のソフトな面を見せられたと思う。彼女がいるシーンはすべて、マスター・クラスだったというくらいその演技は完璧だった。彼女は常に完璧に準備しているし、ものすごい勉強してきている。技術があまりに高い。勉強も伝統的な方法でしっかり受けてきているし。だけど、セットに来ると、それを初めて経験しているかのような新鮮さで演じてくれる。彼女を見ながら私もその瞬間を初めて体験し、観客も彼女を見ながらその瞬間を初めて見るというような新鮮な体験にしてくれる。その素晴らしさを言葉にすることはできない。あまりに優れた女優だと思うから。彼女は最高よ。 Q.実話の映画化に魅かれる理由を教えて下さい。 真実が何だったのかを見て、自分の持っている技術を使ってそれを再現することができるから、実話に魅かれるの。私が好きではないのは、私が監督だから、自分は何が一番なのかを何でも知っていると思うこと。私は、自分の人生以外の他の人の人生については何も分かっていない(笑)。だから、他の人達の実話を語ることで、人々の人生の真実を見つめることができる。それを、みんなと分かち合うことができる。 2017年3月19日 NY Essex Hotelにて取材+翻訳:中村明美 ■□■これが開戦前夜?この動物園の風景は?■□■本作は、『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』という邦題の通り、「ユダヤ人300名を動物園に匿い、その命を救った勇気ある女性の感動の実話」。そして、ダイアン・アッカーマン原作による、<BASED ON A TRUE STORY>を映画化したもの。近時「ナチスもの」「ホロコーストもの」の名作は多く、先日は『否定と肯定』(16年)を観て大いに感動したばかり。今日はそれに続く「感動予想作」だが、『否定と肯定』のような知らないことばかりの映画でなく、最初からそのストーリーは想像できる映画。ちなみに、ナチスドイツがいきなりポーランドへの侵攻を開始したのは1939年9月1日だが、その直前のポーランドの首都ワルシャワの状況は・・・?当時ワルシャワに、ヨーロッパ最大の規模を誇る動物園があったことは知らなかったが、冒頭毎朝の日課の通り、園内を自転車で巡り、動物たちに声をかけて回るアントニーナ(ジェシカ・チャスティン)の姿は幸せそう。夫のヤン(ヨハン・ヘルデンブルグ)も政治、外交、軍事面の不安は感じつつ日々の仕事に精を出していたが、「開戦前夜」って、こんなもの・・・? ちなみに、米中戦争は先の話だろうが、北朝鮮の暴発はすぐ近くに迫っているはず。すると、今はある意味での「開戦前夜」だが、それが分析されるのは今から何年も何十年も先のこと・・・?■□■「ゲットー」の中は?あの名作とは異なる視点から■□■ 『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』(99年)は、ナチスドイツの占領下にあったポーランドのある町の、ユダヤ人居住区、「ゲットー」での物語。そのテーマは、ソ連軍(解放軍)がわずか400km先の町まで侵攻しているというゲットーの住人たちにとって「生きる希望」に直結する貴重な情報だった。しかし、ゲットー内にそんな情報が流れていることを聞きつけた「ゲシュタポ」(秘密警察)たちは・・・?(『シネマルーム1』50頁参照) また、『戦場のピアニスト』(02年)では、ワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していたユダヤ人のピアニストが、ゲットーでの生活を余儀なくされながら、脱出後、隠れ家の中に身を潜めて隠れ続け、数々の危機を乗り越え、戦後またピアニストとして生涯を全うしたという奇跡的な物語が感動的に描かれていた(『シネマルーム2』64頁参照)。これらの名作では、それぞれゲットー内部の様子がリアルに描かれていたが、さて本作に見るワルシャワに作られたゲットーの中は? ゲットー内では、理不尽な少女のレイプ事件もあったはずだ。そんなニキ・カーロ監督の女性らしい視点から、ゲットー内に入ったヤンが、ドイツ兵に拉致される1人の少女を目撃するシーンも登場する。その少女がその後に受ける運命も含めて、さて、ゲットーの中のユダヤ人たちの実態は?本作ではそれは直接描かれず、あくまでポーランド人で動物園の経営者であるヤンやアントニーナの視点からゲットー内の実態と、その中でのユダヤ人の生活が描かれる。したがって、本作では、『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』や『戦場のピアニスト』とは異なる視点と私たちの想像力を駆使することによって、しっかりゲットーの中を観察したい。■□■動物たちの命は?動物園の存続は?ヤンたちの狙いは?■□■ナチスドイツ軍の侵攻によってヤンが経営する動物園が閉鎖されたのは当然だが、そこで第1に問題になるのは動物たちの命、第2にヤンたちの生活をどうするかだが、さて、<BASED ON A TRUE STORY>である本作に見るその展開は?動物好きやその研究者はポーランドに限らず、ドイツにもいるもの。ヒトラー直属の将校で動物学者であるヘック(ダニエル・ブリュール)は、希少価値のある動物の繁殖実験のため動物園を存続させたいとの狙いを持っていたから、ヤンが動物園で豚を飼いたいと申し出ると、両者の利害が一致し、たちまちOKに。たしかに、広い動物園を閉鎖してしまうのはもったいない。そこがドイツ軍の食料になる豚の飼育場になるのなら、そりゃグッドアイデア。てなワケで、多数の動物たちの命は奪われてしまったものの、動物園自体は豚の飼育場として存続することが決まったから、ヤンとアントニーナはひと安心。他方、豚の餌はどうするの?それは、ゲットー内で生活するユダヤ人たちの残飯を使えば一石二鳥。なるほど、なるほど・・・。その結果、ヤンはヘックからゲットー内に入る通行証をもらい、「日々の業務」に従事したが、さて、そこに秘めたヤンとアントニーナの狙いは・・・?■□■ヤンの仕事は?匿われたユダヤ人たちは?■□■『シンドラーのリスト』(93年)のオスカー・シンドラーはユダヤ人を自社で働かせることによって、『杉原千畝 スギハラチウネ』(15年)の杉原千畝は「命のビザ」を発給することによって、それぞれ多数のユダヤ人の命を救った。杉原千畝が「命のビザ」を発給したのは、合法か違法かギリギリの判断の中だったが、いざその「発給業務」を開始すれば、その後は加速度的にそれが早まったのは当然(『シネマルーム36』10頁参照)。それと同じように、今やヤンの日常業務は、車でゲットー内に入るたびに持ち帰る残飯の中に2、3人のユダヤ人を潜り込ませて動物園内に運び入れ、動物たちが殺されて空になった地下の檻の中に彼らを匿うことになっていたが、その量は?スピードは?なるほど、これはうまく考えたものだ。しかし、地下に匿ったユダヤ人たちの脱出ルートはどうするの?それはあなた自身の目で確認してもらいたいが、この日常作業は観客席から見ているだけでも大変。だって、昼間にはヤンの動物園や家の中に人の出入りがあるから、地下のユダヤ人たちは声を出すこともできず、夜になるとやっと家の中に入って休息する有様だったのだから。もちろん、そんな息の詰まる、危険いっぱいの生活でも、ゲットー内にいるよりはマシ。そう考えていたヤンとアントニーナが日々の作業を続けているうちにその数はどんどん増え、最終的に救出したユダヤ人が約300人になったわけだからすごい。しかし、こんなシステムが全くバレずにずっと続くの?そこが心配だが・・・?■□■外でのヤンの日常業務も大変だが、内を守るのも大変!■□■動物園の施設をうまく活用しながらユダヤ人の救出を考えたヤンのアイデアは秀逸。しかし、そのアイデアに沿って動物園の地下に潜り込みながら、脱出を目指すユダヤ人たちも大変なら、ゲットーと動物園を車で往復し、その日常業務に従事するヤンも大変。さらに、動物園と家の中を守り続けるアントニーナも大変だ。地下のユダヤ人たちに危険を知らせたり、逆に安全になったことを告知するためアントニーナが考えたアイデアは、ピアノを弾くこと。映画の中では具体的に説明されないが、きっとどんな場合にはどんな曲と決めたのだろう。それによって一糸乱れぬ行動が取れれば問題ないが、天井板一枚、壁一枚を隔てただけの空間内だから、ユダヤ人たちの話し声はもちろん、怪しげな音が聞こえただけで、全員が危険にさらされるのは必至。しかし、子供が急に泣き出したり、大人だってくしゃみをすることもあるのでは・・・?そんな心配をしていると、案の定・・・。他方、冒頭のシーンで見る限り、動物園内を自転車で走り回っているアントニーナは、一人息子がいるもののかなり魅力的な女性。同じように動物好きなヘックにとって、彼女は当然好みのタイプだろう。すると、事実上ヘックの支配下にある動物園内で、アントニーナが毎日のように動物園の管理と希少動物の繁殖のためという名目で顔をつき合わせていると・・・?しかも、亭主のヤンは外での仕事が忙しいから、アントニーナを構うことができないとなると・・・?本作は女性監督の演出だけに、露骨にヘックの(性的)欲望を表に出さないが、アントニーナにはそんな危険がいっぱい。さあ、アントニーナはそれをいかに振り払うの?しかし、時には地下のユダヤ人たちが立てた音をごまかすため、アントニーナの方から抱擁を求めたり、場合によればキスを求めるような態度を示すことも・・・。しかし、そりゃちょっとヤバイ。アントニーナのそんな態度を、もしヤンが目撃すれば、ヤンの気持ちは・・・?■□■戦況の展開は?ソ連軍は?強制収容所は?■□■今になれば、ポーランドに侵攻し、電撃作戦を開始したナチスドイツが、その後次第に劣勢になったことは誰でも知っている歴史的事実。しかし、侵攻されたワルシャワの住人たちやゲットーに収容されたユダヤ人たちにそれがわかるはずはない。つまり、彼らは情報から完全に遮断され、何の希望を持てない中で、日々の生活を送らざるを得なかったわけだ。しかし、その後の情勢の変化は?ナチスに抵抗するポーランド人民の内部蜂起は?ソ連軍の東からの反抗は?そして、ナチスドイツの撤退は?他方、次第に強まっていくゲットーから強制収容所へのユダヤ人の輸送状況は・・・?本作は、時系列に沿ってそのことを少しずつ(程よく?)説明してくれるが、そこで私が納得できないのは、後半に至って、銃を持ったヤンがナチスに立ち向かっていること。これも本当に<BASED ON A TRUE STORY>なの?また、スクリーン上では銃に撃たれて倒れてしまうヤンの姿が登場し、その後戦争終結に至るまで行方不明になっているから、ヤンの生存は絶望的・・・?本作後半はそんな展開になるが、そこで私がさらに納得できないのはアントニーナがヘックに見せる態度。ヤンが行方不明になったのは仕方ないし、アントニーナが何とかヤンの情報を得たいと願うのは当然。そして場合によれば、たとえそれが死亡確認情報でも無いよりはマシ。それが正直なアントニーナの気持ちだったことも理解できる。しかし、その情報を得るため、アントニーナが積極的にヘックの元を訪れるのは如何なもの・・・?ナチスの敗北が近づく中、ヘックもベルリンへの撤退の準備をしていたが、ただならぬアントニーナの訪問に対応する中、長い間隠されていたアントニーナたちの隠れた狙いを知ることになると・・・。■□■ラストもホント?映画としては少し甘いのでは?■□■本作は中盤のスリリングな展開が最大の見せ場で、手に汗を握る緊張シーンが続いていく。しかし、ナチスドイツの敗色が濃くなる後半では、ヤンは既に死亡してしまったようだし、ヘックは撤退していくだけだから、動物園での業務もほぼ店じまい・・・。そんな展開になっていく。しかし、そこに登場する前述した私には少し納得できないアントニーナのヘックに対する行動のため、ある意味で無用な混乱が生じ、ヤンやアントニーナの一人息子の命も「あわや!」という危険にさらされることになる。私はその展開は「映画としては少し甘いのでは?」と思わざるを得ないので、その展開はあなた自身の目で確認してもらいたい。さらに、それに輪をかけたのが、終戦後動物園を再開したアントニーナのもとに、死んでいたはずのヤンが無事に戻ってくること。このハッピーエンドも本当に<BASED ON A TRUE STORY>・・・?そして、これも映画としては少し甘いのでは・・・?2017(平成29)年12月28日記
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